三国志学会第7回大会が終了後、埼玉よりお越しの霜梓さんに京都駅で別れを告げ、いざ梅田へ。

18:50に到着。土曜の夕方であったため、周辺は人・人・人…さて今回は『総合三国志同盟』の副代表である田中美恵さんにお付き合いして頂き、梅田の居酒屋で近状報告や三国志についてお話をさせて頂いた。以下がその内容である。

・三国志女子会in大阪
8/25(土)17:30より大阪梅田で開催された女子会。その概要をみた男性諸君は参加出来ずに悔しい思いをされたハズだ(自分もそのうちの1人)。

その日はKOBE三国志ガーデンにおいて、第29回英傑サロン(14:00~17:00まで)が開催されていたが、そちらに参加されていた女性陣は「新長田から梅田に集合時間までに移動すること出来ない、今回は絶対に間に合わない、18時であれば…」と言う旨を聞いた。実際にガーデンから新長田駅まで、10分ほどかかってしまうし、新長田駅から大阪駅まで40分はかかってしまうため、本当に諦めざるを得ない状況であった。

その結果、女子会の参加者は未成年で小数となってしまったようである。当初予定していたこととは少し変わってしまったが、成功したそうである。

・イベントについて
実は本日2度目となる、山口県光市の三国志城で年2回開催される『三顧会』についての紹介であったり、先ほどまで参加した『三国志学会第7回大会』や10/7(日)~8(月)に神戸の新長田で開催される『三国志祭』、10/13(土)に東京都千代田区のレキシズルスペースで開催される『Mini三国志フェス』について美恵さんに報告。

三国志城や三顧会はご存知だったようだが、下関にある宮本武蔵や佐々木小次郎の決闘シーンの像を見たり、錦帯橋を見に岩国まで訪れたことがあるそうだ。しかしその岩国の10駅向こうに三国志城があることを話すと、驚かれていた。次回の5月に開催される『第18回三顧会』に前夜祭より参加しましょう!!

学会については、Twitterで張茂さんの発するコメント( #三国志学会 )を随時追っていたようで、どのようなことが発表されたのかは把握されていた。そこでこんな内容でした、とレジュメをお渡した。説明を聞いていなければ、本当に難しいですよね。

Mini三国志フェスについては、定員がかなり少なく、チケットが入手出来る倍率がかなり高くなると説明する。朝にも似たようなことを言ったような。

・三国志の原文
先週の学会直前の勉強会で『三国志集解』の訓読みをしたと伝えた。美恵さんは、総合三国志同盟のイベントで立間祥介先生による資治通鑑を読む勉強会に参加されたことを話された。ここで話が飛んで、現代の曹魏文帝の正室様は曹丕が好きでなのは周知の事実である。彼の詩を読んだりするが、正史などの史料は読める のだろうか??と疑問が生じた。個人的には読めると思うが。

・ゲームについて
先日三国無双シリーズの新作、『真・三國無双6 Empires』 が発売された。新たに、蜀に徐庶が参戦。発売記念イベントとして『エディット武将命名キャンペーン』も開催され、猛将:華雄、軍師:荀彧文若、君主:馬騰寿成、女性:張春華と名前が決定した。そのことについて議論する。無双に参戦する人物は魏や蜀が多いことについて触れ、後漢や呉に対してもっと力を入れる べきである、と言う結論が出た。後漢には【高順、顔良、文醜、武安国】を、呉には【凌操、徐盛、文鴦、孫皎】を人数のバランスを考えて新規での参戦を考えて頂きたい、KOEIさん。

上記の延長上で、美恵さんは2001年3月29日にKOEIより発売された『決戦Ⅱ』について教えて頂いた。内容は声優陣が無駄に豪華であることや貂蝉が劉備を想っていること、彼女のキャラクターデザインが中山エミリであったり、ストーリーは劉備と曹操が彼女を奪い合ったり、卑弥呼が曹操に仕え火の玉を飛ばすなどの妖術を使ったり、軍師系の人物は浮遊している。あと、孟獲と祝融夫妻が漫才師の『宮川大助・花子』であるなどなど。聞いていて話が滅茶苦茶で、トンデモないゲームであるが、プレイしてみたいなと思った。ただ ゲームのハードがPS2であるが、残念ながら本体すら持っていないので本体とソフトを機会があれば買おうと考える。無双シリーズとは異なるため、とても面白そうである。

