以下転載いたします。
もんじゅの大事故
去年(一九九五年)の十二月八日に、 福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃 料開発事業団)のもんじゅでナトリウム 漏れの大事故を起こしました。もんじゅ の事故はこれが初めてではなく、それま でにも度々事故を起こしていて、私は建 設中に六回も呼ばれて行きました。とい うのは、所長とか監督とか職人とか、元 の部下だった人たちがもんじゅの担当も しているので、何か困ったことがあると 私を呼ぶんですね。もう会社を辞めてい ましたが、原発だけは事故が起きたら取 り返しがつきませんから、放っては置け ないので行くのです。 ある時、電話がかかって、「配管がど うしても合わないから来てくれ」という 。行って見ますと、特別に作った配管も 既製品の配管もすべて図面どおり、寸法 通りになっている。でも、合わない。ど うして合わないのか、いろいろ考えまし たが、なかなか分からなかった。一晩考 えてようやく分かりました。もんじゅは 、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄 せ集めのメーカーで造ったもので、それ ぞれの会社の設計基準が違っていたので す。 図面を引くときに、私が居た日立は〇 ・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五m m切上げ、日本原研は〇・五mm切下げな んです。たった〇・五mmですが、百カ 所も集まると大変な違いになるのです。 だから、数字も線も合っているのに合わ なかったのですね。 これではダメだということで、みんな 作り直させました。何しろ国の威信がか かっていますから、お金は掛けるんです 。 どうしてそういうことになるかという と、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密と いうことがあって、全体で話し合いをし て、この〇・五mmについて、切り上げ るか、切り下げるか、どちらかに統一し ようというような話し合いをしていなか ったのです。今回のもんじゅの事故の原 因となった温度センサーにしても、メー カー同士での話し合いもされていなかっ たんではないでしょうか。 どんなプラントの配管にも、あのよう な温度計がついていますが、私はあんな に長いのは見たことがありません。おそ らく施工した時に危ないと分かっていた 人がいたはずなんですね。でも、よその 会社のことだからほっとけばいい、自分 の会社の責任ではないと。 動燃自体が電力会社からの出向で出来 た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集め なんです。これでは事故は起こるべくし て起こる、事故が起きないほうが不思議 なんで、起こって当たり前なんです。 しかし、こんな重大事故でも、国は「 事故」と言いません。美浜原発の大事故 の時と同じように「事象があった」と言 っていました。私は事故の後、直ぐに福 井県の議会から呼ばれて行きました。あ そこには十五基も原発がありますが、誘 致したのは自民党の議員さんなんですね 。だから、私はそういう人に何時も、「 事故が起きたらあなた方のせいだよ、反 対していた人には責任はないよ」と言っ てきました。この度、その議員さんたち に呼ばれたのです。「今回は腹を据えて 動燃とケンカする、どうしたらよいか教 えてほしい」と相談を受けたのです。 それで、私がまず最初に言ったことは 、「これは事故なんです、事故。事象と いうような言葉に誤魔化されちゃあだめ だよ」と言いました。県議会で動燃が「 今回の事象は……」と説明を始めたら、 「事故だろ! 事故!」と議員が叫んで いたのが、テレビで写っていましたが、 あれも、黙っていたら、軽い「事象」と いうことにされていたんです。地元の人 たちだけではなく、私たちも、向こうの 言う「事象」というような軽い言葉に誤 魔化されてはいけないんです。 普通の人にとって、「事故」というの と「事象」というのとでは、とらえ方が まったく違います。この国が事故を事象 などと言い換えるような姑息なことをし ているので、日本人には原発の事故の危 機感がほとんどないのです。
日本のプルトニウムがフランスの核兵 器に?
