すこしでも外出自粛中の誰かの暇つぶしになれば、と、神話や伝説、歴史や文学をネタにした小話を書いてみています。「デカメロン」の時代から、人間のお話を掘り下げると結局恋とエロスに行きついちゃう、というころに深淵な何かを感じる今日この頃・・
今年もご招待いただきました、在日商イタリア商工会議所主催のGALA DINNER。男性はタキシードで、女性は着飾れるだけ着飾って参加する年で一番華やかな晩餐会です。結婚式だと、新婦より派手な格好はできないけれど、ここではお洒落し放題!みなさま、床に引きずるロングドレスや振袖などでドレスアップしていらっしゃるので、なかなか他所では見ないようなお支度が拝見できる貴重な機会!わたくしとしても、ここぞとばかりのドレスを投入したいところなのですが・・今年は、気分的にちょっと地味目で。ネイビーのミニドレスに、黄色のヘアアクセサリー、アクセサリーは(まさかの)カメオ。でも映ってなかった、写真に!!お相手は、とある有名企業の日本代表で、日本語の生徒さんのP氏 。いつも本当にありがとうございます。
見た目の悪さは愛嬌として、お菓子やパン作りの何が大変って、成型。小さいお菓子とか、永遠に思える作業の繰り返し。本当に苦手。なのですが、急に、激辛のタラッリ(イタリアのおつまみ的スナック)が食べたくて食べたくて、急遽、苦行に挑戦しました。やはり成型は、まじで苦痛だった!でも、出来上がりはとても美味しくて、報われた思いです……形なんてどうでもいいの、美味しければ!
そしてフィレンツェ。本当にハードな出張ですが、いろんな人と会えて、いろんな町にいられて、とても有意義です。しかし、お土産を買う暇がありません。そこはお許しを!
久しぶりの、ローーーーーーマ!!!第二の故郷というか、青春の舞台に三年ぶりに上陸しました。お仕事でうかがったのは、115年の歴史を持つ老舗の靴屋さん。歴代のマエストロが残した、歴史的VIPの木型がのこされている倉庫は圧巻の一言でした。ローマはやはり、よい!
ナポリの一日。ものすごく疲れましたが、綺麗でした。通訳は、ひとの倍話すから、一日とおしでやると口が疲れるー
イタリア出張、1泊め。
イタリア料理の基本中の基本、Soffrittoソッフリット。いえ、厳密な意味での呼び名ではないのですが、普段の会話ではそう呼びます。意味は、「軽くあげたもの」という感じかなあ。要は、にんにくと唐辛子をオリーブオイルに泳がせながら火にかけ、香りが出るまで熱したもの。イタリアレストランにいったら必ずする香りの元ですね。日本ではペペロンチーノ、という名前で流通しているパスタは、ここにパスタを絡めたもの。ですが、イタリア料理においてはほぼすべてのレシピのベースになるといっても過言ではない、あいうえおのあ。というか、ここになにかを入れて炒めれば、何でもイタリア料理になってしまいます。イタリアで「温野菜 」を注文したら、大抵、ここにほうれん草とかチコリとか、何らかの青い葉っぱを入れてソテーしたものが出てくるし。トマトソースだってクリームソースだって、まずはここから。コツというコツもないですが、エクストラバージンオリーブオイルは、たっぷり、です。Soffrittoの文字通り、にんにくのスライスやら唐辛子を軽く揚げるつもりで。そして、できれば低温でじっくりの方がいいのですが、急いでいる場合は高温でも以外と平気。みるみるうちに、おうちがイタリアの匂いになること請け合いです!にんにくがあまり好きでないという方は、頃合いを見てにんにくを、なんなら唐辛子も、とりだしちゃってもいいかも。オイルに移った香りだけでも十分美味しい!普段の野菜炒めも、焼きそばも、これで調理すると体にもいいし、美味しいし、是非おすすめです!
Happy Halloween!!
