座禅の修行の本当の意味を追求しよう | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

先日、前にいた部署の大先輩とお会いする機会があり、貴重な話を沢山うかがうことができました。
彼は主に科学的な観点から「人間」の構造や「思考」のしくみなどを独自に勉強されており、彼の学んだことや考えていることを聞くのは非常に勉強になります。

今回の一時間程度の話の中でも多数の興味深い話があったのですが、ここではその中でひとつ、「座禅を組んで精神統一をする」という修行の本質の話を紹介したいと思います。

我々一般の人間にとって座禅とは、精神統一のためのトレーニングのようなものというイメージがあるかと思います。それは間違っていないと思います。
また、よく座禅を組んで精神統一をすることで「無我の境地」に入り、悟りを開くのがゴールだといわれているように思います。そこも間違いないと思います。

さらにその「無我の境地」に入るためには雑念を取り払い、入ってくるものをあるがままに受け止めるようにすることである、といわれていると思いますが、その「入ってくるものをあるがままに受け止める」という部分に、座禅の修行の大きな秘密と、我々の大きな誤解があるようです。

何を誤解しているかと言いますと、「頭に入ってくるものをあるがままに受け止める」という行為は、大して頭を使わない状態、たとえば何か食べ物を食べているときに、それを美味しいと感じるならばその美味しいという感覚をそのまま受け入れ、まずいと感じるならばそのまずいという感覚をそのまま受け入れるといった状態を指すものと思っていました。
しかしながら、上記のような受け入れ方というのは、実際には人間の感情が乗った状態で受け入れている状態であり、既に「ありのままを受け入れている」状態ではないと考えられるのだそうです。
脳科学的に言うならば、五感から入った入力情報を前頭葉まで伝達する際に、脳幹部分を通過する時点で「ありのままの状態」で通過させずに、個人の感情を載せた形で通してしまう状況といえるようです。


本当に「ありのままを受け入れる」ためには、そういった個人の感情を載せることなく、五感から入った純粋な状態のままで前頭葉まで通して、究極的には前頭葉のみであらゆることを処理することであり、極めて人間らしい脳の使い方をすることなのだそうです。

つまり、座禅を組んで無の境地に入るトレーニングというのは、科学的に言えば物事を前頭葉のみを使って処理するためのトレーニングであると言えるかと思います。


我々は「仏教の修行」と聞くと、やはり仏教の歴史そのものが非常に長いということもあって、「古いもの」と考えてしまいがちなのではないかと思います。
しかしながら、仏教を科学的に解析していくと、あらゆる面で極めて効率的に人間の能力を高めるためのトレーニングや、生きていくために本当に必要なものを習得するためのトレーニングをするためのプログラムが満載であることに驚かされます。

またぜひ、科学的な観点から仏教について深く学び、生きていく上で必要なものを習得していきたいものです。