横浜高校監督としての歩み
渡辺元智は1944年11月3日、神奈川県松田町に生まれました。出生時は田中家の次男で、養子縁組により姓が渡辺に変わります。高校時代は右投左打の外野手・内野手としてプレーし、甲子園への出場はありませんでした。
神奈川大学在学中に右肩の故障で中退し、工業会社に勤務した後、酒に溺れる生活を送っていました。1976年に関東学院大学夜間部へ通い、社会科教諭免許を取得しました。取得後は教育者としての道を歩み始めました。
1965年に横浜高校硬式野球部の部長に就任し、1968年秋には24歳で監督に就任しました。以後、1980年からは神奈川県高校野球監督会を開催し続けました。結婚して二人の子をもうけ、孫には東北楽天ゴールデンイーグルスの渡辺佳明がいます。
指導実績と主な教え子
1973年第45回選抜高等学校野球大会では永川英植エースを擁し、横浜高校は初出場・初優勝を果たしました。1980年第62回全国高等学校野球選手権大会では愛甲猛投手を軸に優勝し、学校の実績を大きく伸ばしました。1998年には春夏連覇と明治神宮大会・国体で4冠を達成し、公式戦44連勝を記録しました。
2006年第78回選抜高等学校野球大会では福田永将らを擁し優勝し、1970〜2000年代全年代で全国制覇を達成した唯一の監督であるとされています。甲子園通算成績は51勝22敗で歴代5位タイ、春夏甲子園5度優勝で史上3位に入ります。選抜大会出場は15回(23勝12敗、優勝3回)、全国大会出場は12回(28勝10敗、優勝2回)です。
通算27回の甲子園出場で勝率は0.699を記録し、松坂大輔、愛甲猛、成瀬善久、涌井秀章、筒香嘉智、近藤健介、柳裕也、伊藤将司、浅間大基など50人以上の選手をプロへ送り出しました。松坂大輔は1998年春夏連覇のエースとして活躍し、後にプロで長く活躍しました。浅間大基は横浜高校卒業後に北海道日本ハムに入団し、2024年クライマックスシリーズで先発しサヨナラ適時打を放ちました。
晩年と遺産
2015年5月14日に持病(腰痛・メニエール病)等を理由に、2025年夏大会で退任する旨を表明しました。後任監督に平田徹、後任部長に金子雅が就任し、渡辺元智は横浜高校の終身名誉監督に就任しました。名誉監督は2017年1月30日に退任しました。
退任後は渡辺元智が高校野球中継のテレビ・ラジオ解説を務め、2024年8月21日に解説活動を引退しました。受賞歴には2011年第60回横浜文化賞、1994年・1998年の第1回AAAアジア野球選手権大会日本代表監督としての優勝、2004年第21回AAA世界野球選手権大会日本代表監督としての準優勝、2016年第65回神奈川文化賞(体育部門)受賞、同年11月14日の松田町ふるさと大使委嘱が含まれます。
2026年8月17日、81歳で死去しました。松田町長本山博幸は哀悼のコメントを発表し、松田町役場は2026年8月20日から9月18日まで追悼コーナーを設置しました。松坂大輔ら多数のOB・プロ選手が追悼コメントを寄せ、横浜高校の野球指導者としての功績が確認されました。