10/13(土)に東京都千代田区のレキシズルスペース において三国志フェス実行委員会とレキシズルが共同主催で『Mini三国志フェス 』が開催された。

ご存知の方が多いかもしれないが、今年は「三国志フェス2012」の開催が見送られ、その代わりとして規模は小さいが今回の『Mini三国志フェス』が企画されたそうだ。
参加人数の定員は50名で、チケット「入場料:1,800円(飲食代別料金)、オリジナル足袋:1,800円」の一般販売が9/15(土)22時より開始された。フェイスブックにおいて参加表明された方に限り、先行販売も行われた。

8/4(土)に大阪府交野市の関西創価学園で満田先生の担当する夏季講座「『三国志』人物録―司令官・参謀列伝」 開催された。この講座の定員は『三国志フェス』よりも10人少ない40人であった。これに参加するためには、Loppiでチケットを購入しないといけない。販売期間が7/23(月)10時から7/30(月)23時までの1週間が設定されてあった。

販売初日の販売開始の時刻に最寄りのLAWSONへと足を運びチケットを購入しようとしたが、販売時刻とほぼ同時に40枚のチケットが即完売をした。という苦い経験をした。

そのため今回の参加者の中で勝手に最も『50』というの数に恐れ、警戒したと思う。そして如何にして確実に確保するか悩んだものである。そして偶然フェイスブックにおいて三国志フェスのイベントページを見つけて、即参加表明をし、運良く先行販売で確保をすることが出来た。

さて、パンダで有名な成都パンダ基地ではなく、東京上野の東京国立博物館で10/10(水)から開催されている『中国王朝の至宝 』を4人で観覧した後に、少し迷いながらもレキシズルスペースの建物に到着する。この時に、スタッフである清岡さんの指示により会場の準備が整うまで少し並んで待つことに。次々と参加者が到着され、15人ほど並んだところで、いよいよ会場となった。

教団's Rot-Mini三国志フェス
教団's Rot-Mini三国志フェス


会場では足袋が原則として着用を推称されており、足袋を着用していなければは移動出来る部分が限られるようである。受付でプログラムなどが記載されているA4サイズの用紙が5枚とDVDなどが配布された。以下にそのプログラムに書かれたタイムテーブルを引用する。

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タイムテーブル(時間・内容は多少変動する場合があります)

15:00 開場OPEN
開宴までの間、飲食やご歓談をお楽しみください。

16:00 開宴

17:00 赤壁茶会
日本中国茶普及協会 のアドバイザー・れいなさんによるめずらしい中国茶の試飲会&赤壁のごとく燃え上がるデモンストレーション。

18:30 坂本和丸アワー★広げよう三国志の輪
お客様のあなたが主役!総合三国志同盟・代表坂本和丸丞相によるトークライブ。

19:30 三国志音楽会
本邦初!バイオリン・二胡・フルート・トロンボーンで三国志にちなんだ音楽会を開催。演奏者・バイオリン:関建一郎 ・二胡:さみ ・フルート:新倉文明 ・トロンボーン:長田康宏(おさっち/織風斎)

20:30~21:30 三国志街道の集い
気鋭の三国志研究者・満田剛、三国志を愛する芸人おくまん(カオポイント)が紙芝居を使ってお届けする、おなじみ爆笑なるほどトークショー。その記念すべき第30回目が、三国志フェスで実現!

22:00 閉宴

☆開演前および休憩時間中、ドラマ『三国志ThreeKingdoms』特別上映決定!(株式会社SPO提供)
☆休憩中には、あの「曹操高陵」(中国河南省)の現地情報紹介、三国志特別グッズ販売など、スペシャルな見にイベントを行います。お楽しみに!
☆入退場自由。その際は必ずこのパンフレットをお持ちください。メイン会場と1Fレキシズルバーの両方で、こだわりの三国志カクテル、三国志フードをお楽しみ下さい。

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イベントはちょうど7時間である。参加者同士が交流する時間を考慮し、長時間に設定されたそうだ。いくら早くても15時過ぎから酒を飲むことは滅多にないだろう。しかも多くの三国志が好きな方達と一緒に飲めるのもないだろう。

この日は、1階のレキシズルバーも同時オープンしており、3階のメイン会場とレキシズルバーの両方で、オリジナルの三国志カクテル、三国志フードが提供された。メニューは異なり、1階のバーでは『魏・呉』のカクテルと日本酒が、3階では『蜀・他』のカクテルと日本酒、料理と分けられていた。メニューは以下の通りである。

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1階 レキシズルバー
【500圓ノンアルカクテル】
・二喬(サクラ+カルピス+ウォーター)
・詩ハ曹植(ブルー+コーラ)

【600圓アルコールカクテル】
・孟徳(カシス+ラム+ソーダ)
・郭嘉ミッション(ウォッか+ブルー+グレープフルーツ)
・月見る周瑜(カンパリ+オレンジ+トニック)
・淡くて孫策(ブルー+ディダ+レモン+ソーダ)

【500圓】
・ヱビス生

【550圓】
・あさ開日本酒
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画像は手前より「淡くて孫策・詩ハ曹植・郭嘉ミッション」

3階 メイン会場

【500圓ノンアルカクテル】
・諸葛視点(グリーンアップル+ジンジャーエール)
・甘くて公孫瓚(マンゴー+ピーチ+ソーダ)
【600圓アルコールカクテル】
・関羽一閃(メロン+ウォッカ+オレンジ)
・桃園の誓い(ピーチ+グレナデン+ソーダ)
・黄巾スウィート(ゆず梅酒+ディダ+トニック)
・兀突骨(ジン+ウォッカ+テキーラ)

【700圓】
・生ビール ハイネケン

【800圓】
・会津仲将 純米生貯蔵酒

【フードメニュー800圓】
・五虎代将軍(串揚げ5本)
・孟獲南蛮(チキン)
・王平ビーフ(牛スジ煮込)
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ドリンクはかなり種類が豊富で、特にオリジナルカクテルは女性の方でも飲みやすいように、甘くてアルコール度数が低めであった。ただ兀突骨は…

タイムテーブルに沿って記述していくこととする。

・開宴
レキシズルの渡部さんと、女将の早川さんの軽快なトークにより、三国志フェスが幕を切った。開宴までかなり時間があったため、ある程度の参加者はすっかり打ち解けている様子である。そして乾杯の音頭。もちろん三国志のイベントで恒例となっている「生まれた時は違えども、願わくば同年同月同日に死なんことを」で乾杯。

・赤壁茶会
乾杯をしてから、茶会の準備が始まる。スクリーンには『RedCliff』の画像が映る。準備が整ったところで中国茶アドバイザーのれいなさんによる『赤壁茶会』が始まった。

まずは映画と中国茶の関わりについて、そして中国茶の起源について説明がされた。三皇五帝の三皇の一人である神農が初めて飲んだという説の紹介や、彼が記した『神農食経』について触れた。

そして中国茶の淹れ方を『すけっちぶっく』を用いて用語などの説明がされた。そして『RedCliff』で小喬が曹操にお茶を淹れるシーンの解説が始まると忠実な再現がされた。この時の小喬のセリフで『魚目』や『湧泉』といった用語をこの茶会を通して理解をすることが出来た。映画は陸羽が作成した『茶経』を基にして撮影されたともお話された。以下がその一節である。

