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Vizcaya Fresh! のブログ

フィリピンルソン島ヌエバ・ビスカヤの山奥から届けるフレッシュでナチュラルな野菜、果物、米、伝統工芸品。

7日目(11月4日):小田原市からビスカヤへ帰国

(1日目からの研修の様子をお読みになりたい方はこちらへ。)


前日の夜、突然「これまでの学びを一言ずつ話してシェアしよう」という話になり、深夜11時から自分の学びをそれぞれ英語で話しました。私は別の打合せがあって途中で抜けてしまったのですが、自発的にそういう動きが出たことをとてもうれしく思いました。

小田原駅にて最後の集合写真撮影。

そして最後の新幹線。乗車中は気が付かなかったそうですが、小田原駅で通過する新幹線のあまりの速さにみなひっくり返りそうになっていました(笑)

無事出国し、15時マニラ空港着、
21時発の高速バスに乗り翌朝4時にヌエバ・ビスカヤ州に帰り着きました。


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【今回の研修引率で考えたこと】

1. ビスカヤで失われてしまった、私の知らない文化がたくさんある。

伝統的な日本家屋に滞在し、無農薬無化学肥料の農業を目にして、参加者が以下のようなことを語ってくれました。

【住まいについて】
・祖父母世代は日本の畳の簡単なもの(おそらくうゴザ)を敷いて床に座って生活していた。
・寒い山岳地帯では家の中に土で作ったストーブがあって、その周りに座って話をしたりしていた。
・コンクリートが普及する前は、竹や地元の素材で家を作り、10年ごとに立て替えていた。


【農業について】
・ビスカヤでも昔ははぜ干しをしていた。
・稲わらは日本のように束にして田に置き、家畜のえさにしていた。


【子育て・教育について】
・自分たちが子どものころは水運びや農作業を手伝わないといけなかった。
・今の親世代は子供に親の手伝いをさせたがらない。勉強してホワイトカラーになって欲しいと思っている。
・特に街のホワイトカラー層は、家事すら手伝わせない。
・学校に行く子供におやつ代を渡すのが慣習化しているが、自分が子どもの頃はそんな習慣はなかった。



西洋風の机と椅子の生活が地方まで普及し、手で食べるもともとの習慣は卑しいものとされてきているようです。農業も、農薬化学肥料は使うもの。稲作は年4回の収穫がトレンド(緑の革命以前は年1回収穫の伝統種を栽培していたそうです)。家畜の飼料は市販のトウモロコシが主流。
そして仕事に関しても「ブルーカラーにはなりたくない」という世の中の流れを日々痛感します。


2.「自分たちの持っているもの」への評価を促せないか。


日本で有機農業運動が始まった1970年代ごろにも、いまのビスカヤで起きているような風潮があったのではないかと想像します。豊かな国の象徴として、アメリカ的暮らしや日本のビル街が良いものとされています。


けれども、「自分たちの先祖がやってきたこと/つくってきた文化に誇りをもつようになること」、なくして、フィリピンでの有機農業の普及はなされないと思います。

日本や外国の知識を広めることももちろん大切ですが、「地元にあるものを再発掘・再評価し、そこにいる人たちに自信を持ってもらう」ところがまず出発点になるのではないか、といま考えています。そういう考えの人たちが自然と増えたとき、有機農業は農業の一分野としての確固たる位置を占められるようになるのではないでしょうか。


今回目にした農業技術がビスカヤでどこまで応用可能かは正直わかりません。
でも、日本の有機農家のプライドや哲学は伝わったはずです。うまく表現できませんが、そういう「心意気」のようなものを少しでも共有していきたいです。


正直、人の価値観はそれぞれですし、何かの価値観を押し付けることはできません。
世の中の主流は止められないと思うけれど、何とかこの流れとは違う新しい流れをビスカヤに作れたら・・と個人的に思っています。


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すっかり長くなってしまいましたが・・
来月からはエコー研修も始まります。この研修の成果をどのように打ち出し、どう伝えていくか。これからが本番です。


(写真:布団にもすっかり馴染んだ参加者)


(花)