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オーストラリア生まれのパーシー・グレインジャー(1882~1961)は僕の大好きな作曲家。

ピアニストとしても有名ですが(むしろ僕は最初ピアニストとしてしか知りませんでした)、彼の価値はむしろ作曲家としての比重の方が大きいのです。

彼の作曲の姿勢の根底にあるのは、広義の(彼からしてみれば)お高くとまった『クラシック音楽』と、芸術的価値が低いとされる『大衆音楽』との境目に、どのような意味も持ち込むべきではない、というものでした。彼自身「ラグタイム階級がバッハやドビュッシーを充分に楽しむことが出来ず、またクラシック階級がラグタイムを充分に楽しむことが出来ないと思うと心が痛む」と言っているほどでした。作曲家グレインジャーは、音楽を縛っている息の詰まるような因習をぶち壊すこと、聴き手に対して親しい友のように、「普通の男」として見なしてもらう事を望んでいました。

グレインジャーのそうした音楽は、大衆的な『家庭音楽』として書かれたブラームスハンガリー舞曲集や、同じ意味合いを持つドヴォルザークスラブ舞曲集、「作曲家は人々から受け取ったものを人々に返すだけだ」と語ったロシア国民楽派の祖であるグリンカ、またノルウェー民謡をベースに大衆的な作品を書いたグリーグらの伝統を受け継ぐものでした。

それは演奏活動の上でもはっきりと現れている。例えば1928年にハリウッドボウルで開かれた彼の演奏会の後、その2万人近くのオーディエンスの前で、予告なしの結婚式を開いたり、ある演奏会場から次のコンサート会場まで、田舎道を徒歩で行く手段をとったりしていた。

彼はクラシックの演奏会の持っている窮屈な、悪い意味での華やかさを嫌っていたし、当時世界トップレベルのピアニストでありながら、そうした空気の中で行う自身のピアノソロの演奏会に感じる重圧感を苦痛に感じていました。彼自身ピアノ以外の楽器と接することが第一の楽しみでもあり、あの時期には楽器会社から毎週ひとつひとつ違ったリード楽器や金管楽器に親しみ、程度の差こそあれほとんどの楽器を演奏できるほどになっていたといいます。その後に1数年間従軍し、そのさなかに軍楽隊でオーボエとサックスを吹いて暮らした時期を「生涯で最も幸福な時期」だったと述べています。それはピアノのリサイタルという圧迫感から逃れられるという幸せだったのでした。

そんな彼が造り上げる音楽は、多くは各地の民謡や俗謡、若者達が口ずさむ鼻歌、酒場のヴァイオリニストが弾いた旋律やダンス・ミュージックなどを取り入れたものです。各地の民謡を取り入れて独自のスタイルで作曲…と聞くと、自ずとハンガリーのバルトークを想像しますが、グレインジャーのそれはバルトークの目指した芸術性とはかなり遠いところにあると思われます。なぜならその響きは彼の作曲姿勢、生き方の姿勢にあるとおり、無類の親しみやすさ理屈抜きの感情の美しさ心よりも体が先にワクワクしてしまうような大衆的な性格を持っているところにあると言えるでしょう。

モリス・ダンスのヴァイオリンの旋律を使用した<シェパーズ・ヘイ(羊飼いの踊り)>や、クロッグ・ダンス(木靴踊り)を模して作曲した<ストランド街のヘンデル>などは、前述した理屈抜きの音楽とリズムの喜びを感じさせる、単純ながらも美しい佳作だと思いますし、伝統的なスコットランド民謡を使用した<ボニー・ドゥーンの堤よ土手よ>や母国オーストラリアを懐かしむ気持ちから、母に捧げられたオリジナルの<コロニアル・ソング(植民地の歌)>、西サセックスの民謡による<陽気な王様>などはその民謡の持つ素朴さ、温かさに体温のこもった涙がつたうほどに感動的な作品。その他にも組曲<早わかり>組曲<リンカーンシャーの花束><ユトランド民謡メドレー><子供のマーチ>など、その作品の数も無数にあるといえます。