・書籍について
最近話題になっていたり、マイブームの書籍をお互い挙げたこちらは曹植系男子と泣き虫弱虫諸葛孔明を挙げる。美恵さんは、三国志演義や封神演義。しかし登場人物がなくなってしまう終盤はどうしても読めないらしい。そこで電車内で暇を潰すために読んでいた、反三国志をお貸しした。とんでもない内容なので、悲しまずに最後まで読むことが出来るハズである。

さらに前回の女子会で話題となった異・三国志についてもどのような内容なのか、あらすじを紹介する。漫画の呂布子ちゃんについても話が広がる。そこで登場する人物がプロレスが好きで、フランケンシュタイナーを父親に噛ますのは斬新であると感想が。

・姜維について
天水の麒麟児と称された姜維伯約。当初は趙雲と互角に渡り合う程の驚異な腕を持っていたが、不幸にも諸葛亮に目を付けられ、歴史上初のオレオレ詐欺に嵌められ帰るべき場所を失う。そして蜀へと降ったが、登場時の時と比べると弱くなっている。まるで『七人の悪魔超人編』が終わり味方となったバッファローマン、もしくはドラゴンボールのベジータの様でもある。

ご存知の通り、姜維は9回の北伐で蜀を疲弊させたため、評価は出来ない。魏でエリート街道を歩いていたが、諸葛亮の罠に巻き込まれてから、転落人生が始まってしまったのであろう。そこで彼の評価することが出来る点を2人で考えることに。しかし何も出なかった。

・イベントと情報発信について
ここ最近はスマートフォンが急激に普及したため、SNSを始めとする交流サイトが増えた。既存していたSNSの利用者がFacebookやTwitterへと流れてしまっている。総合三国志同盟はmixiを 原点に活動を行なっていたが、利用者が流れてしまい登録しているだけで過疎状態になっている。

そのため、イベントを開催するにあたり、今後はどのくらい前 より、何を媒体にして、どの様にイベントの宣伝や、情報の発信を行うかが課題となるであろう。と言う旨をひたすら話し合った。ICT社会なので、使用するツールの選択は大切である。そして今回は美恵さんに、大阪でのイベントは4月に行なった大阪城公園内の桃園で行なったお花見しか実施していないため、年末に何か開催しませんか、具体案を出して進言させて頂いた。もしかしたら12月に実現しそうである。(ただいま準備中)

以上の内容を(一部欠落しているかもしれないが)居酒屋のカウンター席でひたすら話続け、気が付けば22:30を回っていた。

当初予定していた時間よりも20分遅れてしまいすいませんでした。最後に、今回のタイトルは交流会だの語り部だのと考えたが、しっくりとこなかったため、劉備と諸葛亮が1対1で話したことを踏まえて、『対草蘆』ならぬ『対酒楼』とした。


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三国志学会第7回大会
総合三国志同盟
三国志女子会in大阪
KOBE三国志ガーデン
三国志城博物館
三顧会
三国志祭
Mini三国志フェス
真・三國無双6 Empires
エディット武将命名キャンペーン
決戦Ⅱ
曹植系男子
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関羽と張飛が相次いで殺され、彼らの復讐と荊州の奪還をすべく、東征に乗り出した蜀皇帝の劉備であったが、呉の大都督の陸遜の策により夷陵の地において惨敗を喫した(夷陵の戦い)。

そして諸葛亮の進言により、彼の終焉の場所となる白帝城へと逃げ込んだ。陸遜は勝ちに乗った軍勢を率いて、蜀軍に追い打ちを掛けるべく西へと進軍し、魚腹浦へと至った。そこで異様な殺気を感じ、伏兵があると思い軍を止めるのである。

ところがそこには人影がなく、岸辺に大きい石がいくつも転がっているだけである。土地の者に聞くと、諸葛亮が兵に大量の石を運ばせて作った石陣であると判明する。陸遜は「人目を晦ます悪戯に過ぎん」と侮って、石陣へと足を踏み込んだ。

するとにわかに烈風が吹き起こり、砂石を飛ばして天地が覆い尽くされるのであった。そして前後左右に石がそそり立って迫り、長江の波音が石陣の内部に轟いた。「諸葛亮の罠に落ちたか」と陸遜は慌ててそこから出ようとするも、出口がどこだか分からず、出るに出れない。そこに1人の老人が現れ、彼らを出口へと導き、陸遜率いる呉軍は引き上げていった。

