ブラジル自作農移住案内
熱帯の巨大な木を切って、土地を耕して農耕地にする苦労、、、
これは当時の教育勅語
ブラジルに住んでいるからといって、子供に教育を受けさせないわけにはいかない。
いずれ、ブラジルで農家として成功して日本に帰るわけだから、子供が教育で遅れを取らぬようにしっかり勉強させよう。
という雰囲気だったらしい。
手作り!!
今時、こういう手作りの面を 『手刺』といって、ミシンで作ったものの何倍もする高価なものとなっている。
この胴はたぶん竹? 一本一本つなぎ合わせて、まるで酒樽のよう! この形式でハンドメイドされたものは現代では高級品。
他にもあった。
ツキを受ける突き垂が薄くて、なんか怖いな( ゚д゚)
他にも琵琶や箏など、日本の楽器が多数。
ブラジルの日本移民社会が安定した発展してくると、スポーツや武道、芸術が盛んになっていったそうだ。
そうして今度は医療。
ブラジル移民による病院の設立という結果に結実。
現代まで続いている、高度な医療が受けられる施設になっている。
当時の新聞に載っている。
口調が手塚治虫的だ( ゚д゚)
アッ 聞こえます 聞こえます