に面白いコメントを頂いたのでさらに考察してみることにしました!ありがとうございます!他者からの視点も頂けるとまた考察が深まります。

ちなみにここには直接コメント載せないので前記事参照してください。

元々セドナメソッド記事


から私のブログにたどり着いて、前記事も読んでコメントしてくださったそうです。


コメントを頂いて気付いたのですが
「他人を悪くいうことは自分を縛ること。だから自分を縛ることをやめる。」
なるほど、これも手放しっちゃ手放しか。
そして手放しと言えばセドナメソッド。自分でセドナメソッド記事も書いてるくせに完全に失念していました。
よく言えば今を生きる人。
悪く言えば目の前の事しか見えてない視野の狭い人。ウギャア滝汗
私は今を懸命に生きる人ってことにしといてください笑い泣き笑い泣き笑い泣き


閑話休題。
改めて手放すとはなんぞや、セドナメソッドとはなんぞや、コントロール欲求で自らを縛るのをやめるとはなんぞや、を考えてみます。
前記事で書いたことは三行で書くなら次のとおり。

人を悪く言うこと、それすなわちコントロール欲求である。そしてそのコントロール欲求は他人ではなくまず己を攻撃し、己を縛り苦しめるもの。


この閃きが来たときは、頭で理解しようとしたんじゃないです。物理的な体感として
「あ、苦しい。ヤバイこれ」
と実感しました。導き出される答えはただ一つ。

今すぐやめる。自分が発しているのだから、やめる選択肢は私の手のなかにある。


ここで言い訳ターーーイム。
そんなん言うても、人間ですから思っちゃうには思っちゃいます。そんな急に聖人君子にはなれません。
逆に他人を悪く言ってる人に「バカだなぁ。自分が苦しいだけだからやめればいいのに。見てるこっちが不愉快だわ!」というまた新たなジャッジも生まれたり(笑)難儀よのぅ。


じゃあ意味がない、と諦めてしまうことも出来るけど気づく前とあとで決定的に違うのは人を悪く言うことの【正体】を知っているか知らないか、です。


他人を悪く言うとその瞬間に自分がギリギリ縛り上げられると正体が分かっていてもあえてやるのか、他人を悪くいいながら「私が正しいもん!あの人が絶対的に悪いもん!」と自分で自分の首をギリギリと締め上げていることに気付かずに己の正当化を叫び続けるか、の差です。
人の悪口年がら年中言ってる人で美しい人や素敵な人っていないですしね。その時点で・・・まぁやめときましょう。


あくまで私の体感の話しか出来ませんが正体が分かったあとは体レベルでキューっと肩に力が入ったり喉が締め付けられていく感じがあるので、そうそうやり続けられません。おそらく正体が分かる前から体はその状態になっていたのでしょうが、頭が体の状態に気付けていなかったようです。



そこに気付けているかいないか。
はぁ、武術稽古と一緒やん。


昔から言われている道徳的な話は、こうせねばいけません!!ではなくて
「それをすると本当に自分が困るからやめときなさいよ」という先人の優しさなのではないかなと思いました。


他人を悪く言うもんじゃないよ

なんておばあちゃんが諭してくれそうなお話ですがそれは

優しい心が大切だよ

みたいなフワッとした精神論ではなく

他人を悪く言うとガチで自分が被害受けるし、被害拡大するからやめときな真顔

という現実的なアドバイスだと考えた方が腑に落ちる。
「あんたまだ頭では分かってないかもしれないけど、体はおかしくなってるよ」という客観的なアドバイス。
バチが当たるよ、という言い回しもきっと方便なのでしょうね。


続く