AI知能で作られるものが 今現在 大きな可能性を携えて 21世紀の時流のなかに 新たな産業として 生まれて久しい。以前の学術論文みたいな ブログの時にも やはり 問題として提起した覚えがある。AI知能VSHandmade 山川はどう思うか。あれから4年たち 自ずと AI知能産業のほうが 少しずつ力を増しています。AI知能産業とは何か。今 やはり考えます。世の中は AI知能産業志向の人と Handmade志向に2分化されてきている。AI知能産業の大元は 人間の叡智を結集したもの。それ以外の何物でもない。AI知能産業は たくさんの人間の叡智から生み出された 数々の至高の芸術をもとに いろんなパターンの組み合わせで 息づき始めている。服飾でいえば パターンができていて その組み合わせで 新しいファッションを作っているともいえる。AI知能産業とは 詰まり 既製服を作り始めているようなもので それを 世界中の人が それぞれの思考の癖に併せて アレンジしていく 新しい既製服の型紙を作っているようなもの。オートクチュールは 服飾界では 最近は 気位が高く 庶民を寄せ付けない ある一部の者たちの ファッションのあり方である。山川の日本画は 不器用か知らないが 元の原画から生み出された絵は それが大下図とするとしたら 一つの同じ感覚の作品から 違う要素というか 発展した作品が現れる。作家としては当たり前なのだが 模写にもならなくコピーにもならない。似ていても非なるもの。人の能力が生み出すパターンは 技術を増すことに 増え続ける気がする。その失敗と変化は 買い手に取り 魅力的に映るのやもしれん。AI知能産業には それが不可能。同じもので出来合いのものを作ることはできるが 元のパターンの 源泉は 今までの貯金が貯まってできている形。自由に見えて 自由には限度がある。でもそれだけ多くの作品があったということは とても素晴らしいことだが どこかで あの時の音楽と似てる あの時のフレーズと似てる、そういう視聴者は出てきて その違和感を伝え始めるだろう。二三日前 AI知能が 山川の日本画家のプロフィールに 山川本人が デタラメのことをいうな 作りすぎだと クレームをつける文章を書いて ブログを出したら なんと その直後 グーグルのプロフィールAIモードが ツボを押さえた話だったらしくて 即反応し パニクって いろんな人に 新しい情報が欲しいと 叫んでいて わたしは笑ってしまった。グーグルAIモードも かわいいものである。敏感に反応するのも面白いが 資料がない情報がないと 色んな人に 意見を求めているのが 涙ぐましいというか 笑ってしまった。そのくらい 大したことないなと 山川 AIモードに関しては 前からそれほど 期待してない。結局 あり合わせの情報で 当たり前のように いろんな情報を上げてくるのも分かり その自由さが とても浅いなかで起きているのを知った。詰まり AI知能は 哲学を持たないから いくらでも柔らかに出来合いのものを作ることができるのだ。それには必ず限界があるとみている。世の中は 既製服とオートクチュールのどちらが 好きかのどちらかを好むかどうかの 時期になってきており 私の行く先では Handmadeで 型紙から起こす そんなファッション 詰まり オートクチュールが 俄好きな人たちには 流行している現実を 今日もみている。絵の世界も同じではないか。comceptを 作家が持っているということは 必ず高級仕立ての世界は残ると思うし 独我唯尊的な思考は 今 尊重されてきていると思う。
山川令瑚