この暑いさなかだが、” 雪風 ” とは戦中実在した🚢船の名称。

米軍逆襲のミッドウェイ以降も、戦線後退する中で幾多の戦を生き抜いて帰還したことから ”幸運艦”と呼ばれるようになった駆逐艦。

 

” たった80年前、海は戦場でした ” 

― そんなイントロで始まる映画が明日公開。

 

大和や武蔵みたいな ”戦艦”より小型で高速、小回りが利く機動性で艦隊の護衛や先陣となっての魚雷戦だけでなく、物資輸送や沈没船の乗員救助などワイドな活躍をして、戦後も復員輸送艦として航海を続けた事が劇中も描かれている。

外地から1万3千人を帰還させた後は、1947年(S22)賠償艦として中華民国(台湾)に引渡され台湾海軍の船籍となった。

きっと誰もが思うに、今回の映画のキーワードは ”一人残らず引き揚げる” だろう。

同胞の仲間を助ける、という行為自体は、当時の軍国主義の是非に関係なく同じ日本人として共感を得るはずだ。

 

1944年11月、戦艦長門の護衛帰任後、空母信濃の護衛、また戦艦大和とも一緒に戦い抜き、45年7月大和沈没時にも救助活動したことでも知られる

 

ミッドウェイ以降、戦死者は増える一方で、”雪風” 艦長、寺内正道中佐の兵学校同期も皆既に戦死。

映画の中で、250Kg爆弾を抱え頭上を飛んで行った味方のゼロ戦を見た水兵の先任伍長に、後で寺内艦長が特別攻撃隊=特攻の意味を教えるシーンも。
それを聞いた伍長が ”九死に一生でさえない” 必ず死ぬことと分かって、なぜ戦地に行くのか問うと”戦争になったら引き返せない”と艦長は応える。
そして 伍長は ”戦争そのものが間違っているんだ ”と口にするが、それは当時の庶民も戦最優先の風潮に逆らえないまでも心の中では思っていたことだろう。

 

一億総玉砕”の狂った掛け声は陸軍だけではなく海軍とて例外なく、指令本部は燃料片道の ”特攻” を大和をはじめとする戦艦艦長を集めて指令する。

出席した各艦隊長は、指令に対し「命が惜しくて言うのではない。死ぬ覚悟はみんなできているが、皆無駄死にしたら誰が本土を守るのか!?」と問い詰める。

”雪風” の寺内艦長も同様、今まで何度も負傷者を拾い帰還させてきた自負から帰りの燃料もよこすよう要求する。

そして狂った軍令部の命令の中にあっても、出航直前 ”雪風”を満タンにしたり、出港後も船足の遅い艦は呉の基地に引き返すよう指示したり海軍長官はバカでないことにホッとする。

映画の中で、ゴムボートに乗る米軍沈没船の避難員に遭遇した雪風の水兵が銃を構える時も艦長は撃たないよう命じ敬礼して見送るシーンがあった。

米軍の記録を元にしたものとされるが、冷静沈着な操艦技術もありながら人間味あり部下から慕われる人柄こそが、雪風が長らく戦中を生き抜いた最大の要因ではなかったのかと思える。

映画と実際は異なるのだろうが、そんな人柄は山本五十六の言動をも連想させる。

唯、寺内艦長のように生き残れなかった山本元帥こそ人生を狂わされた悲運の名将であることは疑いない。

 

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以下は、戦艦長門連合艦隊寺尾大佐の記述参照から:

 

「陸軍の態度は実になっていない、日本を戦争へ戦争へと引っ張って行く。軍隊と云うものは、そもそも国を守るために存在するのか、それとも他国を侵略するために存在するのか、その根本が狂っている。中国の問題だけでも、いい加減てこずっているところへ日独伊の三国同盟をやらかそうとする。そんなアテにもならなぬ国と組んで(中略)やれば負けるのは決まっているのに..」(山本中将)

 

「君ならば連合艦隊を駆使してやれるだけのことはやる、世界に日本の連合艦隊ありと知らしめる。それぐらいにアメリカ連合艦隊をやっつけてくれれば、そこらで機会を見つけて講和条約にもち込むんだ。 アメリカ人は戦争嫌いなんだ。それより他国に戦争させて武器を売り、懐をこやす方がいいんだからな。」(米内海相)

「でも、一旦開戦したら、そう簡単に平和会議にもち込めるかどうか..... どう考えても勝てない相手ですからね。」(山本中将)

 

勝ち目がないと分かっていたのは、ずっと開戦反対していた山本中将だけではない。

当時の近衛首相を訪ねた際、

「何しろ、油と鉄は今までアメリカから買っている実情なんだからな、そのアメリカを敵にまわして勝てるわけがないのにね。」と首相自身が言っている。

「ご尤もです」と連合艦隊白書をひろげた山本中将に首相は、

「これ、陸軍にも一般国民にも公表してやりたいくらいだな..(中略)何とか開戦を喰い止める策はないものか」と応えていた。

だが、石油対日輸出禁止に至り近衛首相は「対米英戦を辞せず」と声明を出す。

後日、「刀折れ矢尽きた」と溜息を洩らしたように周囲の圧迫に対する貴族宰相の限界だったのだ。

 

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今回の映画でも海軍隊員はヒトとして未だマトモだったのではないかと思えるのは、兵隊としての組織や上下関係があっても戦という共通の目的外に、それを悪用する人間関係やその暇がないという事だ。

”呉越同舟” などと言うように、たとえ意見の違いあっても同じ船の中と言う海上の閉ざされた空間で足を引っ張り合っても詮無き事。
陸軍でよく聞くようなイジメや、古いドラマで喩えて恐縮ながら、西郷輝彦主演 ”どてらい男(ヤツ)”のストーリーような陰湿な厭らしさはありえない。

ゆえに観ていてテーマがブレたりしないのは心地よい。

 

靖国で貰ったフリーペーパー、(左)ドイツ侵略に抵抗したデンマーク、(右)海の特攻、”回天”

 

私の祖父が (第二次大戦前の事と思うが)戦地から息子(つまり私の父)あて、届いた葉書にはトンボがセロテープで貼ってあった。

私が子供の頃、麻布の実家でそんな葉書や軍服を拳銃のパーツを見たのは1960年代だったが、当時の子供心には未だ”玉砕”的緊迫感は感じられなかった。

唯、今更ながら父には精神的影響は強かったのだろうと思う。

終戦直後に17才だった私の父は、戦中に銃剣などの訓練を受け(たとえ不本意でも)それなりの覚悟はあったろうし、一時であれ正に狂った教育を受けていたのだから。

直接見聞きしてない80年前、だが米国産玩具で遊んだ60年前は身近な記憶だ。

その60年前、エナメル塗料”パクトラ”を土産にアメリカから帰国した父がポツリと言った言葉を思い出した。

「こんな大きな国相手に、勝ち目のない戦争していたんだな」