これが「三国志演義(第84回)」における「陸遜営七百里を焼き孔明巧みに八陣図を布く」の一場面である。そこで陸遜を助けた老人が、ご存知の通り黄承彦である。この場面で、蜀視点で物語を楽しんでおられるほとんどの方が、「なぜ助けたしwww」「いらんことするな」とツッコンだであろう。もしこの場面で助けなければ、晩年の孫権を諌める人物がいなかったであろうし、二宮事件がもっと違った形となったであろう。そして呉がもっと早く滅びたかもしれない。

さて話を戻すが、この陸遜を助けた彼は、諸葛亮の妻である黄夫人の父親、つまり諸葛亮の舅である。本来ならば身内である諸葛亮の味方をすべきであるが、なぜ敵対勢力である呉を、しかも大都督である陸遜を助けたのであろうか。

『三国志演義』において助けた理由を「わしは日頃より善果を積むのを心掛けておるによって、将軍がみすみす命を落とされるのを見に忍びなかった」と彼自身が説明をしている。かなり曖昧な理由である。

これに対して『柴鎌三国志』では「善果を積むのを心掛けているため」ではなく「わしは、国を奪り争う御辺らのいずれへも味方は、いたさぬ」に変えているのである。「善果を積む」などという、道徳的な理由を除き、黄承彦が既に敵や味方だという区別を優越した人物であり、ただ目の前で困っている人物を助けようとしただけだという、彼の人物像に深みを与える描写がされているのである。

さて『吉川三国志』では陸遜を助けた人物は黄承彦ではなく、彼の友人となっている。いかなる理由でも、娘の旦那を裏切るような行為を、日本人読者に納得させるのは難しかったであろうと伺える。その配慮がいかにも吉川英治らしい。

ところで、史実の彼はどうであったかというと、どうもこうもないのである。なぜならば、陸遜が諸葛亮の布陣した石陣に迷い込む場面そのものが虚構であるからだ。そのため、それを助ける黄承彦の話も全くの虚構である。『三国志演義』において彼の助けた理由が曖昧なのは、作者の羅貫中があまり深く考えずに彼を登場させた結果ではないかと考える。蜀好きの方に、作者の創作によってありもしない事で恨みや反感を買ってしまった黄承彦につい同情をしてしまう、今回はそんな内容である。

10/7(日)~8(月)に神戸で開催される第六回三国志祭で、英傑群像のブースにおいて「石兵八陣!陸遜脱出」という脱出ゲームが企画されている。もしそこで黄承彦が出現し、出口を導いてくれても彼に文句や恨みなどの負の感情を向けないで頂きたいと祈るばかりである。

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参考文献
・羅貫中、立間祥介訳『三国志演義』徳間書店
・吉川英治『三国志』講談社
・柴田錬三郎『柴錬三国志英傑ここにあり』講談社

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9/8(土)に『三国志学会第7回大会』が京都府の龍谷大学大宮キャンパス、南館203教室で開催された。公演開始1時間前に東館204教室から会場となる教室が変更されたらしい。さて以下が三国志学会の公式サイトに掲載されていたプログラムを引用したものである。
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・会長挨拶(10:00~10:10)
・報告(10:10~15:45)

10:10~10:50
袴田郁一(大東文化大学大学院博士前期課程)
「吉川英治がみた「三国志」」

11:10~11:55
陳曦子(同志社大学大学院博士後期課程)
「中国四大名著の日中マンガ比較研究-「三国演義」を中心に-」

――昼休み(11:55~13:00)――

13:00~13:45
櫻木陽子(龍谷大学講師)
「21世紀の京劇と三国志」

14:00~14:45
池田雅典(大東文化大学東洋研究所兼任研究員)
「蔡邕の考えた"漢"」

15:00~15:45
竹内真彦(龍谷大学准教授)
「成就する桃園結義」

・講演(16:00~17:30)
大上正美(青山学院大学教授)
「司馬昭と竹林七賢」

・懇親会(18:00~20:00)
会場:龍谷大学生協
参加費:3000円
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今回の学会に参加するために、埼玉県より出陣された霜梓さんと8時に京都タワーで合流。そこから近くのお店のテーブル席で完結に自己紹介をしてから、45分ほど「三国志」についての話をさせて頂いた。そこでの会話で印象に残ったことは、彼女は先週9/1(土)に開催された『三国志学会一般講演会』が初めて参加したイベントであったこと。その時の座席が近かったこと(林田先生の左側)。黄巾の乱を調べるために後漢書巻71に記述されている皇甫嵩伝を読みまくったということである。