其沸、如魚目、微有聲、為一沸。緣邊如涌泉連珠、為二沸。騰波鼓浪、為三沸。已上、水老、不可食也。
(訳:その沸きかげんは魚の目のようで、微かな声がするのを、一沸とする。縁辺に湧泉の連なる珠のようなのを、二沸とする。波が騰がり浪をうつのを、三沸とする。これ以上は、水が老いてしまうので、飲まない方がよい。

当時は現代のようなにお湯の温度を計測するための温度計がない時代だからこそ、湧き上がる気泡の様子で最適な温度を見極めていたのだとか思う。「魚の目」や「水が老いる」などと日本にはない独特の表現には感服する。


・余興
茶会が終わってから、中国に滞在されているUSHISUKEさんが登場する。残念ながらSkypeを通してのスクリーン上での出演である。本人の正確を知らないため何とも言えないが、通信が悪いのか彼のリアクションが異様に薄かった。さてこの余興では、USHISUKEさんが中国で見つけた三国志に関する商品を紹介するプレゼンが行なわれた。成都の武侯祀で購入された魏、蜀、呉の人物の京劇の面が描かれた栞や、マフラーをした馬超とされる人形、パンダの五虎将が、説明と共にスクリーンに映し出された。
紹介されたグッズは全て、物販された。

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・坂本和丸アワー★広げよう三国志の輪
総合三国志同盟代表の和丸さんによるトークショーである。こちらも同様に、「生まれた時は違えども、願わくば同年同月同日に死なんことを」で乾杯を(2回目)。
内容は先述したとおり、参加者が前に登場し和丸さんと笑っていも●とも形式で、熱く濃い三国志トークを5分程度繰り広げるコーナーである。その際には宣伝や告知など何でもOKとのことである。
時間の都合上8人の精鋭が登場した。中でも曹操について司会進行の和丸さんも驚くほど、ノンストップで熱く語るROCKERさんが強烈であった。曹操に関すると、まるで別人のように熱弁を振るっていた。

中国武術で大刀を習っている方が、実に興味深いことを仰った。なぜ大刀の別名が春秋大刀なのかということだ。大刀は関羽が使用したとされる、『青龍偃月刀』を模した武器である。彼は春秋左氏伝を読んでいたため、そこから名前がついたとされる、という旨だ。これは調べる価値はありそうだ。
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・曹操高陵の現在
哲舟さんによる今回の目玉での1つでもある、本邦初??であろう曹操高陵について哲舟さんとUSHISUKEさんが撮影した画像を交えて発表が行われた。内容をざっくりとまとめると以下の通りである。
1.日本の超有名な某イラストレーラーのイラストを看板に大きく使用している。
2.曹操高陵の施設に入るためにはあらかじめ手続きが必要。
3.施設に入ることが出来るのは、基本的には地元の住民のみ。
4.陵墓内への立ち入りは禁止されている。
5.撮影禁止

当初は陵墓ないに入れたそうだが、保存のために立ち入りを制限しているようだ。撮影禁止でも、警備員にバレなければいいとのこと。中国語を話えなくとも何とかなるそうなので、いつか足を運んで曹操を偲びたい。
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・三国志音楽会
イベントはまだまだ終わらない。銅雀台で意気投合したメンバーが、楽器の演奏が出来る→扱う楽器がバラバラ→イベントで演奏しようではないか、と盛り上がり結成されたそうだ。(後日談:なかなか予定が合わず、短期間で練習されたとのこと。)
音楽会はREDCLIFFの『The Beginning』から始まった。曲の合間にバイオリン、二胡、フルート、トロンボーンの順で楽器の紹介が行われた。三国志と鼓吹楽についての関係を正史に記述されている文章で紹介がされた。優雅な時間があっと言う間に過ぎてしまう。
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・三国志研究中間発表
USHISUKEさんの商品紹介の後に行われる予定であった、NPO三国志フォーラムの清岡による荒ぶる発表が行われた。内容は、『三国演義連環画』と『横山三国志』の比較というものである。横山光輝は、三国演義連環画を資料として三国志を作成されたと述べており、衣装や構図など連環画をから引き写されているコマを、分析・比較をされた。尚、時間の都合と清岡さんの実力によりたった3分程で終了した。
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・三国志街道の集い
いよいよ最後のプログラムである。お笑い芸人のおくまんさん(顔ポイント)と満田先生による三国志街道の集いがトリを飾った。しかも記念すべき代30回目である。
再度「生まれた時は違えども、願わくば同年同月同日に死なんことを」で乾杯する(3回目)。
まずはテーマの発表がされる。今回は『街亭の戦い』であった。おくまんさんが苦労して描かれたという横光三国志のイラストで、街亭の戦いについての概要が紙芝居で説明される。そして満田先生により、これは実は○○であった。という様な補足や解説が行われた。(おくまんさん曰く満田先生の「夢を壊すコーナー」)。

おくまんさんの軽妙なボケや突っ込みに会場は終始盛り上がった。急な振りに満田先生は戸惑ったり、噴いて笑う場面も。そして泣いて馬謖を斬るの対義語で『笑って廖化を斬る』という名言が誕生するのであった。
最後に参加者の質問に満田先生が答えるQ&Aが行われた。質問内容は以下の3つが挙がった。
・曹操の口の中に入っていた宝石は2000万円の価値があるか?
・董卓の政治の良いところは?
・三国志上で最も美しい女性は?
竹内先生のQ&Aと異なり、歴史的に記述がされていなくても答えないといけないらしい。上から順に2000万円異常の価値はある。人々の意見を採用し取り入れた。最後の質問に関しては答えを出さずに修了した。
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・閉会式
最後は抽選会が行われた。景品は株式会社SPOの提供で豪華なものばかりであった。中には非売品のパンフレットもあった。抽選は受付の際にパンフレットと一緒に渡された番号札をしようする。スタッフが無作為に番号を選び、読み上げた。全員で7名が選ばれ順番を選び、景品を選んだ。
抽選後はスタッフ1人ひとりによる挨拶が行われた。そして閉会の言葉が述べられ、無事に『Mini三国志フェス』が幕を閉じた。
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Miniであっても内容は非常に濃く、充実した7時間を過ごすことが出来た。本当にあっという間に過ぎてしまい、少し寂しい。今回は海野いいことに、長年の夢であった『三国志街道の集い』にも参加することが出来、本当に満足である。リピーターが続出するという噂はかねてより耳にしていた。初めて参加してみて、おくまんさんのテンポの良い軽快なトークと、様々な話題が次々と展開され、いつまでも見聞きしたいち感じた。参加してリピーターが発生する理由がようやく理解することが出来た。要は楽しいの、この一言に尽きる。

