以下転載いたします。

廃炉も解体も出来ない原発い

一九六六年に、日本で初めてイギリス から輸入した十六万キロワットの営業用 原子炉が茨城県の東海村で稼動しました 。その後はアメリカから輸入した原発で 、途中で自前で造るようになりましたが 、今では、この狭い日本に一三五万キロ ワットというような巨大な原発を含めて 五一の原発が運転されています。 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことな ど考えないままに動かし始めた原発です が、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射 能をあびるとボロボロになるんです。だ から、最初、耐用年数は十年だと言って いて、十年で廃炉、解体する予定でいま した。しかし、一九八一年に十年たった 東京電力の福島原発の一号機で、当初考 えていたような廃炉・解体が全然出来な いことが分かりました。このことは国会 でも原子炉は核反応に耐えられないと、 問題になりました。 この時、私も加わってこの原子炉の廃 炉、解体についてどうするか、毎日のよ うに、ああでもない、こうでもないと検 討をしたのですが、放射能だらけの原発 を無理やりに廃炉、解体しようとしても 、造るときの何倍ものお金がかかること や、どうしても大量の被曝が避けられな いことなど、どうしようもないことが分 かったのです。原子炉のすぐ下の方では 、決められた線量を守ろうとすると、た った十数秒くらいしかいられないんです から。 机の上では、何でもできますが、実際 には人の手でやらなければならないので すから、とんでもない被曝を伴うわけで す。ですから、放射能がゼロにならない と、何にもできないのです。放射能があ る限り廃炉、解体は不可能なのです。人 間にできなければロボットでという人も います。でも、研究はしていますが、ロ ボットが放射能で狂ってしまって使えな いのです。 結局、福島の原発では、廃炉にするこ とができないというので、原発を売り込 んだアメリカのメーカーが自分の国から 作業者を送り込み、日本では到底考えら れない程の大量の被曝をさせて、原子炉 の修理をしたのです。今でもその原発は 動いています。 最初に耐用年数が十年といわれていた 原発が、もう三〇年近く動いています。 そんな原発が十一もある。くたびれてヨ タヨタになっても動かし続けていて、私 は心配でたまりません。 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大 の原子炉はたった一〇〇キロワットの研 究炉ですが、これも放射能漏れを起こし て止まっています。机上の計算では、修 理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円 もかかるそうですが、大学の年間予算に 相当するお金をかけても廃炉にはできな いのです。まず停止して放射能がなくな るまで管理するしかないのです。 それが一〇〇万キロワットというよう な大きな原発ですと、本当にどうしよう もありません。

「閉鎖」して、監視・管理

なぜ、原発は廃炉や解体ができないの でしょうか。それは、原発は水と蒸気で 運転されているものなので、運転を止め てそのままに放置しておくと、すぐサビ が来てボロボロになって、穴が開いて放 射能が漏れてくるからです。原発は核燃 料を入れて一回でも運転すると、放射能 だらけになって、止めたままにしておく ことも、廃炉、解体することもできない ものになってしまうのです。 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあ ります。廃炉、解体ができないので、み んな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を 止めて、核燃料を取り出しておくことで すが、ここからが大変です。 放射能まみれになってしまった原発は 、発電している時と同じように、水を入 れて動かし続けなければなりません。水 の圧力で配管が薄くなったり、部品の具 合が悪くなったりしますから、定検もし てそういう所の補修をし、放射能が外に 漏れださないようにしなければなりませ ん。放射能が無くなるまで、発電してい るときと同じように監視し、管理をし続 けなければならないのです。 今、運転中が五一、建設中が三、全部 で五四の原発が日本列島を取り巻いてい ます。これ以上運転を続けると、余りに も危険な原発もいくつかあります。この 他に大学や会社の研究用の原子炉もあり ますから、日本には今、小さいのは一〇 〇キロワット、大きいのは一三五万キロ ワット、大小合わせて七六もの原子炉が あることになります。 しかし、日本の電力会社が、電気を作 らない、金儲けにならない閉鎖した原発 を本気で監視し続けるか大変疑問です。 それなのに、さらに、新規立地や増設を 行おうとしています。その中には、東海 地震のことで心配な浜岡に五機目の増設 をしようとしていたり、福島ではサッカ ー場と引換えにした増設もあります。新 設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の 上関、石川の珠洲、青森の大間や東通な どいくつもあります。それで、二〇一〇 年には七〇~八〇基にしようと。実際、 言葉は悪いですが、この国は狂っている としか思えません。 これから先、必ずやってくる原発の閉 鎖、これは本当に大変深刻な問題です。 近い将来、閉鎖された原発が日本国中い たるところに出現する。これは不安とい うより、不気味です。ゾーとするのは、 私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物