その後会場の龍谷大学へと向かった。道中は京都についてお話。到着して東館に向かい、偶然にも清岡さんと合流。そこで204教室がまだ開いていないということを知る。Twitterでのやり取りを完全に清岡さんは見ていたようで、一緒にいる女性が誰なのかご存知であった。また見られていたか・・・と思ったが、Twitterは鍵を掛けないと誰でもやり取りや情報を見ることが出来るので別に構わないと考えている。そのTwitterでにゃもさんが会場が変更された旨を発信していたため、3人で東館から南館へと移動した。
教団's Rot-学会

9:17に会場の南館203教室へ到着。会場について即刻席を確保した。真ん中の列の前から2番目で、真ん中の席である。にゃもさんと竹内准教授に挨拶し、少しお話をさせて頂いた。発表前だったにも関わらずありがとうございました。
教団's Rot-学会

しばらくして、受付の準備が整ったらしく、次々と発表を聴きに来られた方が次々と教室へ入ってこられた。先週の一般講演会に参加された方は、参加費は不要とのことであったので、配付資料だけを取る。朝霧さんを始め、佐藤ひろおさんや、サカイさんが登場。今回の席の右隣に清岡さん、左隣にサカイさん、その後ろ(左後ろ)に霜梓さんという、夢のような陣となった。会場は100人程度収容出来るが、講演開始直前ではほとんどの席が埋まった。
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10:00。三国志学会の狩野直禎会長の挨拶によって大会が開幕した。挨拶の中で触れられていたことであるが、今年の会員数は400名を超えているそうだ。
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10:03。予定よりも少し遅れて袴田さんの発表が始まった。レジュメはA3の用紙3枚で両面印刷がされており、計10ページで構成されていた。その見出しは以下の通りである。
・はじめに
・『通俗三国志』
・「毛宗崗本」
・正史類やその他の史料
・おわりに

9/7は吉川英治の生誕120周年であり、50回忌でもあり『吉川三国志』が新聞連載から70周年であったため、今回の吉川英治に関する発表の注目度は高かった。発表内容は【吉川英治が受容したと考えられる「三国志」を検討し、またいかなる「三国志」作品として成立したかについての検討を目的とする(原文まま)】というものであった。前回のレポートと同様に、今回も詳細は記述しないこととする。
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感想:吉川英治が三国志を執筆する際に使用された各史料や書籍が、執筆する際にどのように物語が作中に反映されたのか、具体的な例と内容が挙げられていたため、視覚的にも理解し易く整理することが出来た。ただ発表の時間と質疑応答の時間を含めて、プログラムが構成されてあったため、終盤は早足となってしまったため、最後までゆっくりと聞くことが出来なかったことが残念であった。話を聞いて思ったことは、吉川英治の書く美しい文章や癖を他の吉川作品も含めて比較、分析すべきではないだろうか、と思った。それらと史書の関係を明らかにし、『吉川三国志』の全貌を解明すればいいのでは、と考えるからである。
質疑応答を含めて袴田さんの発表は10:58に終了し、11:10まで小休憩が挟まった。

小休憩と言っても休憩にならないのが、我々三国志好きである。にゃもさんとサカイさん、ひろおさんと共に発表の内容や食人について各々意見を述べた。

11:10より3分間、清岡さんにより次の発表者である陳さんについての活動などが書籍などを掲示し簡単に紹介された。そして発表が開始された。レジュメは片面印刷がされたA3用紙4枚とA4用紙1枚の計5枚、9ページ構成で、パワーポイントのスライドが1ページにつき6枚掲載されてあった。以下が見出しである。
・日本における三国志漫画の創作概況
・創作傾向
・創作傾向別の特徴
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感想:冒頭で清岡さんの紹介にあったが、陳さんは6/23(土)に明治大学で『日本における三国志マンガの翻訳過程』と題し、20分の発表をされている。そのため、今回の発表内容はその時の続きか、まとめなのかと考えていたが違った。研究するにあたり、124点の数多くの日本のマンガの作品を分析され、分類や描写など細かく調べられたのだなと思った。しかし題にもある通り、日本と中国のマンガを比較するべきなのであるが、中国のマンガは『三国演義(陳維東)』の1点だけであった。そしてなぜかドラマ三国演義が挙がった。中国の作品(データ)が少なく、比較する対象としては不十分ではないのかと感じた。日本の作品よりも、もっと多くの本場中国の作品を分析し、作品の比較を行なって欲しいと考える。残念ながら話題となっている『火鳳燎原』は香港・台湾の作品のため研究の対象より外れてしまう。
質疑応答が終わったのは12:06。
13:00まで昼休みを挟んだ。

