「人の見た目についてどうお考えですか??」


「ふむ」

 

 

 


「今、プチ整形がブームになっているようです。

20代の若い女性たちが躊躇なく整形手術をしています。

僕の職場にも整形したと言う女の子が何人かいます。

それについて、上司は

『親からもらった顔に細工をするなんてけしからん』

というようなことを言ってました」

 


「へぇ」

 

 

 


「相川先生のブログを遡っていると、

10年ほど前に『ヴィジュアルを手抜きするなんて贅沢は許されない』という記事がありました。

確かに、先生は和服や自衛隊の服など、個性的なスタイルを貫いてらっしゃいますもんね!

 オーダーメイドのスーツやシャツ、

それにレザーのバッグのコーディネイトがかっこよく見えます」

 


「ふむ」

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「相手の記憶に粘りつくインパクトを生み出すこと、

それはビジネス戦略をクリエイトする上で重要なファクターです。

どれだけいい商品でも、心に刺さらなければ売れない、

バズることはないわけですから。

先生が教えてらっしゃるのはそういうことなのかと解釈しているんです」


 

「まぁね」

 

 

 


「お教えいただいているように、真のブランディングとは、

偽りをすて本来の自分を生きることですよね?

そうすることによって、自然と他者と差別化されて個性的なヴィジュアルになっていき、

それが自然とインパクトを生み出すと」


 

「そうそう」

 

 

 

「しかし、日本の大多数の人たちはそれに同意できないのが事実ではないでしょうか。

実際問題、通勤電車の中は紺か黒のスラックスに白いワイシャツの人たちばかりです。

そして黒か茶色のビジネスバッグかリュックに、

髪型は黒で短髪とほぼ決まっています。

女性たちについても華美な服装はビジネスに好ましくないと指導を受けていますし、

あまり目立つと会社で浮いてしまってよくないわけですね」

 


「でしょうね」

 

 


「だから休みの日くらいはオシャレしようかな?腐女子になりたくないし。

という発想になって、日曜の銀座や表参道に少しオシャレした格好で出かけるわけです」

 


「へぇ」

 

 

 


「社会人として責任あるヴィジュアル、

のようなスタンダードがこの国にはあるのだと思います。

そんな中、先生のおっしゃる真のブランディングという教えは、

果たして現実的にどのように活用すればいいのか?

それについてお聞きしたいんです」


 

「やってみればいいんじゃないかね?」

 

 


「はい!実践を旨とせよ、ですよね。

そこで僕も思い切って髪を金髪にしたんです」

 


「ああそれでパッキンに」

 

 


「髪をパッキンにすると眉毛の黒が目立っちゃいますね。。

それから電車の中で隣に人が座らなくなったんです。

多分ヤンキーだと思われてしまっているのではないか」


 

「考え事してると顔が無表情になるからねぇ。怖いんだろうね」

 

 


「社内の規定に髪の色はありませんし、

同僚からも『おイメチェン?いいね』くらいに言われています。

特段不利益になるようなことはありませんでした」


 

「そうだね。そんなものよ。

ヴィジュアルについては、レベルが二つあるからそれについて整理しておこう」

 

 

 


「お願いします」


 

「一つは真の個性というレベル。

もう一つは不安と恐れに根差した貧しいレベルである。

まず一つめについて言及しよう。

それは君が今回パッキンにしたような事例だ。

試してみた、そうだね?

目立ちたいとかモテたいとか、そういう理由ではないよね?」

 

 

 


「モテたい・・・は、ゼロといえば嘘になります。

かっこよくスマートに見せたいという気持ちはありますから。

モテるに越したことはないと思います」


 

「うむ。美意識の割合の方が大きいね。 

そこだよ。 美意識。 

このヴィジュアルが好きとか、

このヴィジュアルでいると気分がいいとかそういうこと。

あくまで自分軸でいるということ。

そこには無数のスタイルが存在するから、一定のパターンなんてものはあり得ない。

本来の自分を生きている人ほど、

そのヴィジュアルが『その人らしい』んだよ。

例えばメンインブラックのスタイル」

 

 

https://www.imdb.com/title/tt0119654/

 

 

 


「ああ、あの宇宙人が出てくるやつですね。

ビシュっと光が出て記憶が飛ぶやつ」

 


