初のblog『Theme mit Variationen~主題と変奏~』。
今日から主として自分の生活を彩る音楽やそれら周辺の事の感想、紹介などを書いていきたいと思います。
一つの音楽(主題)から湧き出る感興、その音楽にまつわるエピソードからリンクしてゆく生活や発見などを変奏と見立て、思いつくままに綴っていきたいです。
不定期な更新になってしまうでしょうが、どうか皆さんよろしくお願いします♪
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さて、第一回目を飾る音楽は、
J.ブラームス【ピアノ協奏曲第1番 作品15 ニ短調】
ピアノ:クラウディオ・アラウ
指揮:ベルナルド・ハイティンク
ロイヤル・コンセルトヘボー交響楽団
作 品 解 説 ![]()
1858年、ブラームス25歳の時の作品。53年にシューマンと出会い、楽壇に送り出してくれたそのシューマンが翌年の自殺未遂、56年に精神病院で不幸な死を遂げるなど、この頃の彼には実りも失う物も大きな時期であった。そんな中、54、5年ころの草稿を繰り返し改作し続け、心情を盛り込み、推敲に推敲を重ねたのだったが、初演は不評だった。原因としては『異常なまでの長大さ』だけでなく、肝心のピアノパートが『技術的な華々しさに欠けていた』という事が言える。
第1楽章:マエストーソ(堂々と)
第2楽章:アダージョ(ゆっくりと)
第3楽章:アレグロ・ノン・トロッポ(速すぎず)
クラシック音楽を聴き始めるきっかけともなった録音。当時高校一年生だった僕は音楽高校のピアノ科に在籍しながら、聴いていた音楽といえばゴリゴリのパンクロック。このブラームスも実家に無造作に積まれたCD群の中にあったものだった。
何の気なしに「クラシック音楽も知らねば」という極単純な動機で聴き始めたわけだけど。なんであってもあの時の衝撃は今でも覚えているし、現在また聴きなおしてもその感動は相変わらずだ。
作品解説でも書いた様に、この音楽にはショパンやリストに見られるテクニックの華々しさは無い。演奏時間的に見ても、
第1楽章 約24,5分
第2楽章 約15,6分
第3楽章 約12,3分
といったこの当時からすればガイキチ的長さ。先輩に当たるシューマンの協奏曲ですら全楽章でも30分程度なのだから、この当時の聴衆たちの不評も納得できる。余談だがピアニスト:グレン・グールドがバーンスタインとこの曲を演奏した際は、ただでさえ長大なこの曲の第1楽章を、更に恐るべき遅いテンポ設定で行った。グールドにはもちろん明確な根拠があったのだが、ブラームスの音楽に慣れ親しんだ聴衆にとってもそのコンサートは当時は非難の嵐だったそうだ。この録音はSONYからCD化されてリリースされている。
話を、戻す。
この演奏はチリ出身のピアニスト、クラウディオ・アラウによるものだ。彼を形容する台詞として「いぶし銀」というものがある。たかだか16歳の僕に「いぶし銀」の魅力の本質など分かろうはずもないが、それでもこの第1、2楽章の大半がオクターブと和音進行しかないこの曲の中に男の美学(大袈裟かもしれないが)を見出すことができた。それは黙して語らず、慌てず騒がず、しかしゆらゆらと揺らめく青白い炎のような情熱だった。そこには純然たる夢があった。逆らい難い意志の強さが、ものも言わず鎮座していた。単純に指が早く動くことに魅力を感じていた僕にとって、これは驚くべきことだった。
その感動は第3楽章で頂点に達する。
1,2楽章で揺らめいていた炎がここでついに動き出す。確固たる意志が行動を起こす。いきなりピアノの独奏から始まるが、この主題が何小節も進まないうちにもう体中に鳥肌が立つ。今でもそうだ。オーケストラの推進力もただ事じゃあない。これがブラームスの情熱か!!
要するに一言で言えばもう「超カッコいい」のである。
この音楽を聴くとき、いつも胸に去来するのは、「情熱の純度は、年齢など関係ない」ということだ。ブラームスがこれを作曲したのはたしかに25歳、若い頃だった。しかしこの音楽はそんな年齢など超えて語りかけてくる。いつになっても、どんな状況におかれてもこのハッタリではない情熱を持ち続けろと。背筋正して努力しろと。見せ掛けの魅力に惑わされそうになったとき、は、この曲を聴いて本質を見極めることにしている。
- アラウ(クラウディオ), ブラームス, ハイティンク(ベルナルト), ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
- ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
いわくつきの名・珍盤はこちら。
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- バーンスタイン(レナード), ニューヨーク・フィルハーモニック, グールド(グレン), ファセット(ジェームス), ブラームス
- ブラームス : ピアノ協奏曲 第1番ニ短調作品15