昼食を食べるためにボルテージが高いまま学外へ。感想や意見など濃い会話をしながらの移動である。キャンパスより徒歩5分程度の所にある『大阪屋』と名のうどん屋へ入った。そこでは『丁氏五林』や陳寿の読みにくい文章、渡邉教授の文章の癖、一般講演会後の飲み会について様々な三国志トークが展開された。

12:55にキャンパスへと戻り、13:00より始まる櫻木先生の発表を座席にて待つ。しかし動画の準備が上手くいかないらしく、6分遅れで始まった。
こちらのレジュメは両面印刷のA4が3枚の5ページで構成されていた。見出しは以下の通りである。
・京劇と三国志
・伝統劇と新編劇
・三国劇と新編劇
・二十一世紀の三国劇の傾向
・今後の展望
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京劇は最近日本各地で講演される頻度が高くなった。そのため関心があった人は多いハズである。彼女の発表は『空条計』『濾水彜山』の2つの演目を例に挙げ、教室の照明は落とされた状態で進んだ。昼食を摂った直後で薄暗い中行われた。ふと振り返ると、皆さん夢の国に誘われていた。林田教授もぐっすりと。終盤になって彼らに意識が戻った。質疑応答も含めて、13:51に終わった。

感想:今回は研究ではなく、ただ単なる京劇の発表と紹介では??と感じた。京劇の歴史や舞台役者の紹介、物語のあらすじ、演目の紹介などに触れられ、最後に京劇のDVDの購入方法など、完全に通販の実演かと思わすような内容であった。明治大学の加藤教授の分野だろ、とつっこみたい衝動に駆られた。少し納得がいかなかったが、小休憩。

ついさっきまでの内容については、皆さんの口からほとんど感想が出なかった。浮かない顔をされていたため、理由は何となくであるが分かった。霜梓さんも表情が陰っていた。14:00までボーっと過ごした。

14:00。池田研究員について渡邉教授が紹介をされた。教え子であったこと、発表内容は知らなかったこと、名前が雅典(まさのり)なので「がてんくん」と呼んでいること、これから聞くのが不安であるということが述べられた。そして予想をはるかに凌駕した発表が始まった。A4用紙4枚で片面印刷されたレジュメの見出しは以下の通りである。
・蔡邕略歴
・はじめに
・蔡邕の"漢"
・蔡邕の行なった改革
・王允はどうして蔡邕を殺せたのか?
・おわりに
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池田研究員は民間伝承や逸話について一切興味がなく、『礼』について専門的に扱っているそうだ。自己紹介とそのことについて15分ほど「熱く」語られた。そして蔡ヨウが気の進まぬまま董卓の下に仕え、彼の死を悼んだのか、その矛盾する彼の振る舞いを指摘され、熱弁を振われた。

感想:今回の三国志学会第7大会の発表において、彼の内容が1番濃く、1番熱く、かつ用語や制度について噛み砕いて説明されていたので、いつまでも聞いていたいと思ったほど面白かった。面白かった。霊帝の時代で完全に荒廃しきった漢の世を正すために、彼はどのようなことを考え、何を再建するのかを考えさせられた。自分が思い描いた世界を実現するためには、政治手腕の全くない董卓に仕えることによって、好きなように出来たのだと、賢明な判断をされたようだ。しかも董卓という蓑を被って政策が失敗しようが、矛先は決して自分に向かない旨を聞き、彼の黒い部分を垣間見た気がした。今まで自分の持っていた蔡邕の人物像が大きく変わった。結果的には鄭玄、蔡邕の制度改革により、漢王朝が崩壊したのは頷ける。彼らがもし存在していなければ、我々の好きな『三国志』は誕生しなかったのであろう。
そんな発表を聞けて本当に満足であった。横で聞いていた彼の師である渡邉教授の、焦った様子から見るととんでもない発表であったと伺えた。そんな彼の発表が根本をも揺るがす質問に遭い14:49に終了した。

15:00まで休憩を挟む。予想していなかった自体に会場全体が熱を持っていた。個人的にも表現することの出来ない充実感で胸がいっぱいであった。

15:00。いつもKOBE三国志ガーデンのイベントでかなりお世話になっている龍谷大学竹内准教授の発表が始まった。先ほど渡邉教授にお叱りを受けたようで、池田研究員が最前列で反省させられていた。レジュメはA3用紙1枚の4ページで構成されていた。三国志演義において劉備、関羽、張飛が結んだ桃園結義が、本当に成就したのかを検証するものであった。
教団's Rot-学会

