「声が低くて、よく聞き返されるんです」

「ふうむ」

 

「元々声低い方なんですけど、どうにかなりますかね??」

「どうしたいかによると思うけどね」

 

「どうしたいかですか?でも声って変えられないものじゃないんですか??」

「んーー本質的なものは変わらんけど、たいていは、かなり隠されてる声があるもんなんで、それが発揮されると全然違ってくるよ」

 

「そういうことがあるんですか!」

「うん」

 

「私の声だとどうですか?」

「聴いてる限りだと、笑ってる時の声が、芯のあるお姫様ヴォイスなようだよ。普段使ってる声は確かに低めの占い師ヴォイスみたいだけど、高めの声を出せるようになると上手くバランスが取れるよ」

 

「え!?高めの声ですか?そんなの出るんでしょうか?それに、高めの声だと子供っぽくなって、相手が聞き取りづらいんじゃないんですか?」

「そうでもないぞ。ええと、高めのふわふわした声が日本ではフォーマルな声ということになってるね。飛行機のアナウンスなんて聴いてると一目瞭然。鼻から抜いた高くて芯のない声。芯のある声は、相手にアグレッシブな印象を与えると思っちゃうんだろうね。文化だ。」

 

「はあ、そうですね。はっきり言っちゃうと、相手を傷つけちゃうかもしれませんもんね」

「そうだね。でも、通る声でそういう敵意感じさせるような声と、優しく信頼感伝わる声は違うよ」

 

「そうですねー。」

「声はイメージでかなり変わる。音楽でもそうなんだけど、最初の一声がものすごーーく大事だよ。赤ちゃんに触れるくらい丁寧に声を出し始めるの」

 

「赤ちゃんですか?でもそんな優しく声出したら、通る声にはならないんじゃないですか??」

「いや、問題ないよ。車と一緒でね、いきなりアクセルズドンっ!!って踏んだら、タイヤが空回りしちゃうよ。じわーーーっと踏み込むのがスムーズな加速のコツ。」

 

「じわーーーっとですか」

「うむ。」

 

「では、私はどんなボイトレをするといいんですか?」

「うむ、これからやってみよう。まずは・・・」

 

 

日本の女の子は痩せすぎ。

 

病気か?!っていうくらいガリガリだなぁと、イタリアからくるといつも思います。

 

痩せすぎててさらに髪短いと、もはや男なのか女なのかもわからん。。。

 

それは、多分モデルさんたちを意識してるからでしょう。

でも、そりゃかなり無理あるわ。

 

その人その人で、ベストな体型や体重は違うのに、なぜか他人みたいになろうと意識しちゃうのが人の性ってもんなんでしょう。

 

ナポリのビーチに行ってみれば、そんな意識は吹っ飛びますたぶん。

60歳のおばあちゃんでもビキニ!

お腹ドッカーーーンっと出ててもビキニ!

70のおじいちゃんが赤ビキニ!

肌がクッキーみたいにカリカリになるまで焼くのが夏のナポリ!

 

世間を大事にするあまり、他人の目を気にしすぎると、何のために生きてるのか全然わからなくなってしまうものです。

 

自分の人生は自分のもの。

 

他人みたいにはなれないのに、他人みたいになろうとするのはやめて、自分のベストを見つめること。

 

ほとんどの人が、自分の持っている役割に気づかず、それを認められないまま人生を終えていきます。

 

それもまた人の性だと思うのでいいけど。

 

どうせなら早く気づいて、その道を生きたらいいと思うのです。

 

声も全く同じ。

 

本来の声で、惜しげなく表現すること。 虚心に取り組めば必ず変化があります。