もんじゅに使われているプルトニウム は、日本がフランスに再処理を依頼して 抽出したものです。再処理というのは、 原発で燃やしてしまったウラン燃料の中 に出来たプルトニウムを取り出すことで すが、プルトニウムはそういうふうに人 工的にしか作れないものです。 そのプルトニウムがもんじゅには約一 ・四トンも使われています。長崎の原爆 は約八キロだったそうですが、一体、も んじゅのプルトニウムでどのくらいの原 爆ができますか。それに、どんなに微量 でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減 期が二万四千年もあるので、永久に放射 能を出し続けます。だから、その名前が プルートー、地獄の王という名前からつ けられたように、プルトニウムはこの世 で一番危険なものといわれるわけですよ 。 しかし、日本のプルトニウムが去年( 一九九五年)南太平洋でフランスが行っ た核実験に使われた可能性が大きいこと を知っている人は、余りいません。フラ ンスの再処理工場では、プルトニウムを 作るのに核兵器用も原発用も区別がない のです。だから、日本のプルトニウムが 、この時の核実験に使われてしまったこ とはほとんど間違いありません。 日本がこの核実験に反対をきっちり言 えなかったのには、そういう理由がある からです。もし、日本政府が本気でフラ ンスの核実験を止めさせたかったら、簡 単だったのです。つまり、再処理の契約 を止めればよかったんです。でも、それ をしなかった。 日本とフランスの貿易額で二番目に多 いのは、この再処理のお金なんですよ。 国民はそんなことも知らないで、いくら 「核実験に反対、反対」といっても仕方 がないんじゃないでしょうか。それに、 唯一の被爆国といいながら、日本のプル トニウムがタヒチの人々を被爆させ、き れいな海を放射能で汚してしまったに違 いありません。 世界中が諦めたのに、日本だけはまだ こんなもので電気を作ろうとしているん です。普通の原発で、ウランとプルトニ ウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃や す、いわゆるプルサーマルをやろうとし ています。しかし、これは非常に危険で す。分かりやすくいうと、石油ストーブ でガソリンを燃やすようなことなんです 。原発の元々の設計がプルトニウムを燃 すようになっていません。プルトニウム は核分裂の力がウランとはケタ違いに大 きいんです。だから原爆の材料にしてい るわけですから。 いくら資源がない国だからといっても 、あまりに酷すぎるんじゃないでしょう か。早く原発を止めて、プルトニウムを 使うなんてことも止めなければ、あちこ ちで被曝者が増えていくばかりです。
日本には途中でやめる勇気がない
世界では原発の時代は終わりです。原 発の先進国のアメリカでは、二月(一九 九六年)に二〇一五年までに原発を半分 にすると発表しました。それに、プルト ニウムの研究も大統領命令で止めていま す。あんなに怖い物、研究さえ止めまし た。 もんじゅのようにプルトニウムを使う 原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろ んイギリスもドイツも止めました。ドイ ツは出来上がったのを止めて、リゾート パークにしてしまいました。世界の国が プルトニウムで発電するのは不可能だと 分かって止めたんです。日本政府も今度 のもんじゅの事故で「失敗した」と思っ ているでしょう。でも、まだ止めない。 これからもやると言っています。 どうして日本が止めないかというと、 日本にはいったん決めたことを途中で止 める勇気がないからで、この国が途中で 止める勇気がないというのは非常に怖い です。みなさんもそんな例は山ほどご存 じでしょう。 とにかく日本の原子力政策はいい加減 なのです。日本は原発を始める時から、 後のことは何にも考えていなかった。そ の内に何とかなるだろうと。そんないい 加減なことでやってきたんです。そうや って何十年もたった。でも、廃棄物一つ のことさえ、どうにもできないんです。 もう一つ、大変なことは、いままでは 大学に原子力工学科があって、それなり に学生がいましたが、今は若い人たちが 原子力から離れてしまい、東大をはじめ ほとんどの大学からなくなってしまいま した。机の上で研究する大学生さえいな くなったのです。 また、日立と東芝にある原子力部門の 人も三分の一に減って、コ・ジェネレー ション(電気とお湯を同時に作る効率の よい発電設備)のガス・タービンの方へ 行きました。メーカーでさえ、原子力は もう終わりだと思っているのです。 原子力局長をやっていた島村武久さん という人が退官して、『原子力談義』と いう本で、「日本政府がやっているのは 、ただのつじつま合わせに過ぎない、電 気が足りないのでも何でもない。あまり に無計画にウランとかプルトニウムを持 ちすぎてしまったことが原因です。はっ きりノーといわないから持たされてしま ったのです。そして日本はそれらで核兵 器を作るんじゃないかと世界の国々から 見られる、その疑惑を否定するために核 の平和利用、つまり、原発をもっともっ と造ろうということになるのです」と書 いていますが、これもこの国の姿なんで す。
