ひと時の休息 | 髭の拝さんのブログ

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病について分子栄養学的観点で思い付くまま書き記しますが、中身は栄養素の生理活性をお知らせしながら
健康回復の道筋を説きます。
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よろしくお願いします。

 

妻が「がん」であることを数人の方以外、近所には知らせていない。それは、4年半ほど前に、乳がんが発覚した時に、親しくしている方にお知らせしておこうと伝えたところ、その方に大泣きされてしまった。どうしたら良いのか?妻は戸惑ってしまった、と云います。

(がん罹患=) この認識は、まだまだ、一般社会には残っているようです。

数人の方にはお知らせしたが、以来、自分のがんのことは黙っておこう、と決めたようだ。

カミングアウトは本人の意思に任せている。

私と妻が一緒になったのは378年前です。当時から日帰り温泉が好きでよく出かけていました。最初に出かけた温泉は伊香保(群馬県)でした。実にオープンな露天風呂で、入浴料金 130円。混浴風呂でした。

赤金の湯と名付けられたその風呂は、伊香保の源泉として有名でした。タオルを浸すと真茶色に染まり、その染まり具合が、伊香保の湯の特徴だったのです。

若夫婦・恋人同士・老夫婦・近隣にお住まいの方、いろいろな方々が其処に浸り、湯船にお盆を浮かべて、お銚子に日本酒とおでんを載せ、一杯飲みながら世間話を交わし、それはもう、今の時代ではあり得ない風情がありました。

見知らぬ老若男女がスッポンポンで向き合うのですから(嗜みを心得た昔人間たちですから奥ゆかしさを持っていたのは言うまでもありません)、裸の付き合い、と云う語源はここから出ていたのかもしれませんね。

もう今はあり得ない光景です。

(あっ、まだありました。水上の奥「宝川温泉」ではまだ男女混浴の露天風呂です。女湯が1ヶ所、男女混浴が3ヵ所。昔は熊が一緒に入ってきたそうです。)

いつか、宝川温泉風景もご紹介してみたいと思います。

さて、五月も終わりに近づきました。

今朝はゆっくり寝て、起きると妻は地域のクリーン作戦(年に4度のお掃除活動)に出かけて家には居ませんでした。

この一年、クリーン作戦には私が参加していたが、今回は妻が出るとのことで私はのんびりと休ませてもらった。

しばらくするとクリーン作戦が終わって、帰ってきた妻は「何処か行こうか・・・」と言い出した。

朝食前の8時だった。

「うん♪ 行こう。」

遊びの話になると私たち夫婦の決断は早い。

昨年の春に行った湯西川(ゆにしがわ)温泉。お湯が柔らかくて、浸ると皮膚がツルツルになる。

「湯西川の日帰り温泉に行こう。」

9時過ぎに出かけて、11時には湯西川に着きました。群馬県太田市から栃木県の湯西川温泉まで片道140km

五十里湖(ダム)の奥に、更に新しいダム湖が出来て、附近全部が開拓村になっている。その一角にある日光市経営の日帰り温泉施設でのんびりと過ごしてきた。

湯船に浸かる前に体を洗っていると、一人のお年寄りが杖を使いながら浴室に入ってきた。私の隣に腰掛けてカランから湯を出そうとしているが、出し方が解らないようだ。

「ここを押すとカランからお湯が出ますよ。コッチを押すとシャワーからお湯が出るので気をつけてね。」

そう言いながら、吐出口からの湯温が気になって、お湯の温度も確かめてあげた。・・・うんうん、これなら大丈夫。

「ご親切にありがとう、助かりました。」

礼を云われるほどのことではない。でも、戸惑っているお年寄りがお湯を使えないのでは可哀想だし、火傷させたのではあまりにも気の毒だ。

裸の付き合いとは、心を裸にすることでもある。

風呂から上がり、妻にそんな話をしたところ、「ああっ~ 私もね、よちよち歩きのおばあちゃんが入ってきたので、床が滑るから気をつけてねぇ~ と言ったんだよ。」 

おばあちゃんは「見ず知らずの方なのに、ご親切にありがとう。」

「そこから話が始まってね、この地区で昔から旅館の仲居として働いていたの。今は心臓を悪くしてペースメーカーを入れていて、だから腰湯までしか浸かれないんだよ、と言うのね。」

「倅夫婦が東京にいるんだけど、具合が悪いんだから東京においで、と言われても、住み慣れた此処を離れる気にもならなくて。」「長くこの地にいるので、近所の市営住宅に住まわせてもらって、お風呂には此処と同じ温泉が引かれているの。住みいいんだよ。」

延々と話が始まったそうだが、帰っておいでと云う倅夫婦の気持ちも判るし、此処に居たいと云うおばあちゃんの心情も判る。口を挟んではいけない部分だ。

裸の付き合いとは、心を裸にして聞くことでもある。

「さぁ~て、ウチの猫が待っているから早く帰ろうか。」

「うん、そうだな。」

身も心も洗われた日曜日でした。