やはり来年は絶対に『三国志フェス』に参加したいと考える。イベントの運営の携われた皆様、参加された皆様、本当にお疲れ様でした。



これより以下は個人的なことである。
今回は驚くべきことが何点かあった。まずは満田先生に覚えられていたということである。先述にもある通り、夏季講座でチケットを入手出来ず、参加出来なかったことに関して、三国志街道の集いの時と、閉会式直後に謝罪されるとは本当に予想外であった。お話を伺うと、今年に限り(今年からかもしれないが)例年の夏季講座は2日間開催されていたそうだ。しかし今年に限って1日しか開催されなかったらしい。つまり参加人数が80名から40名に減ったそうである。店舗によってチケットが入手し易い、しにくいかもあったそうだ。来年に開催される夏季講座は現段階ではどうなるのか、まだ決定していないらしい。次回こそは、参加したいものだが、果たして出来るのだろうか。
もう1つはこの日に私、教団が偶然にもよりによって狙ったかの様にMini三国志フェスの開催日に誕生日を迎えてしまったということである。日付が変わり夜行バスの中で、山口県と広島県の知り合いの方よりメールが届く。そして会場内でも知り合いの方に、声を掛けて頂いたり、プレゼントを頂いたりと、ありがたいことに祝って頂けた。あと500mlも日本酒を摂取していたら、泣いてしまったであろう。本当に感無量である。
この繋がりは大切にしていきたい。
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外部リンク
・レキシズルスペース
http://hello-kiitos.sakura.ne.jp/rekisizzle/event/
・Mini三国志フェス
http://3fes.sangokushi-forum.com/2012_mini/index.html
・中国王朝の至宝
http://china-ocho.jp/
・日本中国茶普及協会
http://www.china-t.org/
・総合三国志同盟
http://s-sangokushi-d.com/
・【三国志感謝祭公式ブログ】(坂本和丸さんのブログ)
http://ameblo.jp/sangokusi-engi/entry-11384201915.html
・三国志街道の集い
http://tabihatsu.jp/program/79450.html
・満田剛のブログ
http://tmitsuda.blog112.fc2.com/
上記HP内:夏季講座「『三国志』人物録―司令官・参謀列伝」
http://tmitsuda.blog112.fc2.com/blog-entry-1416.html
・おくまん日記。
http://ameblo.jp/okuman1023/
・ドラマ「三国志」公式サイト
http://www.sangokushi-tv.com/index.html
・六龍堂(早川知佐さんのブログ)
http://blog.rokuryudo.com/?eid=1232045
・伏竜舎的博客(伏竜舎さんのブログ)
http://ameblo.jp/fukuryusha/day-20121014.html
・哲舟の呑む喰う浸かる、歴史に憩う(哲舟さんのブログ)
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/
上記HP内:Mini三国志フェスinレキシズルスペース開催します!http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65743026.html
上記HP内:Mini三国志フェス 無事終了しました。満員&盛況御礼!!
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65746516.html
上記HP内:Mini三国志フェスを終えて・・・雑感。
http://blog.livedoor.jp/tetsubo8/archives/65747280.html
・三国志漂流(USHISUKEさんのブログ)
http://3594h.blog95.fc2.com/
・三国志小説サイト「孫氏三代」(清岡さんのブログ)
http://cte.main.jp/sunshi/
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今回の戦利品を掲載する。
1つの記事に10枚しか画像を掲載することができないので、twitterに掲載した画像のリンクを貼っていく。
ROCKERさん から
はっちゃん から
ツナさん から
サキさん から
ねこまんまさん から
・今回のMini三国志フェスのプログラム







【はじめに】
この考察はイナズマイレブンの番組内容をかなり指摘してます。それが好きな方にとって、批判的に感じられるため、読まずにPageBackして頂くことをオススメ致します。
意見や文句などありましたら、ご自由にコメントで述べて頂ければと思います。
※ただしアニメそのものを否定している訳ではない。例えば『実は源頼朝は女性だった』と唱えるとあり得ない、間違っていると指摘される。それと同じ様に、ただ誤った事実を文献を用いて歴史的に指摘するだけである。








10/3(水)の19:00~19:27にテレビ東京系6局(テレビ東京・テレビ大阪・テレビ愛知・テレビ北海道・テレビせとうち・TVQ九州放送)で『イナズマイレブンGo クロノ・ストーン(第22話)「劉備さんは面白い!」』が放送された。
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根本的にアニメを観ないので、登場人物の名前や性格はもちろん、どんな番組でどの様な内容かは全然知らないため、作中で飛び交う用語については踏み込まずに、『三国志』だけの視点よりアニメを分析し、考察をしようと考える。

いきなりであるが、まずタイトルの「劉備さんは面白い!」という標記について誤りがある。『礼記』曲礼篇にある「男子二十冠而字。父前子名。君前臣名。(訳:、男は20歳で字を付けられ、子は父の前、臣下は君主の前で名を使用しなければならない)」と記述されている。

つまり年上が年下に対して、『姓+字』で呼ぶことが出来るが、年下が年上の者に対しては不可能なことである。ここで登場人物について整理する。イナズマイレブンの主人公達の設定は中学生なので、年齢は11~15歳である。そして今回舞台となった207年の劉備の年齢は46~47歳である。2回り以上年齢が離れており、なおかつその記述に反することになるので『劉(姓)+備(字)』さんと呼ぶことは無礼とされるため、絶対に出来ない行為である。

そして何年も付き合っている訳ではないので、当然親しい間柄ではない。この場合は『姓+名前』または『姓+官職』が相応しい呼ぶ方である。そのためタイトルは「劉備さんは面白い!」ではなく『劉玄徳~は面白い!』または『劉豫州(劉左将軍)は面白い!』となるべきである。

おそらく、「劉備」は日本の姓と同じ感覚で番組スタッフに捉えられているため、今回の様な事になったのではないだろうか?

先述通り物語の舞台は207年(建安十二年)の後漢である。この年の大きな出来事は①曹操の烏桓討伐。②黄巾賊が済南王の劉贇を殺害。③遼東太守公孫康が袁尚、袁熙を殺害。④三顧の礼がある。

さてこれから物語の内容に沿って進めていく。以下が番組のあらすじである。
【化身アームドは身につけたが、敵はそれ以上に強くなっている。雷門のゴールを守り切らなければと力み過ぎるあまり、逆に本来の自分らしいプレイを出来ずにいる信助に、三国は失敗を恐れずに思い切りやれとアドバイスする。一方、時空最強イレブンを実現するため、今度は三国志の時代へとタイムジャンプすることになった天馬たち。次なる力、「未来をも見通す状況推理能力で敵の急所をつく、正確無比のミッドフィルダー」と、「大国を治める力、強靱な行動力と実行力を持つ、鉄壁のキーパー」のオーラは諸葛孔明と劉玄徳が持つという。三国は、絶対に劉備の力を手に入れて戻ってくるよう信助を激励する。さらに豪炎寺に事情を聞いた雨宮太陽を新たに仲間に加え、雷門イレブンは三国志時代に向かう。(公式サイトより引用)】

この文章からMFが諸葛亮、GKが劉備であると読み取れる。しかし『オーラ=その人物の能力』という理解出来ない方程式が構成されているが、ここはあえて触れないでおく。

この時代には状況分析には軍事的に優れている曹操や周瑜、守備には曹仁や孫権がいてるが、なぜか劉備である。彼が選ばれたことの理由としていくつか考えられる。1つ目、『製作者は蜀が好き』である。2つ目は、『三顧の礼を絡める事によって物語が少しでも長くなる』こと。3つ目は『劉備は善玉のイメージが定着しているので、主役へ協力的に描ける』といったところであろう。

もし曹操を登場させると、「未来から来た」と話す以前に拝謁する手続きを行なわなければならない。無事に彼に話したとしても、左慈の件があるので「戯言を吐くな」と怒鳴られ即座に捕縛、処刑されるかもしれない。だから群雄の中でも、特に人徳の厚い劉備が起用されたのであろう。

まず放送が始まりしばらくした後に、豪炎寺と呼ばれる人物が竹簡を片手に登場し「今回のアーティファクトは、『孔明の書』だ!」とメンバーに報告する。その竹簡はどうやら諸葛亮の書であるらしい。どこで入手したのか、その過程が気になるが当然の様に省かれる。毎回何か時空を越えるためのアイテムを入手しているようで、彼は有能である。
教団's Rot

