数日前から”エイブラハムの瞑想”をはじめて、ようやく「何のために瞑想をするのか?」が理解できた。
何のためにするのか?が理解できたら「どうするのがいいのか?」もわかってきた。
瞑想の目的は
『ソースと同調するためのトレーニング』
ソースと同調するには”いい気分”でいること。(”いい気分”はソースと同調しているサイン)
自分の中に抵抗波動を生み出さないこと。
考え事をしたり、心配したり、自分を責めたり、悔やんだり...、気分がわるくなることを味わうと抵抗波動が生まれる。そういう状態を起こさず、”いい気分”でいること。
ソースと同調していれば、物事がすべてうまくいく。
インスピレーションがどんどん届く。
シンクロの連続が起こり、奇跡や魔法を体験しているかのごとく、面白いように現実が展開する。
だから、意識的に意図的に、ソースと同調できるようになれば、いつでもすべてがうまくいくようになる。
そのためのトレーニングが”瞑想”。
だから瞑想中は、”いい気分”でいること、”気持ちいいー”と感じることがたいせつ。
ソースと同調する習慣を身につけるのは、とても意義あること。
瞑想をすると人生が好転するとか、潜在能力が開花するなどといわれるのもこのためなのだろう。
何もしようとせずただリラックスする
いい気分で深く呼吸することを楽しむ
集中力は要らない
イメージするものもない
何も考えない
何も描かない
目標や願望も立てない
力を抜く(脱力する)
考え事をせず、時間を気にせず、リラックスして
いい気分でいる。
気持ちよくいる。
この宇宙の圧倒的な基盤である『Well-Being』は、広大な宇宙の『無上の幸福』のエネルギーの流れ。
この宇宙に存在するすべては、常に”よりよい方向”へと流れるようになっている。
抵抗さえしなければ、すべての源である”ソース”と同調する方向に流れる。
自ら抵抗波動を生み出して堰き止めない限り、自然にこの流れに乗る仕組みになっている。
(だから本来的には「がんばらなければうまくいく」ようになっている)
そもそも私たちの中心には、ソースのエネルギーが自然に流れ込んでくるようになっている。
(抵抗波動を出すとその流れが堰き止められる)
物質世界に生まれ来る前は、誰もがこのことを知っていた。
だから安心して物質世界でも”創造”を楽しむことができると思っていた。
ところが、成長するにつれて、物質世界にあふれる抵抗波動にすっかり同調してしまい、黙っていると抵抗波動を出す感情や思考が優位になるようになってしまった。
幼児期くらいまでは、Well-Beingの流れに乗っているのが普通だった。
常にソースと同調して、自分の本心、本能に従って行動していた。
どんなときでも”いい気分”になるための行動をしていた。自然にそうしていた。
自分に集中しているし(視野が狭いことの恩恵)
深く考えていないし(思考が未発達の恩恵)
”今”にしかいない(時間の概念が根付いていない恩恵)
そうしていれば、自然にWell-Beingの流れに乗って、”無上の幸福”は絶えず流れ込んでくる。
つまり瞑想は
『何も考えず、外に意識を散らさず、時間を忘れてボーっとする』トレーニング。
いい気分で、気持ちよくなるための練習タイム。
すべてを放置して、”何もしない”という豊かさを味わうご褒美タイム。
変性意識や超常現象を体験しようと意気込む必要はない。
何かを得よう、何かを変えようと思わなくていい。
リラックスしようとがんばらなくていい 笑
「これから何分間は”いい気分”で居る」とだけ決めて、目を閉じ、深くゆっくりと呼吸するだけでいい。
とかく何もせずに過ごしていると、思考が活発になって、「動かなくていいのか?こんなことしてていいのか?この時間があれば用件を一つこなせるぞ。こんなことしててもお金にならないぞ...」と、じっとしていることに罪悪感や焦燥感を抱かせようとしてくる。
競争社会を生きていると、”じっとして過ごす”とか”ボーっとして過ごす”という行為は、”生産性のないムダな行為”に感じられる。
それほどまでにゆとりを廃して急ぐのは、じっとしているのが怖いだけなのかも知れない。
ともあれ、ここから軽やかに、幸せに生きるには、Well-Beingの流れに乗ること(抵抗しないこと)
そのためにも
ボーっとする習慣をつくる
いい気分でいる習慣をつくる
”何もしない”ことの歓びを知る
そうやって
ソースと同調する習慣をつくる