【りんごの思い出】
針治療の日、生憎の雨だが出かけた。
治療が終わり医院から一番近い青果店に寄った。雨も止みそうにないので、妻に重たい買い物を持たせてはと思いバナナを買った。ついでにりんご四個入り一袋も買った。
私は十九歳の時、母親を癌で亡くしている。入院して四年目の秋の事だった。
父と交代で入院の見舞いを欠かさずしたが、突然退院許可が出た、父は許可が出た理由を知っていたが、私には詳しく知らせてくれなかったが、おおよそ見当がついた。
亡くなる年の夏休み頃に母親は、もう食欲もなくげっそりと痩せていた。
ベッドに寝たきりの母親が「りんごを食べたい」と言った。
デパートから高級果物店に至るまで、大げさな表現だが大阪中を探し回った。
ある高級果物店では、暑い時期は何処にもない、干したりんごならある。
干しりんごは味が違う、それならばと高級果物店に引き返し缶詰めは無いかと聞くと、今は無いと言われて肩を落とし家に帰ったことがある。
今のような飽食の時代ではなく、まだまだ食料に関しては十分でなかった。
買って来た‘りんご’を美味しいという妻、心の中で四十年前、母親に食べさせられなかった悔しさと現実が混じって何故か虚しい思いが胸の中に広がった。