「仮面の忍者 赤影」に続いて今回は「魔法使いサリー」
原作は言わずと知れた横山光輝。
その漫画版原作は赤影と同じ1966年『魔法使いサニー』から始まった。
確かに”サニー”は明るく、天真爛漫なキャラクターにピッタリだろう。
ジャズの名曲にも ♪ Sunny, you smiled at me and really eased the pain..
なんてのがある。
唯、魔女っ娘のサニーは、同年アニメ化されたのをきっかけにサリーとなった。
ソニーが類似名のサニーを商標登録していて(日産もローヤリティを払っていた)
許可をもらえなかったことによると聞いている。
さぁこれからは主語を替え歌い直そう♪Sally one so true, I love you....
魔法使いサリーは少女を主人公とする日本のテレビアニメ初の作品でもある。
前にも記したが、横山作品は、かなりワイドな層の方々に愛されてたと実感する。
”伊賀の影丸”も私が物心ついた頃からポピュラーだったし、鉄人28号に至っては同い年。
そんなこともあって、行政(豊島区)がアピールしている”トキワ荘の住民”先生方々の作品より、
横山作品の方が私の記憶には濃い。
さて、1966年と云えば日本でも ”映画レッドライン7000” が公開された年でもある。
当時の華やかなモータリゼーション展開によってレーシングカーや 夢のある(悪く言えば非現実夢想的)楽しいレースストーリーもよくみられた。
そんな時代だから、当時の漫画には、例えば おそ松くんなどにも🏁レース話の回がある。
サリーちゃんの場合は ”夢のサーキットの巻”
まぁ、サーキットと言ってもサリーちゃんがカブと連れだってラリーに出場する話。
子ども達が引込まれる、コダワリ過ぎてないストーリーとオチで楽しめるものだ。
それも、ただラリーで走るだけじゃなく、途中で事件に巻き込まれ、
魔法の力を借りて解決する、というもの。
もしかしたら、後発の”マッハGoGo” のストーリーにヒントを与えたかも知れない
”夢のサーキットの巻” は ちょうど全国にスロットカーサーキットが爆発的に増えた時分。
楽しかったあの頃を思い出してしまう。
↑ 勝っても負けても明るく楽しいサリー..♪Sally one so true, I love you....
赤影なども少年サンデーと幼稚園児向きに、作画もストーリーもアレンジされていたように、
横山作品は観る者に合わせるのが上手かったから商業的にも成功したのだろう。
また例えば、つげ義春も ”トキワ荘の住民”にならなかったのは横山光輝と同じだが、
己のスタイルを通した 迎合することない作品は深い味わいゆえに、近年何度も映画化されている。
同列に語れるものではないが、昭和の漫画本は いいものだ。
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追記/0327 ;
( つげ義春の写真や旅行記を評する人は多い。
バイクは高速2人乗禁止の40数年前、福島からの帰路でよく似た景色に出会ったが、
私にとっては、つげ氏の写真は それが秩父でもどこでも何故か心象風景と重なる )
つげ義春氏は誤嚥性肺炎により今月3日に88才で永眠されていた。
人伝に聞くまで知らなかったが、ご高齢ゆえ(と云っても自分のひと廻り+αだが)映画の宣伝など
何かの折に ご存命であると知ってはホッとしていた。
元々の氏の精神的不安要素から、99年 藤原マキ氏(奥様)に先立たれた時には先々大丈夫かと
勝手乍ら気を揉んだりしていた。
今では、つげさんが命尽きる時に 令奥方マキさんが脳裏によぎられただろうか?
などと、我ながら重ねて勝手な想像をしてしまう。
演劇女優から主婦となられた令奥方も「私の絵日記」を執筆されている。
82年 夜行11月号掲載後に刊行、84年再版後に絶版となっていたものだ。
また 83年6月初版「つげ義春旅日記」巻末に載せた 正津 勉との対談「つげ式生活の最近」から
当時のつげ家の様子も読み取れる。
マキ氏 曰く ”あれはね、ああいうところに発表するつもりじゃなくてね。子供のために残そうって書いたの。”
”だから楽しいことしか書いてない。でも、その後で本出してくれるって(中略)
あとに、地獄みたいなのも出る予定なのね(中略)
あの頃はまだ、病気が出ていなかったのよね。”
”暴力はないけどね、やっぱり異常だったのよ。
トイレから出てきたなり、どっとひっくり返っちゃたりね。”
主婦目線で描かれた絵日記の ”3月22日 雪 ”
実際にひっくり返った様子と挿絵が記されてる。
また、その伏線は ”3月19日 ”:
”一家全滅だ。おまけに今日は冬に舞い戻ったような(中略)
正助を医者につれて行ったり、最低の家事はやらなくてはいけないのできつい。
(中略)オトウサンの方が重いのは解っているんだけど..
(中略)とうへ 大声を張り上げ、オトウサンにまでケンカを売ってしまった。” とある。
「私の絵日記」は18頁増補され93年に改訂出版され、同年「藤原マキ原画展」も開催された。
一家の様子が赤裸々に描かれた日記には、確かに ”地獄みたいな” パートもある
男性の私でも主婦の苦労が (-それもおし付けがましくなく-)よくわかる作品だと思う。
( つげ義春の旅行記に触発され、地方に旅行された方もおられよう。
千葉は富津の民宿、曳舟もつげ氏の評価があまりに良かったので行ってみたかった。
写真の隅に写った電話番号はまだ通じるが、数年前に廃業したそうだ.. 残念!)
まぁ自身、年齢を重ねたせいかも知れないが、今更ながら若い時の我が身を反省したくなる。
こうして作品を通し、自分の頭の中だけでは分からない事が多々あったと理解できる。
そう、”愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ”、”賢者は愚者に学び 愚者は賢者に学ばず” など云うではないか。
自分は、失敗しないと分からない(が、せめて失敗した事は身に付いている)愚者の部類だろうが、
本書も若い時に読めば良かったと思うのは人生の役に立つのが間違いないと思うからだ。
「私の絵日記」 の最後は ”12月24日 快晴”
サンタさんの話と親子のようすが 心温まるものだった。
- つげ義春さんのご冥福を -