諸葛亮の持っているMFに必要な「未来を見通す状況推理能力で敵の急所を付く正確無比の力」と劉備の「強靭な行動力と実行力を持つ鉄壁の力」を手に入れるべく、三国志の時代にタイムジャンプすると説明がされる。

さらに速水鶴正(CV:吉野裕行)と言う人物が、子供の視聴者や仲間に『三国志』についてという人物が閻忠の様に熱く紹介をするのである。ここで速水のセリフをそのまま引用する。

「『三国志』と言うのはですね、今から1800年位前の中国で『魏』『呉』『蜀』って言う3つの国が出来るまでの事を書いた話なんです。『劉備』って言うのは、その中に出てくる英雄の1人で『関羽』と『張飛』って言う兄弟の契を交わした2人と軍を率いて、圧倒的な兵力を誇る曹操の軍と戦うんです。その時に『軍師』として劉備に仕えたのが、3の力の所で出た『諸葛孔明』なんです。」
教団's Rot

※この時に出た地図は国は違えどもKOEIカラーである。
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堂々と胸を張っての説明であるが、このセリフの中には所々間違っている部分がある。それは「三国志は魏、呉、蜀の3ヶ国が出来るまでの事を書いた話」である。三国志とは話ではなく歴史書である。

この場合は演義を指している様に捉えることが出来るため指摘をする。そして「3ヶ国が出来るまで」とある。史実には『魏』は曹操の死後、後を継いだ曹丕が献帝より禅譲を受け、220年(黄初元年)に建国する。『蜀』は劉備が巴蜀の地で221年(章武元年)に建国。『呉』はその翌年の222年(黄武元年)に孫権が建業にて建国する。つまり222年に3ヶ国目である呉が建国するまでのことしか、その『三国志』には書かれていないという事になる。的確かつ簡略に三国志の説明をするとこうなる。
【『三国志』は、中国・西晋代の陳寿の撰による、三国時代について書かれた歴史書。後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの時代を扱う。二十四史の一。(wikipediaより引用)】

これを聞いた中学生は果たして理解出来るのかは不明であるが、誤った情報を聞くよりもマシであろう。

さて、自称三国志が好きを語る速水は、三国志についての知識を全く持っていない仲間やお茶の間の視聴者に対して、その説明で何故か晋が三国を統一するまでの78年を、勝手に歴史の闇に葬ってしまったのである。

この事により彼の知っている三国志の時系列は黄巾の乱が勃発した184年(中平元年)付近から、呉が建国した222年(黄武元年)までと推測する事が出来る。
そこで彼は何で三国志について触れたのか、もしくは何で触れているのか少し興味があるため考えることにする。

三国志が好きになるきっかけとして、書籍やゲーム、大戦、人形劇、映画が多いため、この中から絞っていきたい。まず年代は異様に狭いので、書籍とゲーム以外は外れる。

先ほど述べたが、222年までということなので、五丈原の戦いが含まれないため無双系やシュミレーションなどのゲームも外れる。残るは書籍だけとなった。書籍の内容として三国志は大きく2つに分類することが出来る。諸葛亮が五丈原で病没する234年(建興12年)まで書かれているモノと、晋が三国を統一する280年(咸寧6年)のモノである。

三国志演義はもちろん、吉川三国志や横光三国志、秘本三国志、柴錬三国志、北方三国志などメジャーな作品は条件が一致しないので、対象より外れてしまう。しかしよく考えると、たった1つだけに条件が合致する作品がある。

それは「蒼天航路」である。223年の劉備が散るところまで物語が描かれているので、おそらく速水はこの作品に触れて三国志が好きになったのではないだろうか。そして彼は「蒼天航路」でしか三国志を触れたことがないため、あの様な説明をするに至ったのではないだろうか。

何の根拠もないが、「速水蒼天説」と言う誰も特のしない仮説を立てて、この話を追求しないことにする。

かなり誤った簡略な説明を聞かされた仲間であったが、誰が後漢へタイムジャンプをするか選抜され、移動をする。到着後は劉備の歌声に釣られ即合流をするが、劉備はぬかるんだ地面にはまってしまった大砲の車輪を押して出そうとしていた。彼の話によると巨大な亀を捕獲する為に、大砲を使用すると言うことである、がこれは冗談で、本当は龍(臥龍)を大砲に装填してある槍で捕獲するためだそうだ。

ここでも少し切り込んでみる。まず劉備の容姿についてから言及する。正史には
【先主無鬚、故裕以此及之。(訳:先主はあごひげがないため、張裕はそのことを言って仕返しをした)『三國志』蜀書卷四十二、杜周杜許孟來尹李譙郤傳第十二、周羣伝より引用】
と記述されている。しかし正史とは逆で、この劉備は豊かな鬚・髭・髯を蓄えているのである。

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服装は後漢の服装ではないのも気になる部分である。冠はしておらず科頭、つまり頭は冠や頭巾を被らず頭が丸出しである。生活が窮困するなど、よっぽどの事がない限りこの状態にはならないのである。基本的には何かを被っていなければならない。

さらに衣装は正確にはいつの時代のモノかは分からないが、後漢ではないのは確実である。著作権の問題で掲載できないため、リンク先の画像魯王墓石人題字(1)魯王墓石人題字(2)を参照して頂きたい。

そして嫌でも目に付いてしまうのが、劉備の所有物である巨大な大砲についても触れたい。この当時は大砲なんてモノは存在しない。大砲とは火薬の爆発によって弾丸などを発射する武器である。
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中国史において火薬が登場したのが唐代(618~907年)とされ、この時代に書かれた資料である「真元妙道要路」に記述されている。火薬は早くても411年は登場しないので大砲は使用出来ない。バネの力で発射させようにも、バネは15世紀に発明されたので年代が一切合わず使用することが出来ない。

大砲については、中国史における最古の大砲は1259年に開発されたとされる『実火槍』と呼ばれる木製の火砲である。こちらはあと1052年以上経たないと歴史上に登場しない代物のため、当然描かれるべきモノではない。

後漢の時代には青銅や鉄が多く流通していた。しかし彼の持っているそれの素材が分からないため、色的に鉄で造られた大砲だと仮定する。この時代は塩や鉄は国によって専売されていた。この専売制度は武帝期の紀元前119年により始まり、数百年続く制度である。それらを専売することは、すなわち国庫を潤すことが目的とされた。そのため製鉄所は国家により運営され、密造は厳しく罰せられていたのである。

そんな訳で、歴史上に登場するのには早すぎる大砲は、どう考えても国家が製造するハズがない。つまり龍を捕獲するという個人的な欲望の為に、劉備は独自に開発・製造に至ったのであろう。強引であるがこれなら話がつく。

とにかく大砲をぬかるみから押し出す作業に協力することにする一行であったが、なかなか大砲は動かない。一旦下げて泥にハマっていない方向に出すのが良いのではないかと提案するも、劉備は『一度決めたことは変えない』と言って譲らず、そのまま押し続けることとなる。信念を決して曲げないという矜持を感じさせる態度でもあった。

そしてようやく大砲はぬかるみを脱する。ここで関羽と張飛が登場する。当然の様に関羽は青龍偃月刀を、寵妃は蛇矛(刃は曲がっている)を手に持っている。各人物の声優は以下の通りである。
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・劉備玄徳(CV:平田広明「代表作:ONEPIECE(サンジ)、蒼天航路(諸葛亮)、TIGER & BUNNY(ワイルドタイガー / 鏑木・T・虎徹)など」)