それから、原発を運転すると必ず出る 核のゴミ、毎日、出ています。低レベル 放射性廃棄物、名前は低レベルですが、 中にはこのドラム缶の側に五時間もいた ら、致死量の被曝をするようなものもあ ります。そんなものが全国の原発で約八 〇万本以上溜まっています。 日本が原発を始めてから一九六九年ま では、どこの原発でも核のゴミはドラム 缶に詰めて、近くの海に捨てていました 。その頃はそれが当たり前だったのです 。私が茨城県の東海原発にいた時、業者 はドラム缶をトラックで運んでから、船 に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていま した。 しかし、私が原発はちょっとおかしい ぞと思ったのは、このことからでした。 海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐っ てしまうのに、中の放射性のゴミはどう なるのだろうか、魚はどうなるのだろう かと思ったのがはじめでした。 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村 へ持って行っています。全部で三百万本 のドラム缶をこれから三百年間管理する と言っていますが、一体、三百年ももつ ドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百 年間も続くのかどうか。どうなりますか 。 もう一つの高レベル廃棄物、これは使 用済み核燃料を再処理してプルトニウム を取り出した後に残った放射性廃棄物で す。日本はイギリスとフランスの会社に 再処理を頼んでいます。去年(一九九五 年)フランスから、二八本の高レベル廃 棄物として返ってきました。これはどろ どろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に 固めて、金属容器に入れたものです。こ の容器の側に二分間いると死んでしまう ほどの放射線を出すそうですが、これを 一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三 〇年から五〇年間くらい冷やし続け、そ の後、どこか他の場所に持って行って、 地中深く埋める予定だといっていますが 、予定地は全く決まっていません。余所 の国でも計画だけはあっても、実際にこ の高レベル廃棄物を処分した国はありま せん。みんな困っています。 原発自体についても、国は止めてから 五年か十年間、密閉管理してから、粉々 にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷 地内に埋めるなどとのんきなことを言っ ていますが、それでも一基で数万トンく らいの放射能まみれの廃材が出るんです よ。生活のゴミでさえ、捨てる所がない のに、一体どうしようというんでしょう か。とにかく日本中が核のゴミだらけに なる事は目に見えています。早くなんと かしないといけないんじゃないでしょう か。それには一日も早く、原発を止める しかなんですよ。 私が五年程前に、北海道で話をしてい た時、「放射能のゴミを五〇年、三百年 監視続ける」と言ったら、中学生の女の 子が、手を挙げて、「お聞きしていいで すか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視 するといいましたが、今の大人がするん ですか? そうじゃないでしょう。次の 私たちの世代、また、その次の世代がす るんじゃないんですか。だけど、私たち はいやだ」と叫ぶように言いました。こ の子に返事の出来る大人はいますか。 それに、五〇年とか三百年とかいうと 、それだけ経てばいいんだというふうに 聞こえますが、そうじゃありません。原 発が動いている限り、終わりのない永遠 の五〇年であり、三百年だということで す。

