カモの雛は、生まれて最初に見た生き物を自分の親だと認識すると言われますが、人間にも少なからず似たような傾向があるように思います。
つまり、最初にそれを見たとき、もしくは最初にそれを体験したとき、その最初の印象でその基準を決めてしまう傾向にあると思います。
例えば、初めてスキーをやったとしましょう。
もしもその日、偶然素晴らしくコンディションが良くて、いいインストラクターに恵まれて、すべてが順風満帆に進んだとすれば、その人にとってのスキーは「楽しいこと」として脳裏に刻み込まれると思います。例えその後少々スキーで痛い目にあっても「こんなこともあるさ」と楽観的に考えることができて、スキーそのものは相変わらず「楽しいこと」のままだと思います。
逆に、その初スキーが散々なもので、運悪く初回からいきなり転倒して骨折してしまったとしましょう。きっとその人にとっては「スキー=危険なもの」という印象が脳裏に刻み込まれてしまい、たとえその後少々他人からスキーの楽しさを吹き込まれても、簡単に変わることはないでしょう。
恋愛なども同様のことがあるように思います。
出会ったばかりのころは物凄く優しかった恋人が、今ではすっかり冷たくなったどころか下手をすると手をあげるようになってしまったとします。
しかし、最初に出会ったときに「この人は優しい人である」という基準が、その人の中に植え付けられてしまっているため、いくら冷たくされても「いや、今の状態は一時的なものであって本当の姿ではないはずだ。だから今は我慢しよう」と思ってしまう、という例は少なくないように思います。
そして最も大きいのは、少年少女時代に「人生というのはどういうものであるか」を最初にどう思い込むか、ということだと思います。
これはほとんどが親から教えられたり、親の生き方を見てそれを基準として植えつけたりすることで形成されると言われています。
しかも、子供は9歳くらいまでの間は親の言うことやしていることを無条件に「標準」として受け入れると言われています。
したがって、子供が9歳になるまでの間に、親がいい加減なことを言っていたり、だらしのない生活をしていたりすれば、子供には必然的にそれが「人生の標準」として刷り込まれることになり、簡単には変えられなくなります。
逆に、9歳までに親の精一杯の愛情を注がれた子供は、人生の標準としてその愛情を持つことになるため、たとえその後少々世間の荒波にもまれても、その愛情を忘れない人間になると言われています。
したがって、子供には9歳までにいかに親の愛情を注ぐことができるかが重要であるということになると思います。
一方、我々大人の場合は、最初に体験するものにはできるだけ良い環境や状態で臨むことが成功の秘訣になるのではないかと思います。
もしもこれから初めて、例えば油絵を始めるとしましょう。
その時は、できるだけ気持ちよく始められるように、道具は良いものを揃えて、じっくり時間をかけられる時期を選んで、できれば最初だけでも良い指導者に習うようにするなどの工夫をすることで、自分の脳の深いところに「油絵とは楽しいものだ」という第一印象を植え付けることができるはずです。
そして良い第一印象ができてしまえばこちらのものです。その後少々油絵を描いていて息詰まることがあったとしても、あなたにとっての油絵の基準が「楽しいもの」である以上、また続ける気持ちになる可能性が高いと思います。
それでは、もう体験してしまったものの基準は変えられないのでしょうか?
もちろん、そんなことはないと思います。
確かに、最初の一回目で脳内に構築される「基準」のように簡単には変えられないと思いますが、その基準を打ち破るくらいの圧倒的な経験量や、衝撃的な経験などを積むことによって、やがて深層心理の中まで塗り替えられるような「刷り替え」が可能になると思います。