ホスピスに母が入っていた頃から、もうすぐ1年が経とうとしています。
おそらくもう二度と、あのホスピスに行くことはないだろうと思っていました。
実は、母が亡くなってホスピスから出てから一度だけ、ホスピスに立ち寄ったことがありました。
病室で見られるTVのプリペイドカードの清算をしたかったのと、やはりなんとなく気になっていた、というところがありました。
しかし実際に行ってみると、ホスピスの入り口からしてすでに違っていました。
その違いというのは・・
自分が初めてホスピスに行った日(12月19日)から、母が亡くなる日(1月5日)までの間、ずっとその入り口にはクリスマスの装飾がされていました。
そのクリスマスの装飾のおかげで、ホスピスに行くという暗くなりそうな状況も、いくらか緩和されたものでした。
ところが、後日(確か2月)に立ち寄った時には、まあ当然ではありますが、その装飾はなくなり、「ホスピス」という文字だけが書かれたさびしい入り口に戻っていました。
それだけでもなんとなく入りにくい感じになっていたのでした。
あれから随分時間がたち、母の法事(四十九日や初盆など)もなんとかこなして、やっと夢の中で見る母も健康だったころの姿に近くなってきた頃に、病院から案内状がとどきました。
それが「ホスピスの思い出を語る会」の案内でした。
正直なところ、あまり参加するのは乗り気ではありませんでした。
もう、あのホスピスには行きたくないと思っていたからです。
しかし一方では、ホスピスの先生や看護婦さんにしっかりお礼を言うこともできていませんでしたし、他の患者さんの家族の方たちの話を伺うこともなかったので、いい機会になるかもしれないと思い、参加することにしました。
参加して最初に驚いたのは、その参加者の多さです。
おそらくこの一年でホスピスでお世話になった患者さんの家族が参加していたのだと思いますが、70~90人くらいはいました。
それだけ多くの人が、この田舎の病院のホスピスから旅立っていかれている、という現実も垣間見られましたし、末期がんやAIDSといった治る見込みが非常に薄い病気がどれほど多くの人たちの命を奪っているのかを、体感する機会にもなりました。
その一方で、当時ホスピス科にいらっしゃった多くの先生・看護婦さんたちがすでに異動されていました。
これは想像ですが、やはりホスピスで働くというのは精神的にも肉体的にも相当つらいものだと思います。それであまり長く働かれる方が少ないのかも知れない、と思ったのでした。
それでも、その「ホスピスの思い出を語る会」でお話を伺うことのできたご遺族の方々は口をそろえて「看護婦さんや先生がすごくやさしくて、いい対応をしてくれたのでホスピスの印象が明るいものになった」といっていました。
おそらく今度こそ、あのホスピスを訪れることはもう二度とないと、そう信じたいところです。