住民の被曝と恐ろしい差別

日本の原発は今までは放射能を一切出 していませんと、何十年もウソをついて きた。でもそういうウソがつけなくなっ たのです。 原発にある高い排気塔からは、放射能 が出ています。出ているんではなくて、 出しているんですが、二四時間放射能を 出していますから、その周辺に住んでい る人たちは、一日中、放射能をあびて被 曝しているのです。 ある女性から手紙が来ました。二三歳で す。便箋に涙の跡がにじんでいました。 「東京で就職して恋愛し、結婚が決まっ て、結納も交わしました。ところが突然 相手から婚約を解消されてしまったので す。相手の人は、君には何にも悪い所は ない、自分も一緒になりたいと思ってい る。でも、親たちから、あなたが福井県 の敦賀で十数年間育っている。原発の周 辺では白血病の子どもが生まれる確率が 高いという。白血病の孫の顔はふびんで 見たくない。だから結婚するのはやめて くれ、といわれたからと。私が何か悪い ことしましたか」と書いてありました。 この娘さんに何の罪がありますか。こう いう話が方々で起きています。 この話は原発現地の話ではない、東京 で起きた話なんですよ、東京で。皆さん は、原発で働いていた男性と自分の娘と か、この女性のように、原発の近くで育 った娘さんと自分の息子とかの結婚を心 から喜べますか。若い人も、そういう人 と恋愛するかも知れないですから、まっ たく人ごとではないんです。 こういう 差別の話は、言えば差別になる。でも言 わなければ分からないことなんです。原 発に反対している人も、原発は事故や故 障が怖いだけではない、こういうことが 起きるから原発はいやなんだと言って欲 しいと思います。原発は事故だけではな しに、人の心まで壊しているのですから 。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。た とえ電気がなくなってもいいから、私 は原発はいやだ。

最後に、私自身が大変ショックを受け た話ですが、北海道の泊原発の隣の共和 町で、教職員組合主催の講演をしていた 時のお話をします。どこへ行っても、必 ずこのお話はしています。あとの話は全 部忘れてくださっても結構ですが、この 話だけはぜひ覚えておいてください。 その講演会は夜の集まりでしたが、父母 と教職員が半々くらいで、およそ三百人 くらいの人が来ていました。その中には 中学生や高校生もいました。原発は今の 大人の問題ではない、私たち子どもの問 題だからと聞きに来ていたのです。 話が一通り終わったので、私が質問は ありませんかというと、中学二年の女の 子が泣きながら手を挙げて、こういうこ とを言いました。 「今夜この会場に集まっている大人た ちは、大ウソつきのええかっこしばっか りだ。私はその顔を見に来たんだ。どん な顔をして来ているのかと。今の大人た ち、特にここにいる大人たちは農薬問題 、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言え ば子どもたちのためにと言って、運動す るふりばかりしている。私は泊原発のす ぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝 している。原子力発電所の周辺、イギリ スのセラフィールドで白血病の子どもが 生まれる確率が高いというのは、本を読 んで知っている。私も女の子です。年頃 になったら結婚もするでしょう。私、子 ども生んでも大丈夫なんですか?」と、 泣きながら三百人の大人たちに聞いてい るのです。でも、誰も答えてあげられな い。 「原発がそんなに大変なものなら、今 頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生 懸命反対してくれなかったのか。まして 、ここに来ている大人たちは、二号機も 造らせたじゃないのか。たとえ電気がな くなってもいいから、私は原発はいやだ 」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運 転に入った時だったんです。 「何で、今になってこういう集会して いるのか分からない。私が大人で子ども がいたら、命懸けで体を張ってでも原発 を止めている」と言う。 「二基目が出来て、今までの倍私は放 射能を浴びている。でも私は北海道から 逃げない」って、泣きながら訴えました 。 私が「そういう悩みをお母さんや先生 に話したことがあるの」と聞きましたら 、「この会場には先生やお母さんも来て いる、でも、話したことはない」と言い ます。「女の子同志ではいつもその話を している。結婚もできない、子どもも産 めない」って。 担任の先生たちも、今の生徒たちがそ ういう悩みを抱えていることを少しも知 らなかったそうです。 これは決して、原子力防災の八キロと か十キロの問題ではない、五十キロ、一 〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起 きているのです。そういう悩みを今の中 学生、高校生が持っていることを絶えず 知っていてほしいのです。