今日の一皿ゆえあって、しばらくはお料理中心のブログにしてみようかな、と思っています。よろしければお付き合いくださいませー!さて、わたくしは非公式パクチー美女同盟の盟主を勝手に名乗っています。世の中に、パクチー好きな人の多いこと!ここではっきりさせておきたいのですが、パクチー(タイ語)=コリアンダー(英語)=香菜(中国語)=コリアンドロ(イタリア語)です!日本ではパクチーという呼び名が圧倒的ですが、べつに東南アジアに限って使われるハーブではなく、インド料理には頻出するし、中東の料理にもよく出てくるし、イタリア料理ではそれほど見かけないけれど、ちゃんとイタリア語の名前があるし、フランス料理でも使う、と、パリで料理人をしている従姉が言っていました。つまり、世界各国の料理と合うハーブ、それがパクチー(コリアンダー)!!というわけで、本日はわたくしの最近お気に入りの「焼きナス」に、生コリアンダーをつけてみました。材料ナス 適量コリアンダー(パクチー) 適量塩 適量EXバージンオリーブオイル 適量1、まず、洗ったナスを、魚焼き器(っていうの?ガスコンロの下についてるやつ)に丸ごと入れて、結構強火で10分ほど、様子を見ながら焼きます。時々ころがしたりしてみながら、皮が硬くなってきて、香ばしい匂いが出てきたらOK。たぶんナスの大きさによって時間は変わると思います。わたくしは大抵忘れてしまいますが、最初にフォークで穴を開けておいたほうがいいかも。軽く爆発するときがあるので。2、こんがり焼きあがったナスを、熱い熱い言いながら、薄切りにします。恐らく、皮は硬くて、なかはジューシーな感じになっていると思うのでいい感じでスライスしたり、縦に切ったりしてみます。3、刻んだコリアンダーをどっさり、塩をふり、EXバージンオリーブオイルを好みの量入れます。わたくしは、オイルでナス全体がしっとりするくらい入れます。以上!とりあえず、ナスの香ばしさとジューシーさは、たまらないものがあるー!どこか焼きいものようなホクホク感も味わえて、秋!って感じです。オリーブオイルは、こういう生食として食べるときは、できるだけ上質なものを。自慢ですが、わたくしの料理は美味しい、と、両親や妹に大絶賛されますが、たぶんオリーブオイルのおかげです。あと、たっぷり使えばそれだけ美味しい。カロリーも上がるけどー。でも、よいEXバージンオリーブオイルは、体にもいいのです(注:カロリーがないという意味ではありません)。ナスを焼いている間、多少時間はかかるけど、魚焼き器が勝手に焼いてくれるだけだし。実際は2,3分でできちゃう。コリアンダーが苦手、という方はパセリでも、あるいは最悪、塩とオイルだけでも美味しいかと。是非お試しを!
わたくしは、通訳がメインの仕事のひとつなのですが、先日、「2020年までになくなる職業」のひとつに通訳が上がっているのをみました。理由は、自動翻訳機の普及らしい。どこかの学者さんが仰ったようですが、やっぱり、この世の多くの人には、「言葉の奥深さ」なんてわからないんだなー、と、ちょっとうんざりしました。 言葉というのは、通じればいいというものではない。もちろん世界には色々なレベル、色々な必要性がありますが、少なくとも、高いレベルが必要とされる状況や、文化というのは必ずあるのです。そもそも、日本人ならだれでも話せるはずの日本語だって、人によってレベルは様々です。ボキャブラリーだって表現力だって、さらには文法や言葉の使い方、敬語に至るまで、高いレベルにあるひとはむしろ少ないと思う。母国語でさえ、人間でさえ、完璧には使えないというのに。自動翻訳で、どうしたら、この有機的で時にアーティスティックで、そして複雑怪奇な人のことばをうまく訳せるというのでしょうか。ひとつの言葉を、コンテクストや文化の違いまで踏まえて自動翻訳できるようになるのに、2020年では間に合わないのは明らかです。言葉は文化です。イヤでも、そのひとの文化的背景を映し出してしまう。「自分」を意味する言葉に無限のバリエーションを持つ日本語文化圏にいるからこそ、もっとことばを大事にしてもらいたいなあと思うことが多い今日この頃。ああまたこういうばばくさいことを言ってしまったわ…
諸事情あって、我が家を大規模に模様替え。思いの外、うまくいきました。狭いところに無理矢理おいたソファも、あると便利!と家族(主に妹)に好評です。おかげでいいお部屋になりました。お父さん、ありがと(o´艸)(艸`o)ネ-!!
小腹がすいたので、スーパーで買ったラーメン(醤油味)に 、パクチー大量投入。というか、具はパクチーオンリー!でもすごい美味しかった!!本気で、庭にパクチー菜園を考える日々…
近所のやおやさんで、大量のパクチーが安売りされていました。思わず、ふんだんに買ってしまったけれど、こんなに、どうやったら使えるのかしら?というわけでとりあえず、パクチーたっぷりガパオライスと、パクチーサラダ。パクチーハウスもビックリ のメニューは、すごく美味しかった!!これで、全体の半分を消費。あと半分は…パクチーペペロンチーノかなあ。
大阪出張のディナーは、ふぐ!そして、松茸!!ふぐと松茸以外のものをほとんど食べていないのにはち切れそうにお腹一杯になりました。こんな贅沢なことがあるでしょうか、いや、ない!松茸も河豚もカロリー低そうだし、おまけにコラーゲンでお肌つるつるの予定。松茸って焼いても 鍋に入れても美味しいんですね!!ポルチーニもトリュフも大好きだけど松茸もたまらない。なぜキノコと言うものはこんなに美味しいんだろう。Grazie, Signior M!!!
