#4私のふるさと | 天翔りいらオフィシャルブログ「LYRA STYLE」Powered by Ameba

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元宝塚歌劇団:天翔りいらのブログです

「中学校」

 

 

小学校を裸足で山を駆け回りながら、無事に中学生になりました。

 

このあたりから、すこし芸事に関しての流れになりますが、私の母はダンスカンパニーの代表を当時していたこともあり、3歳からダンスを習っていました。

 

 

そしてきのくにの学校でもダンスの授業が週に二回ほどあったので中学からは、通学生になり、大阪から和歌山まで毎日電車で通い学校でもダンスをし、学校帰りにダンスやバレエの習い事に毎日通っていました。

 

本当に毎日。


なんだだったんですかね?😳

気が付いたら毎日。何かしらしていました。


 

少林寺拳法、器械体操、トランポリン、水泳、声楽、バレエ、ダンス、学校帰りに友達と遊んだことはほとんどありませんでした。

 

ここだけ聞くと、え?かわいそう…と感じるかもしれませんが、習い事も行くか行かないか自分で決めていましたし、友達とは学校で限界まで遊んでいたので、寂しいことも全くありませんでした。

 

 

 

あと、私が小児ぜんそくで小さい時から何回も救急車で運ばれたり、一定期間入院したりを繰り返している中で、思うようにレッスンできなかったり、友達に会えなかったり、元気に何かできる事の喜びをがむしゃらに感じていたのかもしれません。



 

夜は呼吸困難で寝れなくて、湿布を貼ったり、アイスを食べたり、外を散歩したり水風呂に入ったり、、アレルギー体質でかゆくて一晩中薬を塗ったり。

 ありとあらゆる、病院をまわりました。




だから今、楽に呼吸ができて、体もかゆくなくて、点滴をゴロゴロせずに歩いていることがまず幸せで、だからこそ、生徒たちにも、いまこうして人と会えたり、好きなことを選択できているのはあたりまえじゃないんだよと伝えています。

 

 

 

いつも喘息の吸入器を持っていつ発作が出てもいいように過ごしていたのがなつかしいです。😂



 

喘息とは宝塚にはいってからも少しつきあっていて、

実は小さい吸入器をお守り代わりにおいてました。

激しい運動や、ほこりとかで出てしまうときがあるんです。

 

 

でもおかげで今は身体が強くなったし、しんどい人の気持ちにも少し寄り添えるようになれたのでよかったですニコニコ

 

 

やっぱり経験に勝るものはない!



 

親が身体のことも考えて自然の中で生活させてくれたことにも感謝です。

 

そんなこんなで、中学校生活は、身体と向き合いながら毎日踊り、芸事の基礎力を養っていました音譜



 

 

続く