グレインジャーの作品群は、(中には単純さのみで書かれた作品があるにしても)その書法はその当時としてはかなり前衛的であったともいえます。ストラヴィンスキー<春の祭典>で楽壇に騒ぎを呼び起こすのよりも前に、彼はダンス音楽<戦士たち>を完成させていますが、この曲の演奏のために彼はオーケストラの団員の配置図を用意し、前衛作曲家さながらの複雑な音楽を書いて3人の指揮者にそれを制御させ、壇上にガムランばりの「旋律打楽器のセクション」を起き、舞台裏には金管6重奏を控えさせるという前代未聞の作品を完成させていました。その上オブリガートのためのピアノを「最低」3台用意するように、との指示まであるほどです。彼の作品郡の中でも最も異例な、最もチャレンジ精神を見せた作品のひとつにあたるでしょう。

彼が今の世になってもなおメジャーな作曲家として残っている人たちに肩を並べられないのは、ある意味仕方のないものだと思います。というのも彼の音楽の大半は、芸術性よりも大衆性を目指した物であったし、クラシック音楽が目指す精神の深遠さを掘り下げることのできる音楽とはかなり遠いところにあるからではないでしょうか。そういう意味では、いかに革新的な書法で書こうと、ノン・メジャーの立場になってしまうのは明らかとなってしまいます。

しかし彼の書く音楽を、一度でも耳にしてみてください。そこには民衆の喜びが、人々の温かい生活の営みが、毎日の小さな喜びや悲しみが待っています。たしかに深遠ではない、けれども自然な人間が、彼が目指した「普通の人間」の素直で豊かな感情がそこにはあります。ああ、人間とはこうした気持ちを持ってまた明日を生きてゆくのだなあ…と。それもまた人間本来の美しさともいえるのではないでしょうか。


ヘッドフォン グレインジャーの音楽 ヘッドフォン


Percy Grainger, Richard Hickox, BBC Philharmonic Orchestra
Percy Grainger Edition, Vol. 1: Orchestral Works
Stephen Varcoe, Percy Grainger, Richard Hickox, London Sinfonia, The City of London Sinfonia, Leslie Pearson, Penelope Thwaites, Mark Padmore, David Archer
Grainger: Works for Chorus and Orchestra
Percy Grainger, Clark Rundell, Timothy Reynish, Royal Northern College of Music Wind Orchestra
Grainger: Works For Wind Orchestra,Vol.4
William Byrd, Fryderyk Chopin, Robert Schumann, Charles Villiers Stanford, Percy Grainger
Percy Grainger plays Vol.II

この世界に「録音」という技術が生まれたのは今から約1世紀程前の話。最古のものを語ると、このところ連日話題に上がるJ・ブラームス1889年に録音した自作のハンガリー舞曲第1番などが上がってくる。その録音は録音時の事情と多くの戦争を通過したことによって状態が非常に悪く、現在のハイレベルな復刻技術でも隠せないほどの凄まじいのノイズと共にあるのだが。

今回はそうした古い時代、主に19世紀を生きた1人のピアニストを紹介したいと思う。

ヴラディミール ド パハマン (1848-1933) joachim-pachmann. ...

人生の大半を19世紀に過ごしたピアニストである。ショパンの没年が1949年であるから、たった1年ではあるが、彼と同じ時を過ごした人間でもあるわけだ。大ピアニスト、F・リストなどはもちろんまだ現役でバリバリ活動中であるし、ブラームスなどはまだ青年期、かの協奏曲第1番も完成していない。パリでは有名な2月革命の年、動乱の真っ只中である。こう考えれば、彼の残した録音はまさにロマン派をまさにその肌で感じ、ロマン派という空気の中でリアルタイムで演奏したものと捉えて間違いあるまい。

彼の得意とする作曲家ではやはりショパンを外すことはできない。

彼の演奏からは、今では考えも及ばないルバート、誇張ではなく本当の意味での羽根のような軽いタッチ、薫り立つような自由な歌い回し、規制されない奔放な即興など、当時ショパン本人はこの様に演奏していたのではないかと思わせる。演奏様式を知る上でもたいへん貴重なものであるとおもうが、そんな事より何よりも、本当に信じられないほど優雅な演奏なのである(ノイズがどうこうという事は最早話の内には入れていない)。

昭和期の日本のクラシック音楽の名評論家、あらえびす氏が著した「名曲決定盤」(中公文庫)の中でもパハマンは格別の評価を与えられている。そこで氏は彼の弾くショパンのソナタ第2番の第3楽章「葬送行進曲」についてこう述べている。