妹とのランチのためにつくったら、妹には「こんな美味しいパスタ食べたことない!」と言われ、殆んどものを食べない二歳の姪が積極的に完食してくれたので、自信をもってレシピを公開したいと思います!マーレエモンティとは、海と山、という意味。ボンゴレとキノコという組み合わせで海と山を表現したオイルベースのソースです。材料(大体ふたり分)パスタ 200グラムくらいあさり 1パックくらい生のマッシュルーム 10個くらいトマト 1つパセリ 結構たくさん白ワイン コップ一杯くらいにんにく 一かけくらい唐辛子 好きなだけオイル 結構たくさんまず、あさりはすなぬきを。野菜たちは洗っておきます。1 フライパンにオリーブオイルと好みの大きさに刻んだにんにくを適量いれます。辛いのが好きならもちろん唐辛子も。オリーブオイルは、にんにくたちひたひたとが泳ぐ程度にたっぷりと。にんにくは、二人で一かけくらいかなあ。2 弱火でにんにくたちをあたためている間に、マッシュルームとトマトを、1センチ角を目安にざく切り。パセリは、細かく刻んでもよし、適当にちぎってもよし。お好みで。3 にんにくが少し色づいてきて、部屋中にイタリアレストランの香りが漂ってきたら、フライパンにあさりを投入。あ、大きめの鍋に、パスタをゆでるためのお湯を沸かすこともお忘れなく。中火で熱していると、アサリが口を開いて来るので、半分くらい開いたら、白ワインを入れて、あとパセリも半分くらい入れて、蓋をして蒸します。4 しばらく様子を見ていると、アサリが全部開くので、蓋をとる。このあたりでパスタをゆで始めます。そして、トマトとマッシュルームをフライパンに。気持ち強火で、残ってるワインを適度に煮詰める感じで炒めます。アサリから出た塩加減を確かめつつ塩コショウ。5 パスタは標準ゆで時間より少し早めに上げて、水を切ってからフライパンに。フライパンに少し、ワイン風味の出汁が残っているはずなので、よーくからめて、残りのパセリを投入!以上!あとはのびないうちに一刻も早く食べるべし!たぶん、重要なのは、パスタをゆですぎないことオリーブオイルをたっぷり使うことハーブ(今回はパセリ)をなめてかからないことだと思います。日本では、不当に高かったり省略されがちなハーブ類は、あるとないとでは全然違う!イタリアンパセリがあればなおよし。ですが、普通のパセリでも十分。そしてやっぱり乾燥してるやつじゃなく、生のでないとだめだなー。しかし、これを書くんだったら写真を撮っておけばよかったー。゜。(つω⊂)。゚。エ-ン
◆橋本治氏(たぶん)の名言の数十年後日本が誇りを持って世界に発信する文化、「カワイイ」。この言葉を聞くたびに、わたくしは、20年位前に読んだ、たぶん橋本治氏の名言を思い出します。曰く、「女の子というものは、世界の全てを『かわいい』『かわいくない』の二つに分別して生きているものだ」(うろ覚え)時代の空気を反映するかのように、うまいこと言っているようでそこはかとなくダサいというか、なんというか、今となっては恥ずかしい感じですが、当時はなるほど~と、感心していたものです。でも当時はまだれっきとした「女の子」だったわたくしは、いや、そんなことはないんじゃないかな、とも思っていたけど。しかし実際「カワイイ」という言葉の使い方は多種多様で、にもかかわらず、誰がどんな相手に対して発言したとしても「かわいい=善」「かわいくない=悪」であるというのはたいしたものだなあ、と思います。女の子が好みでないものに対して「やだー、それカワイくないもん」というのも、上司が部下にたいして「可愛くないな、君は」というのも、意味合いは大分違いますが、どちらも十分使用に堪えるし、どちらも「よくない」ことを意味しているのは確か。可愛い、というのは文字通り「愛すべき」「愛することができる」という意味なのだろうから、つまり! カワイイ=愛せるカワイクナイ=愛せないという二元論は、老若男女共通というわけですね! なんだかすごい!◆でも可愛いとKAWAIIは、たぶん違う件というわけでいまや世界共通語になんなんとしている「カワイイ」ですが、しかし、上記、上司が部下に言うところの「可愛くないな君は」的用法はそれに含まれない、ということも含め、日本からの「KAWAII文化発信」というのは非常に恣意的な言葉の使い方だよねー。というか、ここでいうところの「KAWAII」というのは、日本のサブカルチャー、ポップカルチャーを表現する言葉っぽくて、わたくしはちょっと不満です。