部屋の片付けをしていると、段々モノが見えづらくなってきました。
日没が近づいてます。
部屋の電気のスイッチを入れてみるもやはり点かず・・・
停電はいつまで続くのかな?
そんな不安を抱えながら夜に備え、懐中電灯を探す事にしました。
避難用袋は持っており、その中に入ってましたひらめき電球 そして避難用袋の近くで散乱している物の中からもう一つ発見ひらめき電球ひらめき電球
この二つの懐中電灯、どちらも電池は「単2」でした。
予備の電池が入っている箱・棚は無事です。「単2」が2個ありました。
思えばリモコンや無線マウス等の電池(単3とか単4)を交換する際いつもこのを箱を開けますが、その度に「なんで単2なんかあるんだろ?要らないよな?」なんて思ってました。
でも今はこの「単2」がある事が凄く心強いです。

日が暮れる前に何か(パンとかおにぎりとかお茶とか)買っておこうと思い、懐中電灯をコートのポケットの中に入れて外出しました。
まずは近くのコンビニ→閉まってましたガーン
その後も少し足をのばしてスーパーや他のコンビニ数店を回るも全て閉店状態でしたしょぼん

自宅に戻る頃には辺りはすっかり暗くなっていました。停電の影響で街灯も点かず、本当に真っ暗です。
部屋の中に居ても何もする事がありません。と言うか何も出来ません。
起きていても仕方がないので寝る事にしました。しかし時間はまだ19時前・・・眠れるはずもありません。
真っ暗な部屋の中、布団をかぶって目を閉じるも、大地震の時の事を何度も思い出すし、頻繁に余震が来るし・・・
消耗させてはいけないと思いながらも状況が気になって、何度も携帯に手を延ばしワンセグを見たりしていました。
20時半頃、父親からメールが来ました。
私の事を凄く心配している内容でした。
「水道とガスは通っているし、食料は充分にあるので大丈夫です」と返信しました。
そして・・・余震に怯え、眠れない一夜を過ごしました。
自宅のドアの前まで来た時、私はひと呼吸おいて念じました。
「どうか少ない被害で済んでます様に( ̄人 ̄)」
あれだけ大きく揺れたのでさすがに「被害がありません様に」とは言えませんでした。
何とか少しの被害で・・・
しかし、ドアを開けた瞬間、私の願いはもろくも崩れ去ってしまいました。
目の前には靴箱とその上に置いてある電子レンジが斜めの状態で私を迎えてくれました。
足元の靴置き場には醤油さしが転がっていて、中の(満タンに入っていた)醤油は全部こぼれて靴達を汚していました。
レンジや靴箱を元の位置に戻したくても下にいろんな物が散乱していてなかなか思う通りいきません。
やっとの思いで奥に行き部屋の中を見てまた唖然( ̄◇ ̄;)
食器棚の扉が開いていて、お皿やコップが無残な姿で散乱してました。
このまま足を踏み入れては危ないと思い、玄関の方に戻って散乱している物の中からスリッパを見つけ出し、洋服ダンスから軍手を出して、まずは割れた食器類の回収から始めました。

!!その前に・・・
実家(奥州市)の両親と弟、花巻の妹に「無事ですか?」とメールを送りました。
4人とも「無事」との事でひと安心ニコニコ

さて、お掃除お掃除あせるあせる
大きな通りはかなり渋滞していました車
歩行者用の信号を渡りたいのに、車が横断歩道を遮っています。
恐々車の間を通り抜け進んで行くと、次の交差点の信号機は停電の影響で機能してませんでした。
広くて交通量が多い所の信号機しか機能していない様です。
この交差点も結構交通量あるんだけどな・・・
車の流れの切れ目を見計らって、急いで渡りました走る人

道中、崩れたブロック塀や歩道に倒れたお地蔵さん等、地震のすさまじさを表す光景を目の当たりにしました。

自宅の近くまで来たところで「呉々も気を付けてパー」と念を押し、同僚と別れました。
しばらく経って、近くの公園に集合する事になりました。
他の会社の人達もたくさん居ます。
そこには普段閑散としている公園の姿はなく、お祭りでもやっているかの様な人口密度でした。

点呼を取り、「解散」の指示が出ました。
「電車止まってるだろーなー」
「どーやって帰ろ?」
そんな声が聞こえてきます。
私の通勤は自転車で数分なので、帰路には困りません。
途中まで同僚と歩いて帰りました(自転車は引っ張って自転車
自分の机に戻ると、端末のパネルは2台とも倒れていました。
それを立て直してバラバラになった書類をかき集めていると、大きな余震がきました。
その後何度も余震が襲ってきました。

管理職の人達で話し合いが行われ、全員帰り支度をする様に指示がありました。
みんなでぞろぞろとロッカーに移動し、コートを着用し私物を持って自分の机の所に戻りました。
管理職の中で一番の長が言いました。
「まだ皆さんをここから出しません。強い余震で建物の外壁が落下する危険があります。この建物の中は安全です」
この人は16年前の阪神淡路大震災も経験しているとの事でした。
その経験からの判断だった様です。