セドナメソッドについて改めて考察しているので書いてみます。



あくまでこれは私の【思考実験】なのでその点ご了承をレンチロボット


セドナメソッドについて私が引っ掛かった部分についての考察は過去記事にあるので













これらの前提を元にさらに考察を続けます。
(表面的には「また同じこと言ってるだけか、、、」となると思うので多分過去記事読まなくても大丈夫ですウインク)


このあと最低でも5、6記事続きます。相当長くなるので結論だけちゃちゃっと言え!って方にも向いてないので先にお知らせしておきますグラサン
そもそも私の思考過程を書いているだけなので「これぞ!」みたいな結論もないですし。



黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま


また本から引用させて頂きます

「人生を変える一番シンプルな方法」
著者:ヘイル・ドゥオスキン


  解放のための基本的な質問



今、何を感じていますか?
その感情を
認めることはできますか?
⇒はい/いいえ

それを手放せますか?
⇒はい/いいえ
手放しますか?
⇒はい/いいえ
いつ?
⇒ 今


多分世に出回っているセドナメソッドの基本はこれなのでしょうが、私はここでどーーーーしても引っ掛かって

(本でいうとp40)

ここからちっとも読み進められない。


本を読むスピードは早い方なので、文字を追うだけならすぐに全部読めるはずなのですがいっつもここで

うーーーーーーん(;゜゜

となって進めない。


その理由がやっと分かった。




この過去記事でも

感じるとは?感情とは?

の謎は一旦解いたんですが

さらにまた一歩進んだ。



感情と

感じているものは別だ、という理解。




人は感情を表すときに


私は怒っている

と言いますが
これをより正確に言葉にするならば

私は今「○○」という出来事によって発生した怒りという感情エネルギーを経験していて、体が熱くなったり胸が焼けつくような感覚を味わっている。

これを端的に言うと

私は怒っている!

です。


そして
感情を手放せますか?

という表記だと私は

「怒り」という
【感情エネルギーそのもの】
を手放しましょう
それを消しましょう

と言われているような気がしてしまう。だから混乱する。
しかし、本をよく読めばそんなことは書いていない。
要は端から端までよく本を読めば奥にある真意は読み取れるのですが私の研究不足ゆえに感じていたこと。



「その感情を手放せますか?」

という字面から受ける私の個人的な印象で行き詰まっていた。


その感情を手放せますか?

で行き詰まるのはその
【感情そのもの】
をなんとかしなくてはいけない、に陥って行き詰まる。

(慣れてくると感情エネルギーそのものを手放すことも出来るのかもしれないですが、私はまだその段階に行ってない)


もう一度私の感情の定義を。

私は今「○○」という出来事によって発生した怒りという感情エネルギーを経験していて、体が熱くなったり胸が焼けつくような感覚を味わっている。


私にとって感情とはこういうこと。
これに気付いた時にひとつの閃きがあった。



あ、もしかして
「○○」という出来事や
【怒りという感情エネルギー】
はそのままでいいのか?


それによって二次的に発生している体が熱くなったり胸がムカついたりするこの
「私の感覚」だけを扱ってみたらどうか?


つまり
「○○」という出来事はそのまま置いておく。
そこに怒りの感情エネルギーがわいていることもそのままにしておく。


その怒りが発生したことに
反応している私の感覚
だけを扱う。

それならば扱いやすい。
何故ならば、その感覚は
(私の場合は身体感覚がわりと認識しやすい。どの感覚がとらえやすいかは人それぞれ)

今私がテーマを決めたから発生したもの。

「○○」という出来事は変わらない。
それについて腹が立つ、怒りがわくことも変わらない。


ただ、そのテーマを思い浮かべた時に身体感覚が変わったのは

自動的とはいえ私が意図的に起こしたこと。


その【感覚】
ここに出している例で言えば

体が熱くなり胸が焼けつくような
【感覚】は
24時間365日、一瞬たりとも欠けることなく感じているもの

ではない。


てことは
私が作ったものだ。
そう思えない場合でも
私が作った、ということにしてみる。


だって、その出来事を忘れているときはその感覚はない。


私にとっては
【怒り】という感情エネルギーと

その時に感じている
【感覚】

は別物だ。



それが別物であることの解説は
英文を用いて③の記事でさらに解説しますのでここでは別物である、という前提で話を進めます。


その感情を手放しますか?

の質問が私にとって難解な理由に戻ると


誰かに「○○」されたことにものすごく腹を立てている。その怒りが消えない

ということを解放のテーマにしたとする。


すると

その感情を手放せますか?

の質問は

その怒りを手放せますか?

の意味に聞こえ
しかも怒りを手放すというのは


その相手を許せますか?
「○○」された、という出来事をなかったことにしましょう
そんなことは忘れましょう
そして怒りを手放しましょう

私は無駄に想像力が豊か(自分で言うにやり)なので勝手にここまで意味を膨らませてしまう。

そして

なんであんなことをしてきたあいつを許さなきゃいけないんだーーー!!!
絶対に許さない!
絶対に忘れてやるもんか!
怒りを手放せ?
はぁ?!!知るか!
手放さなくていいいわ!!
勝手に怒らせてといてくれ!ほっといてくれ!!


になる。


はい、これ勝手に自分の脳内でやってるだけです。
誰にも強制なんてされてない。
誰もここでは許せなんて言ってない。


手放しましょう
許しましょう

と勝手に決めたのは私。


なぜこうなるのかは
また次で解説します