「そうそう。真っ黒なスーツにネクタイ、黒いサングラス。

あれは個性を消した男たちっていう都市伝説の設定なんだけれど、

むしろめちゃくちゃ目立っているよね。

夏でも砂漠でも海でもあれだからやばい」

 

 

 

 


「そうですね。存在消せてないです。むしろ存在感出まくりです」

 


「うん。海外でステレオタイプの忍者なんかもおんなじよね。

白いビルの外壁を真っ黒な忍装束で忍者がワラワラ登ってたら死ぬほど目立っちゃう」

 

https://ninja-official.com/whats-ninja

 

 

 

 

 

 


「はい。存在消せてないですね」


 

「うん。ああいうノリ。

では二つめのレベル、不安と恐れに根差したヴィジュアルについて。

それは原宿だの池袋にいる若者たちが髪をピンク色にしたり、

変に胸を露出したり、

または山手線通勤電車ファッションの人たちのことだよ」

https://www.pretty-online.jp/news/1645/

 

 

 

 


「え?その両者は同じレベルとおっしゃるんですか?」

 


「そう。まず、その若者たちはただ真似してるだけだよね。

知らんけどポップスグループ?ロックバンド? 

流行に。

インスタグラマーだのユーチューバーだのコピー。

自分に似合ってるかどうかではなくて、

自分ではない誰かになろうとしている。

痛いだけだ。動機が自己アピールだから。

つまり、自分は不十分でダメな存在だと宇宙に向かって発信しているのと同義であるということ」

 

 

 


「そうですね。そういうのはチャラいですね。

でもそういう若者と通勤ファッションの共通点とはなんでしょうか?

エネルギーや意識レベルというお話ですよね?」


 

「その通り。

彼らの社内規定や道徳心がどうかは知らないけれど、

目立たないようにしているわけだよね。

自分を消している。

個性を消すというのは、宇宙では死ぬのと同じ意味なのだよ。

生きている意味がないからね。

人間は、自分の人生を生きるために生まれてきたんだよ。

それなのに自分の個性的なヴィジュアルを捨てるなんてあり得ないことさ」

 

 

 


「しかし、日本には、特に江戸にはさりげなくお洒落するという伝統が息づいているのではないでしょうか?

粋な男性が羽織の裏地にキラキラした絵を描いていたり。

これみよがしなファッションはかえって嫌われるという文化なのではないですか?」


 

「そのレベルで生きている人なんてごく一握りよ。

いらっしゃるけどね。

でも、そういう人は例えシャツにスラックスという通勤スタイルとの時でさえ自分らしい工夫をされているものだよ。

ネクタイピンやベルト、革靴。

それに髪型一つとっても、短髪だからといってスタイリングは自由だからね。

ましてや女性ならば?

Tシャツジーンズですらめちゃオシャレな人っているじゃないの」

 

https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/fashion/

 

 

 

 

 


「確かに、同じスタイルなのにオシャレな方はたまにお見受けします。

ですが、オシャレ度というのは、人間に数多くある才能というステータスの一つであり、

本人の生き方のレベルを示す決定的な要因とまでは言い切れないのではないでしょうか?

そう言い切る理由はなんでしょうか?」


 

「動機。それに尽きるね」

 

 

 


「動機ですか・・・通勤ファッションがテキトーなのは、単純に着飾るのが面倒なだけでは?

会社に『よく見られたい』と思う人がいないだけではないでしょうか。

そこは本気出すところではないと・・・」


 

「オシャレな人がレベル高い生き方をしていると言っているわけではないよ。

ブラジルでピラルク養殖をしている大好きなおじさまがいるんだけど、

このかたはいつもボロボロのポロシャツにパンツスタイルでね。

でも、いつお会いしても御光がさしているというか、

大きな存在に守られている雰囲気をひしひしと感じるよ。

そして、地球にとって本当によいことをピュアに追求されている、

このおじさまの心が100パーセント表現されているビジュアルだと思う」

 

 

 

 


「アァーーーーあの笑顔がとても自然体で素敵な鴻上さんですね!

僕もあのかたは大好きです」

 


「逆に、一般的に感じられるようなオシャレ度がものすごく高いのに、

偽りの自分を生きているような方もいる。

そういう人は、ブランド品に頼りがち。

なぜならステータスシンボルだから。

お金持ちアピール。

なぜお金持ちアピールをするのか?