・関羽雲長(CV:稲田徹「代表作:ドラゴンボールGT(人造人間19号)、ONE PIECE(Mr.1)、蒼天航路(夏侯淵)、真・三國無双系(呂布、黄蓋)など」)

・張飛翼徳(CV:奈良徹「代表作:NARUTO(自来也<幼少時代>)、蒼天航路(黄蓋)、TIGER & BUNNY(ポーリー)など」)
とても豪華な配役である。3人とも蒼天航路を担当していたとは思いもしなかった。

劉備は諸葛亮を迎えるために、2回も彼の屋敷を訪れたと説明をする。1回目は『布団が吹っ飛んでふとんと落ちてきた』とギャグを門前で叫ぶ。2回目は『河童が掻払った。河童のお皿が乾いてカッパカパー』と。

ここで思ったことは『河童』は日本の伝説上の生物であり中国には存在しないのである。明時代に作成された四大奇書の1つである「西遊記」に河童が登場しているぞ、と意見があるかもしれない。なので、その説明も少ししようと思う。「最遊記」の原典である「大唐三蔵取経詩話」の沙悟浄であるが、前身である「深沙神」は中国民間信仰から生まれ、仏教の毘沙門天の化身と考えられている。そのため、河童ではない。さらに河童は訓読みであるので、日本製であることが伺える。補足として河童のピンインは(hé tóng)である。

全員で諸葛亮の屋敷へと移動する。屋敷の外見は木造や石壁ではなくコンクリートで出来ている様な気がする。その後ろにある岩山にも建物の一部が見えているため、とんでもない屋敷であることは間違いないようだ。これは完全に当時の家屋の作りとは違う。さて諸葛亮の屋敷の門は固く閉ざされていた。張飛が押しても引いても開けることが出来ない。すると関羽が本当の入口が別の場所にあるのではないかと劉備に進言しようとするも、扉が開いてしまう。実はシャッターのような感じで、実は上下に開閉するのであった。
教団's Rot

大砲を引いて屋敷ないに入る劉備だったが、落ちてきた鉄球に大砲が潰されてしまう。これぞ孔明の罠である。諸葛亮のストーカーまがいで変なギャグセンスを持っている劉備に対する一種の対策であろうか。鉄球を使用するということは、それ自体をどこかで入手しなければならない。諸葛亮の場合は情報が少なすぎるので、割愛をする。
教団's Rot

彼の屋敷にはこんな仕掛けが山ほど用意されているらしい。覚悟を決めて屋敷に入っていく一行だが、その後ろに敵の姿があった。最後尾の関羽と張飛を球状の機械を用いて、それから発する波動によりマインドコントロールしてしまう。

しばらく進むと広間に出た。さらに先へ進もうとする彼らだったが、洗脳されている関羽と張飛が行く手を立ち塞いだ。劉備は2人の異変に気付く。そして3人の敵を思われる人物が登場し、主人公達にサッカーの対決を挑む。劉備は関羽と張飛を救うために剣を抜くが、洗脳を解くためには何故かサッカーバトルで勝たなければいけないらしい。洗脳解除=機器の破壊、もしくは電源を切るのが普通であろう。洗脳解除とサッカーとの因果関係は不明である。

サッカーをすると決まった途端に、広間にサッカーコートのラインが浮かび上がり、ゴールが沸いてきた。もう一度記述するが、ここは諸葛亮の屋敷内であり公共の場ではない。

サッカーを知らない、出来ないと判断したメンバーは、彼に下がっていて欲しいと要請するも、義弟達を自分の手で助けたいと思いをを伝える。そしてやむを得ず劉備にキーパーを任せる。キーパーの役割を説明され、劉備は笑顔でそれを引き受け、試合が開始する。

ここでサッカーについて触れることにする。サッカーの歴史はとても古く、紀元前1500年前には存在をしていたとされる。中国では戦国時代にサッカーではなく『蹴鞠』という遊戯が存在していることが『戦国策』に記述されている。そのため古代中国にはサッカーではないが、球を蹴る文化が根付いていたことが分かる。

劉備はサッカー自体を知らなくても、蹴鞠は知っていたはずなので、大まかな概要は知っていた可能性がある。そのため、一概にサッカーを知らない、出来ないと判断を下すのは間違っている。

物語の最後は劉備による華麗なキーパーダッシュで終了するのであった。次回の予告を掲載して今回の考察は終了しようと考える。

【孔明の要塞に潜入した天馬たちに次々と襲いかかってくる罠。劉備の勝手な行動により足止めを食らうことになり、彼に対して不審感を抱く信助。さらに奥へと進む天馬たちの前に、予想だにしない敵が現れて…(公式サイトより引用)】

次週は「仰天!孔明の館!!」について考察したい。



10/13(土)の『Mini三国志フェス』ではなく、東京国立博物館で開催される『中国 王朝の至宝』観覧についての連絡です。

【日にち】
・10/13(土)

【集合】
・10:45頃
・JR上野駅『翼の像(1人タイタニック)』前


【内容】
レキシズルスペースが15時から開場のため変に時間が空いてしまいます。そんな訳で、それまで空き時間に東博で展示されている中国王朝の各時代毎の国宝を観覧しましょう。そして士気を上げてからフェスに参加しよう!!的な感じです。(つまりMini三国志フェスの前座です。)
14時を目処に会場へ向かおうと考えています。

入館料は各自負担でお願いします。
前売り券の購入をお勧めします。

館内では騒げないですが、思いっきり楽しみましょう!!

ご質問等ご不明な点がございましたら
こちらまでご連絡をお願いします。
・twitter 教団
・Mail kyoudan3594@gmail.com
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特別展『中国 王朝の至宝』について

【開催場所】
東京国立博物館(平成館)

【期間】
・10/10(水)~12/24(月)

【開館時間】
・9:30~17:00
 (入館は閉館の30分前まで。期間中の金曜日は20:00まで。)
・毎週月曜は休館

【料金】
・一般 1500円(前売り1200円)
・大学生1200円(前売り1000円)
・高校生 700円(前売り 500円)

【アクセス】
JR上野駅公園口上野駅、鶯谷駅より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分。



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参加者(五十音順)
・教団
・はっちゃん
・氷咲梨奈さん
・ROCKERさん


9/22(土)16時よりKOBE三国志ガーデンにて、龍谷大学の竹内真彦准教授による『三国志三国志Q&A』が開催された。
教団's Rot-Q&A

今回のテーマは、前回7/28(土)のQ&Aにおいてリクエストされた徐庶、魏延、楽進と竹内先生が選んだ趙雲の4人である。いつもと同様に『中央研究所漢籍電子文献』を使用し、原文を参照しながら参加者から問われた質問や疑問に解説を行なって頂いた。以下がそのまとめである。ただし質問文はそのまま引用する。
教団's Rot-Q&A

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趙雲
Q1)『正史』の記述、「趙雲別伝」は嘘だらけであると盧弼の『三国志集解』には書かれているらしいが、どの部分を嘘と断じているか?

例を挙げると、趙雲は公孫瓚の下に仕えていた。青州の田楷のために公孫瓚が劉備を派遣する。その際に趙雲も派遣され劉備の下に仕える(193年頃)。劉備が袁紹の下へ身を寄せていた時に、鄴において劉備に謁見し、その後彼に仕えた(199~200年頃)。この劉備に仕える時期が矛盾していることを盧弼が断言している。

三国志演義では上記の矛盾を解消すべく演出がされている。公孫瓚から劉備に一時期仕える。しかし劉備乞うも断られ再び公孫瓚の下に。そして身内の喪に服すため公孫瓚より離れる。そして官渡の戦いの後に、関羽や張飛と同じ時期に劉備に仕えたのである。

A.趙雲伝に関しては注が多く突っ込みどころが満載のため(時間的な関係により)全てを紹介をしきれない。そのため、佐藤ひろおさんの『いつか書きたい三国志』の趙雲を参照。

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Q2)趙雲は『演義』では「槍」の名手とされているが、なぜそのような設定になったのか?

