小学校の入学式に参加しよう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

今週からうちの子が小学1年生になり、入学式に立ち会わせてもらって、何十年かぶりに、「小学校の体育館で校長先生の話を聞く」といった状況に身を置かせてもらいました。

自分が小学生だったころには 苦痛以外の何物でもなかった、小学校の式典ですが、今になって体験してみると、それでも精一杯短くまとめられていたのだということに、いまさらながら気が付きました。

当時は本当に、あまりにもつまらなくて、まるで数時間もぶっ続けで式典をやっているような錯覚に陥っていました。
しかし今の大人の感覚だと、あっという間に式典が終わってしまった感じで、退屈する余裕はありませんでした。

なぜそのような違いがあるのかを考えてみると、それはおそらく「頭に入ってくる情報量が違う」からだと思われます。
新1年生にとっては、校長先生の話なども全部は理解しきれないでしょうし、ましてや市議会の役員のお言葉なんて、響いていないと思います。
つまり、脳に入って残っている情報は、少なめなのだと思います。

ところが我々くらいの年齢になると、先生方の話がすべて聞き取れるのはもちろん、その話し方やしぐさの一つ一つから、その方がどんな人で、どんな教育理念を持っているのかを見ようとすると思います。
また、その式典の企画段階から実施に至るまでの背景なども、色々な部分から見えたりすると思います。
つまり、見えるものが多すぎて、脳に入る情報が多すぎて、時間があっという間に過ぎてしまうのだと思います。


さて、そうして入学式に参加して、教室で担任の先生の話を聞いて、何十年かぶりに小学校の中の世界に触れて思ったことは、「基本的に昔と何ら変わっていない」ということです。
もちろん いい意味でです。

下駄箱があって、上履きに履き替えて、保健室の横を通って、廊下には昔となんら変わらない掲示物があって、教室にはいると後ろ側にひとりひとりの棚があってそこにランドセルを入れて、前の方には左側には先生の机があって、真ん中には教壇があって。。
本当に、タイムスリップしたかのような、全く同じ世界観なのですね。
黒板が上下に動くといった、細かい部分の進歩は見受けられました

道具箱とか、「れんらくちょう」とか、ツール関係も全く昔のままで、懐かしい限りです。
その気になれば、メールやWeb formを活用したもっとダイナミックで正確なコミュニケーションの手段を導入することも、簡単にできるはずですが、あえてそのようにしない、日本の教育理念なのでしょうね。


思えば自分自身の小学生時代は、自分があまりにもだらしなかったために、うまくいかなかったり怒られたりすることがとても多くて、正直あまり思い出したくない時代だとと思っていましたが、今こうして小学校の世界観に触れると、小学校って、素晴らしいですね。
自分の取り組み方次第で、いくらでも楽しい場所にすることができたのだと、今は思います。

うちの子には、思いっきり、のびのびと、いろんなことに挑戦して、そして「学ぶ」「習得する」ということが素晴らしいことなのだということに気が付く、そんな小学校生活を送ってほしいですね。

「聞き分けのいい子」になんかならなくていいけれど、大事なことは絶対に守る、人の気持ちを考えられる子になってほしいものです。