感想:三国志演義の内容を嘉靖本や正史、資治通鑑によって、3人の子や孫の代を調べられていたので、蜀好きな方にとって嬉しい内容であると感じた。今までは誓いとして「同年同月同日」に死ぬことを立てたが、約束を果たすことが出来ず、長い期間をかけてでバラバラに散っていった3人が、子孫の代でようやく短期間の間に散り、報われるからだ。さらに水魚の交わりを結んだ劉備と諸葛亮の関係についても取り上げられ、蜀一色となった。水魚についてどのように伏線が回収されたのか、という質問が出た。それに対し竹内准教授は「諸葛亮の二桃殺三士と姜維の一計害三賢、六出祁山と九犯中原」が意識的に対比されており、諸葛亮の物語は姜維の死をもって終わる。と話されたので、納得した。李球について注釈があったことが唯一引っかかる。なぜ彼にだけ付いたのかどうも理解し難い。

15:42に終了し、休憩を挟む。もう完全に会場の熱は冷めつつあった。朝からずっと発表を聞いていたので、皆さんお疲れの様子。サカイさんとは対照的に、霜梓さんがツラそうであった。

16:00。5分も掛けて、どの様な人物で、今までどんな活動をされていたのか、研究分野についてなど説明がされた。そしていよいよ大上(オオガミ)教授の特別講演が始まった。レジュメはB4の用紙2枚で片面印刷がされており、計4ページで構成されていた。なお、見出しは設けられていなかった。
教団's Rot-学会

感想:劉備や諸葛亮など、初期より活躍していた人物が去ってしまい、我々の興味が失せている時代について文化を注目、分析されておられたので、知らなかった出来事や情報が少しあった。特に嵆康が山涛への手紙を出した事実は知ってはいたものの、その内容について踏み込んだことがなかった。そのため、その手紙によって彼が処刑されたということも知らなかった。自由奔放であることから、初代暴走族であると例えられた阮籍についての酒の話が興味深かった。阮籍の酒はツラく、悲しいものであったのに対し、甥の阮咸の酒は楽しく、爽快なものであった。と触れられた。それは時代背景と人物関係がそのようにさせてしまったのではないだろうか。人との付き合いや関係、時代によって当時も現在も酒は同じであると思った。あと司馬昭に九錫や晋公の勅命を出したが、5回も断られ「茶番」と言われた行為。先週ひろおさんより『贈与論』のお話を聞いていたので、決してそれは茶番ではなく司馬家の名声を上げるための1つの手段ではないかと考える。そのため、司馬昭の子である司馬炎が後を継いで晋王になろうが、晋朝を開いて自ら帝位に就こうが、名声があったためスムーズに行えたのではないだろうか。
竹林の七賢の文学的価値について『価値がない』と切り捨て、存在に意義がある。とお話された。まるで竹内准教授と似ていると思った。

17:33にプログラムが一部大幅に狂ったものの、全て終了した。
18:00より懇親会があるので、皆さん参加、という流れが出来ていたが、今回も前回と同様に懇親会には参加せずに、梅田で憧れの方と飲む約束をさせて頂いているため、会場を後にした。
来年こそは懇親会に行きたい。

学会に出席したが一般講演会と比べ、密度が濃く、話題性も富んでおり、とても学ぶことが多かった。当たり前ではあるが、自分の知らないことばかり触れられたので、全てが刺激的であった。そして三国志を通して、新たな出会いもあった。この出会いを大切にしていきたい。そしてイベントなど、機会があればまたご一緒したい。
本当にお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。




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外部リンク
三国志学会
龍谷大学
大東文化大学中国学科渡邉研究室
NPO三国志フォーラム
いつか書きたい「三国志」
蜀漢与太囃
KOBE三国志ガーデン
♪春秋だったり、三国だったり♪
上記内ページ
第7回三国志/学会に行ってきました(1)
第7回三国志/学会に行ってきました(2)
↑こちらの方が内容について記載されてます。
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勉強会学会オフ会(誕生会)の翌日に渋谷ヒカリエ8Fのクリエイティブスペースで開催されている川本喜八郎人形ギャラリーに行ってきた。彼のアトリエが代々木にあるらしく、そのゆかりの地である渋谷で開催が決まったそうだ。
教団's Rot-ヒカリエ