趙雲使一條槍、名曰『涯角槍』。海天涯角無對。三國志、除飛第一條搶。(『三国志平話』巻中)訳:趙雲は『涯角槍』と言う名の槍を使っていた。天地の果てに行くまで相手をする者がいない(生涯無敵であった)。三国志の中で張飛を除けば1番の槍使いであった(つまり2番)。
以上の記述により趙雲=最強の槍使いと定着してしまったのであろう。

A.何故かは不明。おそらく三国志平話の影響によるものである。

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Q3)長坂坡の戦いにおいて敵将の夏侯恩より奪った「青釭の剣」の役割は?

曹操が倚天の剣と青釭の剣を対に作らせた名剣である。倚天の剣は曹操が持ち、青釭の剣は彼のお気に入りである夏侯恩に与えた。さて趙雲は三国志演義の中で、長坂坡の戦いと同等かそれ以上の活躍は見られない。つまりそれまでの趙雲と比較すると説明がつかない強さとなっているのである。そのため説明のギミックとして、「鉄を泥のように切ってしまう剣を持っていたので強かった」とするためであると考えられるそうだ。その後作中で趙雲が使用しないのは、そのためであるらしい。

さらに三國演義の趙雲は2パターンあると教えて頂いた。それは「趙雲」と記述されているモノと「子龍」と記述されているモノがあることである。違いは「趙雲」よりも「子龍」で書かれている内容が派手な活躍をする、とのことである。これは何を意味するかと言うと、話の出典が異なると解釈出来るそうだ。子龍で表記されている内容は、民間伝承で伝わった物語に登場し活躍している人物が、趙雲と掏り替わった可能性があるとも指摘された。三国志平話と三国志演義の趙雲を比べると、関羽や張飛と異なり後者の方が活躍をしている。

A.長坂前後の彼の強さの辻褄を合わせるためのスペシャルアイテム。

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Q4)横山光輝三国志ドカベン趙雲はともかく、映画・小説・マンガ・ゲーム等で大体、【爽やかでイケメン】で描かれていることが多いのは何故か?

三国志演義での趙雲の初登場場面が以下の通りである。
文醜驟馬厲聲 大叫:「快下馬受降!」瓚弓箭盡落,頭盔墮地;披髮縱馬,奔轉山坡;其馬前失,瓚翻身落於坡下。文醜急捻鎗來刺。忽見草坡左側轉出一個少年將軍,飛馬挺鎗,直取文醜。公孫瓚爬上坡去,看那少年。(三國演義第7回)
訳:文醜が馬を走らせながら「潔く馬から降りて降参しろ」と大声で叫んだ。公孫瓚は弓矢を棄て、兜を落とし、髪を振り乱し馬を鞭打ち山坂を駆けた。その馬が前足を折り、公孫瓚は坂へと落馬した。文醜が槍で刺そうとした。すると左側の草叢から馬に乗った一人の若い将軍が飛び出し、槍で文醜を突きかかった。公孫瓚は坂から這い上がり、その若者を見た。

原文では趙雲のことを『少年』と記述されている。これが原因なのだ。中国語の『少年』と日本の少年はかなり言葉の感覚が異なり、中国の『少年』の意味は「若者、成人」を意味し、日本の『少年』は「十代半ば」を意味する。

大陸から日本へ伝わった時に、解釈の違いにより、もう一段若くなってしまい、成人している若者の趙雲は、十代の趙雲になってしまったのである。その後、柴鎌三国志で関羽に勉学を教えてもらっている描写がされた。それらの普及で、日本では趙雲は若いというイメージが定着してしまったのである。

さて上記の原文の続きに趙雲の描写がされている。
公孫瓚爬上坡去,看那少年,生得身長八尺,濃眉大眼,闊面重頤,威風凜凜。(三國演義第7回)
訳:公孫瓚が坂に登っていき、その若者を見ると、身長が8尺(約180cm)、眉が濃く眼が大きく、顔が大きく顎が重なっていて(2重顎)、威風凜凜としている。
とある。果たしてイケメンなのであろうか。個人的には横光趙雲が、この描写と一致してしまうのだが。これについて魏延の項目で続きを記載する。

A.三國志演義のせいである。

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魏延
Q5)諸葛亮の言った、反骨の相とはどういったモノなのか?『三國志』魏書・袁張涼國田王邴管傳第十一/管寧伝裴注に『飢不苟食,寒不苟衣,結草以為裳,科頭徒跣。每出,見婦人則隱翳,須去乃出。』と記述されているが。

飢不苟食,寒不苟衣,結草以為裳,科頭徒跣。每出,見婦人則隱翳,須去乃出。(『三國志』魏書・袁張涼國田王邴管傳第十一/管寧伝裴注所引『魏略』)
訳:飢えて安易に食をとらず、寒くても衣服を着なかった。草を編んでスカートにし、剥き出しの頭に裸足であった。外出の度に、女性に出会えば物影に隠れ、去るとから出た。
とある。何を言いたいかと言うと、よほどの事がない限り、『科頭』つまり頭が剥き出しとなることはないのである。そのため、演義オリジナルとは言え、諸葛亮は魏延の頭の形がどのような形状をしているの分からないので『反骨の相があるから斬ってしまえ』と断言出来るハズがないと考えられる。

先程の趙雲の二重顎もそうであるが、これらの出典は三国志演義が制作された明代に出版されていた『日用類書 』からである。その中の『相法』(人相運)より、人物の描写がされたのであろう。関羽の臥蚕眉や張飛の豹頭環眼、趙雲の二重顎もそこから出典され、当時の読者にとってイメージしやすかったのではないかと考えられる。さて魏延の場合も同様で、正史の裏切る行動様式に当てはめられて『反骨の相』とされた。そのため正史の魏延≠演義の魏延と考えるべきである。

A.明代の相法である。

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Q6)『演義』では、孔明は魏延を嫌っていたことになっているが、正史にそのような記述はあるのか?

延每隨亮出,輒欲請兵萬人,與亮異道會于潼關,如韓信故事,亮制而不許。延常謂亮 為怯,歎恨己才用之不盡。(『三國志』蜀書・劉彭廖李劉魏楊傳第十・魏延)
訳:魏延は毎回孔明の出陣に付き従った。一万人の別働隊を率いて諸葛亮と異なる道から『潼関(長安と洛陽の間)』を攻めると言うが、韓信ように(一発逆転は)いかないので諸葛亮はそれを許さなかった。魏延は常に諸葛亮を臆病だと言い、自分の才能を発揮でにないので嘆いた。
と蜀書にある。

魏延は諸葛亮に不満を抱いていたかもしれないが、武人としての度を超えているわけでもなく、諸葛亮に従っている。諸葛亮は魏延を登用し続けており、長年要地である漢中の太守を任せているので、彼を切り捨てるつもりはなかったと考えられる。全ては楊儀の立ち回りが抜群に良かったため、魏延は嵌められたとされる。

A.微妙である。

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徐庶
Q7)徐庶は『演義』では劉備の臣(軍師)として活躍するが、『正史』には孔明を紹介した以外実績がない。個人的には「賓客」ではなかったかと想像する。

正史には徐庶伝がなく諸葛亮伝の中に、しかも魏略にしか徐庶についての詳しい記述がない。中国語の客は『旅人』を意味し、本人が客と自覚していれば賓客である。「いつか(魏領内)の故郷に帰ってやる」と考えていた可能性がある。その為、決して臣ではない。

A.賓客である。

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Q8)徐庶が初登場の時に歌っていたのは、徐庶のオリジナルか?それとも何か元ネタがあるのか?アピールするときに作詞する風習があったのか?