だって日本人が「かわいい」って表現することは、べつにサブカルやポップカルチャーについてのことだけじゃないもん。「かわいい」という言葉の持つ魔力的な万能力を薄めて、強引に、「海外受けする日本のサブカルを表す言葉」に狭めようという試みには反対します!そもそも日本の文化をそっち方面(漫画、アニメ、コスプレ、きゃりーぱみゅぱみゅなど)に寄せていこうとする運動にも反対!他国の文化を理解するというのは本当に難しく、外国文化情報というのはそもそも限られたものしか入ってきません。つまり、そっち方面だけを打ち出していけば、不可避的に、日本の文化=サブカルになってしまう。それって長い目で見たときにどうなんだろう!かといってゲイシャ、フジヤマ、ハラキリってのもなんか違うと思うけど!と、話が逸れましたが、ともあれ、狭義の意味での「KAWAII」ですが。アレってほんとに、日本国民の納得とともに進んでいることなのでしょうか。◆日本的サブカルの強烈な方向転換もう10年以上前のことですが、ローマに留学していた頃、キティちゃんは確実に、ローマにもいました。しかも、下町の、ウィンドウも照明もなく棚の上に無愛想に文房具が並んでいるような個人経営の雑貨屋さんとかに。目抜き通りのお洒落なブティックとかには逆にあんまりなくて、裏道とかの寂れたところにひっそりと。それはもう、日本では目にしないようなテカテカのビニール製のバッグに印刷されていたり、文房具についていたり、こういっちゃなんだけど「場末感満載」な感じで売られていたのを覚えています。当時はまだ、世界的キティちゃんブームの前だったと思うのですが、そんな場末で売られていたキティちゃんが、いまや日本を代表するキャラクターとして世界に進出しているかと思うと涙を禁じえません。先日は、キティてゃんが「猫じゃない」というサンリオの公式発表に世界が震撼していたくらいだし。思えばキティちゃんこそ、「KAWAII」界からの刺客にして最初の成功者といえるのではないでしょうか。そもそも、日本の「サブカル」って、当時は、アニメが有名でしたが、これがまたわたくしの世代でも「懐かしい」と思うようなやつ(マジンガー、キャシャーン、ガンダム)で、KAWAIIとは方向性が違ったなあ。あるいは、いわゆる「大人のアニメ(エロあり)」が「日本のアニメ」として流通してしまった結果、イタリア人のマンマたちから「日本のアニメってとても下品だけど、あなた達は子供の頃からああいうのを見ているの? うちの子には見せたくないわ」と糾弾されることもしょっちゅうでした。アニメというのはそもそも子供が見るもの、という認識が先に立っているからこその誤解ですね。異文化交流は、本当に難しい。それに昔のアニメって、上記のタイトルも含め、とても悲しくて切ないものが多いんですよね。全編に漂う悲劇的な空気。最近、ガンダムを見直しているのですが、閉塞感、絶望感、救われない感がハンパない。まあ、そういう系統はエヴァンゲリオン(その後はよく知らないけど)などに確実に継承されていっているとは思いますが・・わたくしは昔から苦手なのですが、手塚治虫大先生からして、身をよじりたくなるような悲劇と絶望が世界を覆いまくっているじゃないですか!それが一転どうしたことでしょう「KAWAII」界の能天気さと来たら。KAWAIIというのはもうハッピーで丸っこくってピンクでふわぽよで、ちょっと毒があって、ポップでキュンキュン!という方向に収束しつつあります。悲劇とか絶望なんてとんでもない!ほのかな毒や狂気は感じさせてもあくまでスパイス程度。むしろ刹那的な喜と楽を追い求めるエピキュリアン的な要素まで入っている気がする。日本のサブカル界は、いつの間にこんな180度の転換をしていたのでしょうか。◆でも日本の本質って「ネクラ」だよね?色んな世代論があるのはわかります。わたくしなどはもうど真ん中に「ロスト・ジェネレーション」であって、ちょっと先輩たちは「バブルの申し子」だし、ちょっと後ろは「女子高生旋風の主役」だったりします。そして現在は「ゆとり世代問題」が顕在化し、草食化、ブランド離れなどが社会問題となっているわけですが。でもどんな世代、どんな時代においても日本という国は基本的に、「ネクラ」な国である、と、わたくしは思います。