『SNOWING TOKYO』
寒さが深まり、東京にも雪が降ると、いつも想いだす一晩がある。あくる日の水曜日が都内でも大雪が降り、交通も大混乱するだろうという確信めいた天氣予報が流れていた。私も明日の仕事はなくなるであろうと、なぜか根拠のない自信に充ちており、ひとり立原正秋全集の二十何巻を片手に日本料理屋で酒と肴を楽しんでいたのである。カウンターにしばらく座っていると、カレシ、右翼?
と傍らの男が私に尋ねてきた。カレシとはたぶん私のことである。私は「危ないなあ」とおもいながら初対面の男を眺め、「中道ですよ」とお茶を濁した。それからどう展開したのか、まったく憶えていない。しかし、氣がつけば男は凡てをオゴってくれ、三軒ハシゴしていたのである。深夜過ぎには、ふたりとも泥酔していた。三軒目の焼き鳥屋で調子にのった私は「Iさん、四軒目いきますよ」と誘った。男は翌日の仕事のことを氣にかけていた。そこで私は切り札をだしたのである。
カレシ、もしあした雪ふらなかったら、殺すよ。
男は微笑して、四軒目に連れていってくれた。無論、あくる日は晴れたことは申しあげるまでもないだろう。私の二日酔いも相当であったけれども、Iさんの怒りはそれの比ではなかったに違いない。東京で雪が降ると、今でも私はなんとはなしに「Iさん、ごちそうさまでした」とつぶやくのである。