天地反覆兮,火欲殂;大廈將崩兮,一木難扶。山谷有賢兮,欲投明主;明主求賢兮,卻不知吾。(『三國演義』第35回)
訳:天地がひっくり返り、漢王朝は滅びる。大きい家が崩れかかり、一本の大木では支えきれない。山や谷に賢者がおり、明主に仕えたい。明主は賢者を求めているが、私のことは知らない。

徐庶のオリジナルではなく、三国志演義の制作に関わった人物が作成したモノであると考えられる。元ネタは不明であるが詩の形式は原始的で洗練されていない。その理由は『兮』が使われているからだそうだ。

この字は音を整える(フレーズを区切る)だけであって、意味やがない。この『兮』と言う字を使用することによって、詩ではなくても、詩のようになるそうだ。確実に言えるのは、偶数番目にある『殂・扶』は押韻を踏んでいる。しかし、『主・吾』の関係が分からず、韻を踏めていないそうだ。この場合は『殂・扶・主・吾』の関係が滅茶苦茶なので、この詩を考えた人物がかなりの下手くそなのか、韻などの配置を考えていない、と考えられる。当時のインテリにとっては詩を作ると言うことは必須教養である。そのため作詞作曲は出来ると考えられる。

A.徐庶のオリジナルではなく、元ネタもない。作詞の風習はあった。

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Q9)年齢は幾つぐらいか?

おそらくであるが、諸葛亮の±5歳であろう。

A.記述がないため分からない。

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Q10)曹仁を破った八門禁鎖のエピソードから戦争の現場指揮が得意な印象。実際はどんなジャンルの学問が得意な人物なのか?

諸葛亮伝に当時の学問の言及されており、穎川の石(韜)韜玄と徐(庶)元直、汝南の孟(建)公威が遊学で荊州にやって来て、3人は精熟に努む。諸葛亮はその大略を見る、と記述されている。

当時の学問の方法は儒教の根幹を学ぶために『経』を読む。そして一言一句、意味を考え、過去の用例や、思想に照らし合わせ、丸暗記する。諸葛亮は異端で、1つずつ突き詰めることはせずに、一体何を述べているのかを考える、という方法を採っていた。

A.経学(儒学)の古文派。

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Q11)龐統からアドバイスを受けて僻地に行ってしまったが、現地でエピソードなどはないのか?

演義の話なので、一切ない。諸葛亮を推薦した後は作中より完全に消えてしまう。徐庶が一番忘れられた存在である。三国志演義の成立に照らし合わせると、三顧の礼は原形となった三国志には記述がない。

しかし演義では熱狂的な諸葛亮好きな人物が、その場面が異様に事細かに作ったと推測される。元々は徐庶が全く登場しなかったが、後から付け加えられたその部分にしか登場せずに、それ以降全く登場しないのは当然のことであろう。あくまでも竹内准教授の推理である。

A.一切ない。

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Q12)生地・穎川に居た頃から学問を始めていたようだが、当時の穎川という地域の特徴や、後漢でのイメージは?

穎川は荀家が最大派閥で荀彧や郭嘉の出身である。汝南は袁家で袁紹の出身である。汝南出身のインテリは袁紹に付き、穎川出身の荀彧が曹操に従ったため、そこ出身のインテリは曹操陣営に付いた。ただ都に近い地域なので、インテリが多い地域ではあった。徐庶や司馬徽も穎川出身である。

徐庶は侠の人間で人を殺めて荊州に流れた、とある。当時は殺される人物は大体が有力者なので、彼は穎川閥の人間を、もしかすると荀一族を殺め、その土地から逃げなければ行けなかったかも、という可能性も考えられる。

A.人材の宝庫。荀彧の様に曹操に付いたタイプと、戦乱を避けるため各地へ流れたタイプの2種類のタイプがある。

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楽進
Q13)文書の記録係から武将へと転身したが、彼のように他に実際に将となった人物はいるのか?またなぜ軍師的な立場にならなかったのか?

当時文字が読めない文人は沢山いており、ある程度文字が読めれば重宝された。ただし文字が読める≠インテリでは違う。文官めいた役職から武将になった超有名な人物はいる。それは元は主簿であった『呂布』である。彼は漫画やゲームなどのイメージで脳筋とされているが、主簿を務めていた程であるから読み書きは出来たと考えられる。

楽進伝には帳下吏とある。これは記録係と訳されている。張下とは『総大将の居る軍隊の帷幕』を意味するそうなので、元々文官ではなく、一兵卒が読み書き出来たから、その役を任された。と自然な解釈をすることが出来る。そのため文官ではないので、軍師にはならず本来の武を振るう立場にいるのである。

A.呂布。文官でじはないめ、軍師は務まらない。

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Q14)『正史』では魏書巻十七に「張楽于張徐(張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃)」でまとめられているが、この順序には何か意味があるのか?

この順と比較されるのが、蜀の五虎将である。その順番は関羽(前将軍)、張飛(右将軍)、馬超(左将軍)、黄忠(後将軍)、趙雲とされる。この順は、漢中王に劉備が就いた時の蜀軍のトップの役職順である。そのため五虎将がフィクションであっても、役職順なので順番は変化しない。

一方魏の順番は、張遼(前将軍)、楽進(右将軍)、于禁(左将軍)、徐晃(左将軍)、張郃(右将軍)である。魏の場合は順番を決定するタイミングが2つあり、1つ目は曹操が死ぬ前である。その時に張遼が前将軍、徐晃が左将軍、張郃が右将軍に任命されている。もう一つは曹操が没し、曹丕が継承した時である。その際に于禁が左将軍、楽進が右将軍となった。徐晃と張郃と比較すると、于禁と楽進の方が活躍しているので、張遼の次の順番になったのであろう。于禁は最期は蜀に降る失態を犯したため、彼より地位の低い楽進が2番となった、と考えられる。陳寿が弁解しない限りは分からない。
※正しくはは前→左→右→後の順

A.経歴、功績の順を意味する。

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その他
Q15)『通俗三国志』にて「初平三年十一月に孫堅が死んだ」後に「初平三年四月に董卓が死んだ」のは何故でしょうか?『通俗三国志』が緑蔭堂本ではなく呉観明本を参照した証拠であるからだろうと予想する。(にゃもさん)

明の嘉靖元年(1522)刊『三国志通俗演義』(嘉靖本)では初平二年十一月とされていたが、その後の校訂・加筆を行って纏められた際に、年を『初平三年』と間違えてしまい、初平三年となった可能性があるそうだ。つまり古い段階で間違った状態で何の確認がされずにそのまま、毛宗崗本までに至ってしまった。

A.編纂中でのミスの可能性がある。

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Q16)趙雲の年齢。孔明の10歳上という私の理想は守られますか?(あっすぅさん)