・・・それは啜(すす)り泣く美しさだ。諦めかけた美しさだ。棺を包む花束が揺れるのを、涙一杯溜めた目で見つめながら尊い賛美歌を聴いている美しさだ。


これ以上に美しい批評を僕は聞いた事が無い。また氏は、このレコードの為ならば、私の持つ他100枚のレコードを捨て去ってもよいとまで語っている。これを読んだ当時、僕はもう興奮冷めやらず、CD復刻がされていない事を知ってもなお諦めずオークションからレコードを落札し、永久保存するためにMDにまで録音してしまった。

ここ数年のCD復刻作業は目を見張る物がある。あそこまで熱を上げて探したのがたった6,7年前の事だというのに、今ではきちんと復刻され、別レーベルでもはや2枚も確認している。素晴らしいことだ!!

話を戻す。パハマンはピアニストとして勿論有名なのだが、奇人・変人としても非常に有名なのだ。

彼の奇行エピソードは枚挙にいとまが無いが、中でも有名なのは、

・ピアノの弾く上での指の力を高めるために、牛の乳搾りをしていた事。

・牛の乳搾りの際に、なんと牛乳ビンのフタを発明した事。

・夏冬関係なくぼろぼろのコートを身に纏い、「これは当時ショパンが着ていた物だ」といいふらしていた事。

・そのコートが着るに堪えなくなるとまたどこかから古びたコートを見つけ出し、同じことをいいふらしていた事。

・コンサートの時、椅子の高さがどうしても定まらず、いつまでたっても演奏が始まらなかった事。

・ついには会場の観客の1人にプログラムを拝借し、お尻と椅子の間に挟み、やっと満足して演奏を始めた事。

…もうここまで来ると変態(失礼!)といってもいいレベルである。

また、彼は録音時に喋りながら弾く(!)ことでも有名。ノクターン第9番のコーダ、不気味なレチタティーヴォの部分で急に喋りだし、音楽を台無しにしてしまったり(笑)、練習曲作品10 第5番黒鍵」などに至っては演奏の前にコメントが付されているくせに、数小説弾いた後に気に入らなかったのか「NO!」と叫び、弾きなおしてしまう始末。末尾部の両手オクターブ下降はゴドフスキーはこうやってたよ」と言い出し、右手の黒鍵オクターブ下降を「上昇」させてしまう。録音スタッフもさぞ焦っただろう。もう彼のやることには目が離せない!!笑

ヘッドフォン パ ハ マ ン の 録 音 ヘッドフォン


Fryderyk Chopin, Franz Liszt, Felix Mendelssohn, Robert Schumann, Vladimir de Pachmann
The Essential Pachmann: 1907-1927, Early and Unissued Recordings
Johannes Brahms, Fryderyk Chopin, Franz Liszt, Felix Mendelssohn, Joseph Joachim Raff, Robert Schumann, Vladimir de Pachmann
Pachmann: The Mythic Pianist, 1907-1927



外出のついでに立ち寄った中央線沿いの大手中古CDショップで素晴らしいCDと出会ったので、今日はそれを紹介したいと思う。



グリゴリー・ソコロフ(ピアノ) box set(5CD) 


CD1:ベートーヴェン/ディアベリ変奏曲

CD2:シューベルト/ピアノソナタ第19番

CD3:シューベルト/ピアノソナタ第21番

CD4:ショパン/ピアノソナタ第2番、練習曲 作品25

CD5:スクリャービン/ピアノソナタ第3番、第9番「黒ミサ」

    プロコフィエフ/ピアノソナタ第8番「戦争」

    ラフマニノフ/前奏曲 作品23 第4番



ピアニスト、グリゴリー・ソコロフ

国内ではほとんど聞かない名前であるが、まだ50代半ばに差し掛かるくらいのロシアの中堅ピアニストだ。

1950年の生まれで、1966年の第3回チャイコフスキー・コンクールで優勝したことで世界的にその名前は知られることになるわけだが、いかんせん日本国内での地名度は低い。それもそのはず、(何故か)国内で手に入るCDも少なく、その内容もあまり万人ウケするようなものではない。コンサートも95年の来日を最後に、ぷっつりと日本にはやってきていない。彼の演奏を知るにはその入手しづらいCDを聴くしかないのであれば、この知名度の低さもすぐに頷けるというものだ。

