これまでのブログタイトルは「エーテルの風に吹かれて」でした。
気に入っていたタイトルだったのですが。
既に、このタイトルでブログを書いている御方がいるではありませんか。
失礼しました。
と、言う訳で、本日よりブログタイトルを「サブエーテルの風に吹かれて」に変更。
エーテルとは、その昔、光の媒質として考えられていたもので。
エーテルは宇宙空間を満たしており、太陽の周囲を公転する地球にはエーテルの風が吹いており。
そして、地球の自転によっても、自転方向にエーテルの風が吹いていると考えられ。
マイケルソンとモーリーが巧妙且つ精緻な実験装置により、エーテルの風の観測を試みたのですが。
エーテルの風は観測されず。
その後、アインシュタインの相対性理論により、エーテルの存在は否定されたようですが。
エーテルって、なんだかロマンがあるではありませんか。
マイケルソンとモーリーの実験は、小学生の頃に子供向けSF科学書籍の見開き僅か2頁の簡単な概要説明を読んだ記憶はあったのですが。
高校生の頃、数学・物理は大の苦手で、生物系に進学しました。
40歳過ぎて、ブルーバックスの宇宙論とか素粒子論とか、時々サッパリ理解出来ないのに数学の本も読むようになり。
若い頃の勉強不足を後悔。
若い頃に数学を真面目に勉強していれば、もっと楽しめたであろうに。
では、サブエーテルは何かと言うと、これは完全に古典的SF小説の産物で。
エーテル/サブエーテルとは、空間あるいは亜空間を満たし、電磁波や重力波、思考波などの媒質となっている物質・・・だそうです。
存在が否定されたエーテルよりも更に観念的なのがサブエーテルで。
亜空間とか、思考波などの媒質だとか・・・まさにSF小説、おとぎの国の題材でオカルトっぽくもあるのですが。
しかしながら、宇宙論もマルチバースとか、サイクリック宇宙論とか、奇想天外な説があり。
一方、意識とは。
生とは。
死とは。
思考波の媒質とは。
スタニスワフ・レムのSF小説「ソラリスの陽のもとに」では、惑星ソラリスを覆う海が、まるで思考波の媒質みたいで。
いやいや、サブエーテルと言う概念もまた、奥が深いではありませんか。
では、新タイトルのブログ「サブエーテルの風に吹かれて」開始!