もんじゅの大事故
去年(一九九五年)の十二月八日に、 福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃 料開発事業団)のもんじゅでナトリウム 漏れの大事故を起こしました。もんじゅ の事故はこれが初めてではなく、それま でにも度々事故を起こしていて、私は建 設中に六回も呼ばれて行きました。とい うのは、所長とか監督とか職人とか、元 の部下だった人たちがもんじゅの担当も しているので、何か困ったことがあると 私を呼ぶんですね。もう会社を辞めてい ましたが、原発だけは事故が起きたら取 り返しがつきませんから、放っては置け ないので行くのです。 ある時、電話がかかって、「配管がど うしても合わないから来てくれ」という 。行って見ますと、特別に作った配管も 既製品の配管もすべて図面どおり、寸法 通りになっている。でも、合わない。ど うして合わないのか、いろいろ考えまし たが、なかなか分からなかった。一晩考 えてようやく分かりました。もんじゅは 、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄 せ集めのメーカーで造ったもので、それ ぞれの会社の設計基準が違っていたので す。 図面を引くときに、私が居た日立は〇 ・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五m m切上げ、日本原研は〇・五mm切下げな んです。たった〇・五mmですが、百カ 所も集まると大変な違いになるのです。 だから、数字も線も合っているのに合わ なかったのですね。 これではダメだということで、みんな 作り直させました。何しろ国の威信がか かっていますから、お金は掛けるんです 。 どうしてそういうことになるかという と、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密と いうことがあって、全体で話し合いをし て、この〇・五mmについて、切り上げ るか、切り下げるか、どちらかに統一し ようというような話し合いをしていなか ったのです。今回のもんじゅの事故の原 因となった温度センサーにしても、メー カー同士での話し合いもされていなかっ たんではないでしょうか。 どんなプラントの配管にも、あのよう な温度計がついていますが、私はあんな に長いのは見たことがありません。おそ らく施工した時に危ないと分かっていた 人がいたはずなんですね。でも、よその 会社のことだからほっとけばいい、自分 の会社の責任ではないと。 動燃自体が電力会社からの出向で出来 た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集め なんです。これでは事故は起こるべくし て起こる、事故が起きないほうが不思議 なんで、起こって当たり前なんです。 しかし、こんな重大事故でも、国は「 事故」と言いません。美浜原発の大事故 の時と同じように「事象があった」と言 っていました。私は事故の後、直ぐに福 井県の議会から呼ばれて行きました。あ そこには十五基も原発がありますが、誘 致したのは自民党の議員さんなんですね 。だから、私はそういう人に何時も、「 事故が起きたらあなた方のせいだよ、反 対していた人には責任はないよ」と言っ てきました。この度、その議員さんたち に呼ばれたのです。「今回は腹を据えて 動燃とケンカする、どうしたらよいか教 えてほしい」と相談を受けたのです。 それで、私がまず最初に言ったことは 、「これは事故なんです、事故。事象と いうような言葉に誤魔化されちゃあだめ だよ」と言いました。県議会で動燃が「 今回の事象は……」と説明を始めたら、 「事故だろ! 事故!」と議員が叫んで いたのが、テレビで写っていましたが、 あれも、黙っていたら、軽い「事象」と いうことにされていたんです。地元の人 たちだけではなく、私たちも、向こうの 言う「事象」というような軽い言葉に誤 魔化されてはいけないんです。 普通の人にとって、「事故」というの と「事象」というのとでは、とらえ方が まったく違います。この国が事故を事象 などと言い換えるような姑息なことをし ているので、日本人には原発の事故の危 機感がほとんどないのです。
日本のプルトニウムがフランスの核兵 器に?