しかしこのピアニスト、知名度の低さとは裏腹に恐るべきピアニストだ。


僕が初めて彼の演奏に触れたのもこの中古屋さんで偶然手にしたブラームスピアノソナタ第3番を含むCDだっがわけだが、そのときもそのプログラムの地味さに一瞬買うのを躊躇したくらいだ。ソナタとカップリングされていたのが、4つのバラードという作品。ショパンの4つのバラードと名こそ同じだが、内容といえばあれほどのエレガントな技巧は一切用いないし、規模としてもけして大きな作品ではないからだ。


しかしそのソナタ第3番を聴いたときの事は、もはや事件といってもいいんじゃあないだろううか。


第1楽章の冒頭のワン・フレーズが部屋に流れただけで、もう完全にド肝を抜かされていた。全5楽章からなるこの長大なソナタが、非の打ち所の無いテクニックと、ブラームス特有の深い情感をいっぱいに湛えて一つの物語として訴えてくる。体の底を震わすようなダイナミクス、虹の如き色彩感、そしてなにより純潔を極めた弱音が、揺ぎ無い1つの建築物のような存在感で僕の魂を串刺しにしてきた。その音楽が終わっても、茫然自失で声も出なかったのだ。




前置きが長くなったが、今回また偶然にも出会ったソコロフのボックス・セット。

今日聴いたのはCD4だったが、やはり期待以上の演奏。


ソナタ第2番作品25も本当に好きな曲であるし、ソコロフの弾くショパンが尋常でないことは前奏曲集で実証済みだ。ソナタ第2番の第1楽章の前奏にはちょっと驚かされたが、「精神の不安定さ」を何故こう見事に表現できるのだろう。動機の変化による場面転換も本当に見事!!驚くほど敏感な感性だ。音色の多彩さにも舌を巻くばかり。何かから逃げ出したい、しかしその恐怖はどれだけ逃げてもすぐ足元まで迫ってくる。助けてくれ、助けてくれと叫び声を上げるがその声はどこにも響かず、不規則な足音は次第に体を呑み込んでいく…。圧巻!!

終楽章はクーラックに「墓場の上を吹く風」と形容されて有名なものだが、いかんせん両手のオクターヴ・ユニゾンのみの音楽なのでこの楽章の解釈は演奏者の手にゆだねられるところが大きいのだが、さすがソコロフ。ラフマニノフやコルトーにも負けずとも劣らぬこの不気味さ!!悪寒が走るほどの見事さ(?)!!!

練習曲に至っては本当に丹精な演奏。第2番などこの曲の本質を突いていると思う。ペダリングが美しい。第4番、左手跳躍の練習曲はルガンスキーの見事すぎる程の演奏に比肩するほど。第6番の3度のエチュードがこれほど詩的に響いたのを聴いたことはない!!二人のコロラトゥーラが歌っているかのよう!!そうか、これは3度の練習曲ではなく、「2声の練習曲」なのか!!

第11番のおなじみ「木枯らし」も華麗な指さばき。でもこれはベレゾフスキーのあの全てを語りつくしたかの様な木枯らしにはちょっと及ばないかも。しかし第12番大洋」はもうフルスロットルといった感じ。化け物か、この激しすぎるテンペラメント、圧倒的なテクニック、感情全てを吐き散らすかの如く荒れ狂うアルペジオ、そして時折覗かせるこの歌は一体何事だろう!!

彼の事を大好きなある先輩が、「ソコロフは最強だよ」といっていたが、言い得て妙だ。音楽家に対して「最強」の称号はなんだかおかしな気がするが、この大洋などを聴く限り、一番しっくりくるのが「最強」という名なのだ。

ソコロフは最高のピアニストの1人である。僕の心を掴んで離さない、彼特有の「音の圧力」といったようなものは、他では聴けない凄まじいものがあると僕は思う。のこり4枚も非常に楽しみだ。



ヘッドフォン ソコロフのCD郡 CD



Johann Sebastian Bach, Ludwig van Beethoven, Johannes Brahms, Fryderyk Chopin, Grigory Sokolov
Grigory Sokolov: Bach, Beethoven, Chopin, Brahms [Box Set]
Johannes Brahms, Grigory Sokolov
Brahms: Vier Balladen/Sonata in F minor
Fryderyk Chopin, Grigory Sokolov
Chopin: Preludes Op28
Prokofiev, Rachmaninoff, Scriabin, Sokolov
Sonatas / Prelude