ようやくである。4月末に6/2(土)の第3回三国志感謝祭に参加した翌日に脚を運ぼうと考えていたが、まさか開催がその翌日の6/4(月)からであったためとても悔しい思いをした。そして早5ヶ月…

さて川本喜八郎人形ギャラリーは、7Fからエスカレーターを上がった突き当たりにある。諸葛亮と平清盛人形のパネルが目に飛び込む。既に脚を運ばれた方からお話を伺ったところ、あたり前ではあるが、ギャラリー内は撮影禁止であるそうだ。
教団's Rot-ヒカリエ

その2体のパネルの右側には、「平家物語」に登場する「金王丸」の人形が展示されている。その人形の奥にギャラリーの入口があり、諸葛亮と川本氏の写った巨大なパネルが目に入る。先述の通り内部は撮影が禁止されているので、実際に撮影が可能な人形はこの一体だけであった。個人的には三国志の人形が良かったが…
教団's Rot-ヒカリエ

教団's Rot-ヒカリエ


ギャラリーとしては小さなスペースであったため、簡潔に人形の制作方法や作品紹介がまとめられたパネルが7枚と、人形劇『三国志』『平家物語』の人形が33体展示されてあった。

三国志のコーナーは入口奥より、4つのゾーンに分けられ計19体人形が配置されていた。以下のように配置されてあった。

教団's Rot-ヒカリエ


・「天の時」時代を拓く覇者曹操
郭嘉奉孝
曹操孟徳
夏侯淵妙才

・「密かなる謀」連環の計
李儒
王允子師
董卓仲穎
貂蝉
陳宮公台
呂布奉先
赤兎馬

・「人の和」玄徳の旗揚げ
関羽雲長
張飛翼徳
劉備玄徳
趙雲子竜

・「地の利」赤壁に智を闘わす
龐統士元
諸葛亮孔明
孫権仲謀
周瑜公瑾
魯粛子敬

パネル解説
平井徹(慶應義塾大学教授)

曹操や董卓、呂布は人形劇上悪役として描写されているため、いかにも悪そうな表情をしていた。それに対し劉備一派や孫呉の人形は優しい柔和な表情をしていた、迫力のある表情をしていた。紅一点の貂蝉は艶やかかつ華やかな衣装を身に纏っていた。彼女の衣装は美周朗こと周瑜も負けじと、色鮮やかな衣装を。もちろん曹操は真っ赤である。角度によっては人形の表情も、すこし異なったように見え、まるで人間のように生き生きとしていた。

飯田市にも川本喜八郎人形美術館があり、同じ人形があるのかと疑問であったが、ヒカリエの平家物語の人形はテレビで使用したものであり、三国志は新たに作ったものだそうだ。飯田市は逆である。

平家物語は興味がなかったため、とりあえず展示されている人形を挙げておく。こちらも4つのゾーンに分けられ計13体人形が配置されていた。

・父と子「継業」-平家-
平清盛
平忠盛
泰子
木工助家貞

・父と子「反目」-院政-
鳥羽院
崇徳院
美福門院
待賢門院

・父と子「相克」-源氏-
源義朝
源為義

・人間の心こそ、無明の闇-袈裟と盛遠-
遠藤盛
遠袈裟
源渡

平家物語の人形も平氏と源氏の名だたる武将達や天皇の人形が20体ほど展示されていた。興味があまりないため、誰なのか、どのような関係なのか全く分たない。しかしちょっとした発見??をした。平氏の武将の顔色は「赤ら顔」。源氏の武将の顔色は「白肌」であった。表情の色分けで源平の区別が出来るとは、川本氏の視聴者への配慮を垣間見た。

渋谷ヒカリエのギャラリーについての開催時刻についてである。

【開館時間】
・11時~19時
※年末年始
【料金】
・無料

今回は本当に訪れることが出来、満足した。次は飯田市まで脚を運び、実際に使用された人形を見てみたいと考える。

次回は三国志学会第7回大会を予定する。
学会が開催される1週間以上前に、Twitterにて『いつか書きたい「三国志」』で有名な、佐藤ひろお氏が『9/1に三国志学会の講演会に行きます。(中略)三国志の話や勉強?をして遊んで下さる方を探しています。(一部抜抜粋)8/22(投稿)』と勉強会の参加者を募っていたのを目にした。そこで参加したいという意向を即刻連絡。小説や漫画ばかりを趣味で読んでいる自分に参加の許しを得た。さらにサキさんにもそのことを伝えると、彼女も参加決定。