もんじゅに使われているプルトニウム は、日本がフランスに再処理を依頼して 抽出したものです。再処理というのは、 原発で燃やしてしまったウラン燃料の中 に出来たプルトニウムを取り出すことで すが、プルトニウムはそういうふうに人 工的にしか作れないものです。 そのプルトニウムがもんじゅには約一 ・四トンも使われています。長崎の原爆 は約八キロだったそうですが、一体、も んじゅのプルトニウムでどのくらいの原 爆ができますか。それに、どんなに微量 でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減 期が二万四千年もあるので、永久に放射 能を出し続けます。だから、その名前が プルートー、地獄の王という名前からつ けられたように、プルトニウムはこの世 で一番危険なものといわれるわけですよ 。 しかし、日本のプルトニウムが去年( 一九九五年)南太平洋でフランスが行っ た核実験に使われた可能性が大きいこと を知っている人は、余りいません。フラ ンスの再処理工場では、プルトニウムを 作るのに核兵器用も原発用も区別がない のです。だから、日本のプルトニウムが 、この時の核実験に使われてしまったこ とはほとんど間違いありません。 日本がこの核実験に反対をきっちり言 えなかったのには、そういう理由がある からです。もし、日本政府が本気でフラ ンスの核実験を止めさせたかったら、簡 単だったのです。つまり、再処理の契約 を止めればよかったんです。でも、それ をしなかった。 日本とフランスの貿易額で二番目に多 いのは、この再処理のお金なんですよ。 国民はそんなことも知らないで、いくら 「核実験に反対、反対」といっても仕方 がないんじゃないでしょうか。それに、 唯一の被爆国といいながら、日本のプル トニウムがタヒチの人々を被爆させ、き れいな海を放射能で汚してしまったに違 いありません。 世界中が諦めたのに、日本だけはまだ こんなもので電気を作ろうとしているん です。普通の原発で、ウランとプルトニ ウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃や す、いわゆるプルサーマルをやろうとし ています。しかし、これは非常に危険で す。分かりやすくいうと、石油ストーブ でガソリンを燃やすようなことなんです 。原発の元々の設計がプルトニウムを燃 すようになっていません。プルトニウム は核分裂の力がウランとはケタ違いに大 きいんです。だから原爆の材料にしてい るわけですから。 いくら資源がない国だからといっても 、あまりに酷すぎるんじゃないでしょう か。早く原発を止めて、プルトニウムを 使うなんてことも止めなければ、あちこ ちで被曝者が増えていくばかりです。
日本には途中でやめる勇気がない
世界では原発の時代は終わりです。原 発の先進国のアメリカでは、二月(一九 九六年)に二〇一五年までに原発を半分 にすると発表しました。それに、プルト ニウムの研究も大統領命令で止めていま す。あんなに怖い物、研究さえ止めまし た。 もんじゅのようにプルトニウムを使う 原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろ んイギリスもドイツも止めました。ドイ ツは出来上がったのを止めて、リゾート パークにしてしまいました。世界の国が プルトニウムで発電するのは不可能だと 分かって止めたんです。日本政府も今度 のもんじゅの事故で「失敗した」と思っ ているでしょう。でも、まだ止めない。 これからもやると言っています。 どうして日本が止めないかというと、 日本にはいったん決めたことを途中で止 める勇気がないからで、この国が途中で 止める勇気がないというのは非常に怖い です。みなさんもそんな例は山ほどご存 じでしょう。 とにかく日本の原子力政策はいい加減 なのです。日本は原発を始める時から、 後のことは何にも考えていなかった。そ の内に何とかなるだろうと。そんないい 加減なことでやってきたんです。そうや って何十年もたった。でも、廃棄物一つ のことさえ、どうにもできないんです。 もう一つ、大変なことは、いままでは 大学に原子力工学科があって、それなり に学生がいましたが、今は若い人たちが 原子力から離れてしまい、東大をはじめ ほとんどの大学からなくなってしまいま した。机の上で研究する大学生さえいな くなったのです。 また、日立と東芝にある原子力部門の 人も三分の一に減って、コ・ジェネレー ション(電気とお湯を同時に作る効率の よい発電設備)のガス・タービンの方へ 行きました。メーカーでさえ、原子力は もう終わりだと思っているのです。 原子力局長をやっていた島村武久さん という人が退官して、『原子力談義』と いう本で、「日本政府がやっているのは 、ただのつじつま合わせに過ぎない、電 気が足りないのでも何でもない。あまり に無計画にウランとかプルトニウムを持 ちすぎてしまったことが原因です。はっ きりノーといわないから持たされてしま ったのです。そして日本はそれらで核兵 器を作るんじゃないかと世界の国々から 見られる、その疑惑を否定するために核 の平和利用、つまり、原発をもっともっ と造ろうということになるのです」と書 いていますが、これもこの国の姿なんで す。