三国志演義での年齢設定はいい加減であるが、第1次北伐に従軍している最は70歳であり、その1年後の229年に没した。逆算すると、劉備よりも2歳年上である。(そのため、趙雲は劉備よりも年下であろうとの考えから、彼の享年は61歳であると言う説が出た。)220年で考えると、劉備は60歳、趙雲は62歳、諸葛亮は41歳となる。仮に享年が61歳だとしても趙雲は220年では52歳なので、諸葛亮よりも10歳は離れている。

A.三国志演義の場合『のみ』理想は守られる。正史は記述がないため不明。

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今回のQ&AでQ3,5,13の変態的な質問をさせて頂いたが、三国志演義のせいでマイナーな武将扱いをされている楽進について取り上げられたのは嬉しいものだ。魏延もであるが、正史と演義で書かれている人物像が全然異なるので、正史を改めて読み直そうと考える。問題の三国志演義は、明の時代背景の影響をかなり受けており、三国時代の人物と≠にしてはいけないと思い知った。真・三國無双のような、イケメンで爽やかな趙雲像は、創作ではあるが二重顎のドカベン趙雲にイメージが変化しつつある。さらにそんな彼は長坂坡の戦いにおいてスターの様な無敵になるアイテムを入手し、『お前の身体はフォアグラだ!!』と称えられるのを想像すると、シュール過ぎてかなり困る。あとは呂布が脳筋のイメージを払拭することが出来て良かったのではないだろうか。様々な誤解が解けた一日であった。

さて次回の三国志Q&Aは『馬超・荀彧』である。ご質問があれば、英傑群像お問い合わせフォームへ送信して下さい。それかtwitterで私教団までに連絡をして頂ければ、責任を持って代わりに聞いて参ります。
次回は『三国志祭』を予定する。

教団's Rot-Q&A



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外部リンク
KOBE三国志ガーデン
中央研究所漢籍電子文献
いつか書きたい三国志
上記内ページ
『三国志集解』翻訳、五虎将軍 5)趙雲伝-上
『三国志集解』翻訳、五虎将軍 6)趙雲伝-下、評
横山光輝「三国志」
趙雲子龍
明代日用類書
英傑群像
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教団

昨日Twitterにて、NPO三国志フォーラム のアカウントより発信された情報を目にした。国立国会図書館 の関西館で開催される情報を以下にまとめる。

時空をかける三国志 10/18(木)~11/20(火)まで関西館の地下1階総合閲覧室にて、「時空をかける三国志―日本・中国における三国志演義の展開」と題する展示会が開催される。そこで所蔵する国内の刊行資料やアジア言語資料より、三国志演義に関する資料が紹介されるそうである。今年は日中国交正常化40年にあたることにより、日本と中国を中心とする三国志演義の形成と受容の歴史を示す約90点の資料が展示されるそうだ。
この展示会の閲覧料は無料である。

東アジアの三国志演義 10/27(土)14~16時まで (13:30より受付け)関西館1階第一研修室にて関西館10周年記念イベントとして、金文京 教授(京都大学人文科学研究所)によって「東アジアの三国志演義」と題した講演会が開催される。講演会の内容は、現代の中国や日本を始めとするアジア諸国における三国志演義についてである。詳細が分かり次第、追加更新を予定する。
この講演会も上記の展示会と同様に、費曜は無料である。しかし先着70名と限定されているので、曹休早急に申し込む必要がある。


さて国立国会図書館は有名である。しかし関東の本館しか周知されていないようだ。関西館は、京都府相楽郡精華町(京都と奈良の県境)にある。若干交通の便はいいかもしれないが、アクセスが少し悪い印象を受ける。そのため、講演会に参加ついでに、展示会へ足を運んだほうが好ましいと考える。
日中国交正常化40年において三国志に関するイベントが多く開催されている。8/4(土)に東京都世田谷区玉川区民会館で行われた『京劇「三国志」 ~古城会~関羽千里行より』であったり、東京国立博物館で開催される『特別展「中国 王朝の至宝」 』など、様々な形で三国志に触れることが出来るのでありがたい。

最後に、講演会が開催される10/27(土)であるが、偶数月の第4土曜日に KOBE三国志ガーデン において、『英傑サロン』が開催されているが、10/7(日)に開催される三国志祭 内で実施されるため、その日は幸いにもないそうである。そのため、その心配は不要である。



(追記10/23)
10/18(木)にtwitterで国立国会図書館関西館図書館協力課(@crd_tweet)による情報が発表された。以下がその文と引用先のリンクである。

『関西館では 11月20日(火) まで、小展示「時空をかける三国志―日本・中国における三国志演義の展開」を開催してます!(2012/10/18(木)19:23)』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259117651354337280】

『約1800年前の魏・蜀・呉の三国の興亡を題材として中国で成立した三国志演義は、その後アジア各国に伝わり、日本でも長く読み継がれています。平成24(2012)年は日中国交正常化40年にあたることから、日中両国を中心とする三国志演義の形成と受容の歴史を示す資料約90点を展示します。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259117802911326208】

『展示をちょっぴり紹介します。 まず第1部 入門:「連環画」でたどる三国志演義。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259118233792151553】

『「連環画」とは、複数の絵をつなげて一つの物語を構成する絵本で、中国の伝統的な漫画の様式です。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259118560738168832】

『「桃園結義」から「五丈原」まで、50冊の連環画資料で三国志演義のストーリーを紹介しています!お気に入りのシーンを見つけてみてくださいね。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259119046056882177】

『第2部 中国・アジアにおける三国志演義 三国志演義の源流になった作品たちや、多様なバリエーションの三国志演義、関羽信仰についての文献などを紹介しています。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259120659802755072】

『元代の『全相三国志平話』では、前漢の劉邦が後漢の献帝、韓信が曹操、彭越が劉備、英布が孫権に転生するところから始まり、漢の劉淵が晋を滅ぼすところで終わるように、因果応報的な世界観が三国志演義とは大きく異なります。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259122384823517184】

『『三国外传』では、劉備が訪ねる前に実は曹操も諸葛亮を三度訪ねていた、などなど中国各地の民間に伝わる三国志関係の故事伝説を収録しています。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259123285646798850】

『第3部 日本における三国志演義 では、平安時代からの三国志の伝播から始まり、アニメ・漫画・ゲーム、まちづくりまで多種多様な姿で語られる現代の三国志演義についてもご紹介しています。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259124167566315520】

『江戸時代には三国志に関するパロディ作品がたくさん作られました~。『洒落本大成』収録の『通人三国師』では、「食王」劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み…といった荒唐無稽なお話が展開されています。()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259125111741898752】

『展示の関連イベントとして、10月27日(土)に、京都大学の金文京教授による講演会を開催します! 「東アジアの三国志演義」と題して、現代の中国や日本などアジア各国における三国志演義についてお話しいただきます。 こちらも是非ご参加ください!()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259125796805955584】

『さらにさらに、2012年 11月18日(日) には、展示担当者による資料紹介もありますよ~。 ()』
【https://twitter.com/crd_tweet/status/259126183311069184】


どうやら展示品には部が振り分けられており、それぞれテーマが設定されているようなので、何を念頭に置いて閲覧すべきか、考えることが出来そうだ。さらに金文京教授の講義以外にも、担当の司書による展示資料の解説が行われるそうだ。これもまた興味深い。

※11/3(金)追記
東方書店 にてこのイベントについての告知がされている事を知る。内容は上記の通りである。
催事情報 国立国会図書館関西館小展示「時空をかける三国志」/関連講演会「東アジアの三国志演義」


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