スロットカーレース ” REDLINE7000 ”。

タミヤA型シャーシ+電関モーター 1/24フルサイズの60sアメリカンストックカーを楽しもうというもの。

2022年スタートして4年目を迎えるが、久々にニューカマーを迎える見込み。

と云うのも、昨年ハセガワ製フェラーリ250のレストアベースを提供してくれたSB氏から材料支給でシャーシオーダー。

 

氏は、1990年 さかつう主催 日暮里 ”モデナサーキット”の年間チャンプ。

91年のカーマガジン増刊”ModelCars”で ”今一番速いスロットレーサー”と紹介され、ご存じの方も多いだろう。

 

話は逸れるが、90年と云えば 未だ60年代からあった東洋一のサーキット、白金レースウェイが残っており、同じく60年代からあるハタボウルのサーキットもあった。

その当時の自分は、たまに古いクリヤカーを引っぱり出してサーキットに行くくらいで、レギュレーションに合わせて本格的にクルマ作りやる事はなかった。

モデナにも2、3回お邪魔したがSB氏の事を知ったのはずっと後だった。

 

91年にはSRPもオープン。1階はプラモカー、2階はクリヤカー用コースの本格派。鏡面のようにツルツルしたコースは走らせにくかったが、後年路面改修された。

自分は、等々力渓谷まで散歩のフリして家人を連れ出したりスロットカー遊びを正当化しようと企んでいた。

白金も勿論 懐かしいが、”OLD LOCO RACING CIRCUIT”を知ったのは偶然、初めて行ったのは2004(H16)年。

当時32クラスはいくつか都内に観られたが、24クラスのスロットカーサーキットは絶滅寸前だった。

それゆえ、仕事中に偶然立寄った大宮のボウリング場でレトロなフルサイズスロットカーコースを見つけた時は、錯覚?タイムスリップ?と思ったほどだ。

ハタボウル自体はスロットカーの黎明期、1963年(S38)12月熊野町に開館、最初のコースは8レーン33㍍だったものが、1965年のデータでは8レーン43㍍6レーン37㍍のダブルキャストになっている。

もし大宮ハタプラザのコースが板橋のハタボウルから移設したものであったとしたら40年以上使われた事になる。

タイムスリップでない事を願いつつ、自分は後日ビジネスバックにスロットカーを詰込んで仕事終わりに再訪、夢ではない!

サーキットスペースに他の客はいなかったが、カウンターには女性のコンシェルジュが立っていて背後にはタミヤのレンタカーにコントまで、正に60テイスト。

フィラメント電球にキラキラと照らされた木製のコースは美しくも妖しい迄の雰囲気だったが、2006年惜しくも閉館してしまった。

 

どうも昔話に脱線すると自分が老いを実感するが、SB氏の依頼とは言え、こうしてまた電関モーターのシャーシを作るのは今を生きている証、これで16台目の制作。

 

SB氏から預かったモーターは3つ、左端×印付けられたKemtronのローターはシャフトに対してコアがグラグラ。

残りはKTM(カツミ模型店)製と右端メッキケースの不詳(モデルホビースか宮沢模型?)モーターはシャフトも短い。

いずれも刻印もパッケージもなく、”REDLINE”指定の8Vモーターかどうか断定できないが、見た目からは当時の8V、又は9V仕様に思える。

唯、KTMは本来ミリサイズでタップ立てられているハズなのに何故かインチサイズ。

一方 メッキモーターはM2ゆえ、出力軸側メタルホルダーはこちらを使う事に。

つまり ニコイチPUにすれば最適と判断、分解開始。

 

当時モノはシャフトも柔い。ピニオンを打ち込む際に曲がらないよう、

いつも通りハンドリーマで揉んでクリランスを0.15㎜に調整。

取付穴のあるケムトロンのエンドベルを使おうかと思ったが、ワイドゆえ切って貼って制作のフレームに納まらないのでKTMを使い、トルクアームで押さえる仕様に。

ひとつ面倒なリクエストはホイルベースが114㎜~120㎜+αの指定。

従来の作り方ではMIN.117㎜以上になってしまうため前側フレームを3㎜カット。

これで、SB氏の指定をクリア。

ネジレやメイン/サブフレーム干渉もチェック、

バランス良く仕上がり、早速引き渡し。

 

車種は失念したが SB氏はボディを既にサーフェイサー仕上されていた。

次回” REDLINE7000 ” は6月8日於RPMB(レーシングパラダイス南町田)、

どんなアピアランスとなるか楽しみだ。