それは、そう見せないと、自分が惨めに感じられるからだ。

そのような動機でどれだけオシャレ度をアピールしようともつらいだけだからね」

 

 

 

 

 


「そうなんですね。。。一概にオシャレで個性的だったらレベルが高いというわけではない。

そのビジュアルを選んでいる動機が大切だと」


 

「そうそう。まぁ、心のクリア度が低いのに、

オシャレについてだけはクリア度が高いという人もいるけれどね」

 

 

 

 

「そうですか」

 

「ブラジルに行った時に気づいたんだけどね。

当地には日本から移民された方々が数十万人住んでいる。

その中でも年配の方々が集まるパーティにお邪魔した時のこと。

70すぎたおばあちゃんが、綺麗な花柄の品のいいワンピでおじいちゃんと踊ってたんだよ。

おじいちゃんたちの方はお顔は日本人なんだけど、

おばあちゃんをエスコートする姿勢がなんともジェントルマンでカッコ良かったの。

感じたのは、オシャレしたいという気持ちに年齢は関係ないってことね。

だから、日本に住んでる日本の人をみていつも残念に思うよ。

ダサい。個性がない。歳のせいで着たい服を諦めちゃってるだろう?

そして、ブラジルは派手な文化で、日本は控えめな文化だからという主張も間違いだ。

ブラジル日系人社会には、戦前の日本の価値観が色濃く残っているからね。

和歌の会や武道なんかも盛だし、現代日本人よりよっぽど綺麗な日本語をお使いになっているよ。

それで確信したのさ」

 

https://ameblo.jp/voice-artist/entry-12528691629.html

 

 

 

 

「そのエピソードおもしろいですね!」

 

「他にも、イタリアのビーチに行けば、

おじいちゃんはブーメランパンツ。

おばあちゃんはビキニだよ。

ちなみに女の子は年齢関係なくほぼみんなビキニ。

おなかがドドーーーーーーー!!と出ていようと

足がドガーーーーーーーーン!!と太かろうと関係ない。

なんでビキニなのかは聞いたことないから動機はわからないけれど。

察するに、他人にどう思われるか?という意識が低いのかなと。 

要は着たい服をきる、だけなんだと思うけどね」

 

https://ameblo.jp/voice-artist/entry-12210406941.html

 

 

 

 


「お話を整理しますと、自分らしいビジュアルにしなさい、

ということですね。

不安や恐れから選ぶのではなく。

あ、今つながりました!

いつもおっしゃる『一瞬一瞬を気分よく過ごす』ことの一つが、

日常生活を疎かにするなかれということ。

そのために通勤ファッションですら気分が上がるようにすると!」

 


「まぁ、そうしたければね。

ファッションに興味がないというのも、立派なファッションだと思うから」

 

 

 

 

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見た目は大切だ。

 

 

そんなことは私がいうまでもないだろう。

 

 

見た目で人は判断される。

 

 

それは世界のどこに行っても、どの時代でも同じことである。

 

 

それは、人間という動物が、その対象の本質が外面に現れているということを本能的に知っているからではないだろうか。

 

 

髪ボサボサで土気色で薄汚れた服装に暗い苦しそうな表情をしている人は、

やはり不幸せなのだろう。

 

 

全く同じ服装でも、顔がすっきりさっぱりしていたら、

例え泥だらけでもなんだか清々しい印象を受けるものだ。

 

 

反対にブランドスーツに身を固めていても、

心が強張って不安に苛まれ、

他人に対して壁を作って守っている人もいる。

 

 


日本人は本質的にオシャレ度が高いと思う。

 

センスがいい。

 

世界的にみても。

 

パリやミラノと並ぶくらいに、独特の美の文化を持っているからだ。

 

ちょっと本気出せばほとんどの方はすごくインパクトあるヴィジュアルになる。

 

人様に迷惑をかけない、目立たないように目だたたないようにというためらいを捨ててみてはどうか。

 

偽りを捨て、本来の自分を生きるヴィジュアル改造とは?

 

 

着たくもない服は全部捨てよ!

 

 

本当は着たかった服を着るのだ!!

 

 

年齢?似合うか?

そんなことは無視せよ。

 

 

他人からの評価もスルーせよ。

 

 

偽りを捨て本来の自分をいきよ!