勉強会の内容は『三国志集解』に収録されている武帝紀の初平元年以降の訓読と、『三国演義』の反董卓連合結成前後の物語を読み比べる、というものであった。資料の準備はにゃもさん。当日は9時に二松学舎大学に集合であった。9時~開演する14時過ぎまで、かなりの時間があるため、充実した時間を過ごせそうだと思った。

さて当日であるが、夜行バスで東京に向かっていた。降りる予定である新宿で、まさかの降り損なってしまう。そして東京駅駅前で下車したのが7:30であった。そこから九段下までどのように行くか検索をかけると、新宿→九段下よりも、東京駅→九段下の方が交通費が安く、距離的にも近かったのでひとまず安心。

朝食を摂るのと、携帯の充電をするため、にゃもさんに大学近辺のお店を質問。そしてファミマの隣にドトールがあったので、8:13に入店をする。東京では毎度ドトールにお世話になっている。宿命であろうか、または天命であろうか。

その後8:30に、佐藤ひろおさんがTwitterで大学に到着したとしり、急いで向かう。8:38に彼と、まさかのサキさんとツナさんも同時刻に合流。その後屋外の2F??にあるラウンジに移動し、自己紹介及び三国志(卒論)について相談を受けて頂いた。

その数分後には呂蒙くん、にゃもさんが到着し、地下にあるラウンジへ移動し、佐藤さん、にゃもさん、教団、呂蒙くん、サキさん、ツナさんの順で自己紹介が行われ勉強会が始まった。

配布資料は前述にもある通り『三國志集解巻一』で、呂泊奢一家殺害事件~董卓暗殺までの物語であった。A4で片面印刷で9枚がホチキスで止められたものと、『三国演義』で、呂泊奢一家殺害事件~玉璽を持った孫堅対劉表軍までの物語が、片面印刷でA4用紙10枚が止められたものが配布された。
教団's Rot-勉強会

勉強会の流れは、集解の本文を訓読み→和訳→注釈の訓読み→和訳→本文を訓読みが繰り返された。申し訳ないことに訓読みが出来なかったため、佐藤さんとにゃもさんが交互に読んで頂いた。なお感想や意見は自由に発言することが可能であった。拱手や拝謁、関羽、袁術、馬の名前についての話が出たため、話がよく脱線した。途中で休憩も挟み、勉強会を行なったが用意されていた資料の1/4も進まなかった。

さて11:30を過ぎた頃に昼食を摂りに大学を出る。近くの店は混んでいたため、九段下駅まで移動し、近くのSUBWAYに入る。12:20頃まで佐藤さん、にゃもさんと三国志トークを繰り広げ、卒論についてや目指している自分の像についても、その延長上で語った。そして再び大学の地下にあるラウンジに戻る。

そこで講演が始まるまでの時間を用いて、佐藤さんの『「贈物としての官爵」から見た、汝南袁術の卓越化の戦略』という論文の発表会が行われた。内容は渡邉義皓教授の「名士」論に、モースの『贈与論』などを知見を加え、官爵を「贈物」と捉え直して、「官爵資本」の分析概念を導入した内容であった。レジュメはA3サイズで片面印刷が3枚の6ページ構成で、比較や要点の整理をするため随所、図や表を挿入し視覚化されていた。
教団's Rot-勉強会

渡邉教授の著書をあまり持っていなかったのと、モースについての知識が一切持っていなかったが、佐藤さんの発表はとても分かり易く、理解をすることが出来た。三国志で登場する袁紹や袁術、曹操を例に挙げ、贈与交換における中心者の位置関係がどのようなものであり、なぜその様な状況に至ったのか。など丁寧に説明して頂けた。

そして13:30。講演の1時間前となったため、今回の勉強会はお開きとし、それぞれ会場へと吸い込まれるように入っていった。勉強会に参加して感じたことは、趣味で三国志が好きであることと、三国志や中華の概念を勉強している人では、知識的にも勉強内容でも雲泥の差が出ることを痛感した。かつ独学で勉強をしているため、勉強の限度も感じた。良かった点は、今まで自分にない視点や観点、考え方や捉え方について意見交換をすることが出来たため、勉強会に参加することが出来て本当に刺激的であった。とても有意義かつ濃い時間を過ごせて幸せであった。

そしていよいよ学会が始まる。