言葉の選び方には自分でもちょっと納得がいきませんが、すくなくても「明るい国」ではありません。それは、世間が浮かれ騒いでいたバブルの時代だってそう(よく知らないけど)。というか、もう平安時代とかの時点で末法思想(世界というのはだんだんと滅びに向かっていて、しかももうすぐマジでひどいことになる、という終末論的考え方)が大流行していたりするし、「猿楽」というもともと楽しそうな演劇が、洗練されると幽玄の世界の方向を極めた「能」になっちゃたり(わたくしはお能は好きです)、やっぱり最後は「ワビサビだよね」と、なんというか、暗いものが好き、悲哀のあるほうに流れちゃう、という国民性が絶対あると思うの!これは、気候の問題だったり、文化的に「石」ではなく「木と紙」だから永遠が信じにくいとか、光の関係で色があまり鮮やかに見えない、などなど、色々なことが絡んでいるとは思うのですが、もうDNA的に、一言で言うとネクラな国、それが日本。と、いうことを考えると、ハッピーふわぽよ(ちょっと毒あり)なKAWAIIって、どうなのかなあ、と思ったりします。日本を代表するコンテンツとしてそんなに大々的に輸出してしまっていいのかしら。いやまあ・・間違ったイメージなんて、それぞれの国にそれぞれあって、別にそれはそれでいいのかもしれないけれど。ハラキリ・フジヤマ・ゲイシャという、どこかウェットで物悲しさと表裏一体の世界観から、ポップカルチャー(キャピ)という展開ができるのだとしたら、日本という国の懐の深さはすごいな、と。各国をからかうためによく使われるのが、「タイタニックが沈むとき」の話し。乗客たちを何とか海に飛び込ませようとして船長が使った言葉が、乗客の国籍によって違う、というジョークですが、アメリカ人にいった言葉「飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ!」イタリア人にいった言葉「さっき、すごい美女が飛び込んでいきましたよ!」フランス人にいった言葉「絶対に飛び込まないでください」イギリス人にいった言葉「紳士たるもの、飛び込まなくてどうします」と来て、オチ的に日本人にいった言葉「みんな飛び込みましたからあなたも飛び込んでください」となるわけです。そう思われているのは不本意だけれど・・でもやっぱり日本人の本質をあらわしているかな、という気もする。このイメージが今後、変わっていくことがあるのか。注目して見守りたいと思います!
◆どこを切ってもアンジェリーナそういえば先日、わけあって、マレフィセントを見ました。言わずと知れた、アンジェリーナ・ジョリー史上最高の映画という謎の売り出し方でやってきた、「眠れる森の美女」のスピン・オフ映画。そういうの一応おさえるのがわたくしの偉いところなんですよね、エッヘン!アナと雪の女王だって、3回くらい見てるし(ミーハーなだけか・・)この先、ネタバレがありますのでこれから見たいし結論を知りたくないという方はお読みにならないで!結論から言うと、思っていたよりもずううううううううううっと子供向けというか、アニメのスピンオフなんだから当たり前かもしれませんが、特に驚くようなことや難しいことは何もなく、物凄くほのぼのと、そして、いやー、アンジー、好き勝手やったなあ・・と、女としての負けを悟る気分になりました。何しろ主演・製作総指揮(こちらは連名だけど)、アンジェリーナ・ジョリーです。これだけ自画自賛っていうか、自分大好きって言うか、とにかく「わたしを美しくかっこよく!」という自分礼賛映画をここまでのクオリティで撮れるというのはすごい。もう、半分以上がアンジェリーナのプロモーション映像状態、すべてはアンジー様を美しく強くかっこよく撮る為のお話であり、その他登場人物、という感じです。そして、そのクオリティーがまた素晴らしい!本人の演技力、衣装を含めた容姿、表情、アクション全てが物凄い完成度。優れた女と書いて女優、いや、まさにその通り!なので、アンジェリーナファンにとってはたまらないものになっていると思います。◆モテようがないマレフィセントでも正直このベクトルって、日本の女の子達の至上命題である「モテ」とは全然逆方向だと思いますが、それはいいんでしょうかね?思いのほか盛り上がっていないのは、そのへんのせいなんでしょうか。なんだかんだいって、アナは、モテてたもんねえ・・そこから更に一歩、進んでしまった感じ・・アンジェリーナ扮するマレフィセントときたら、もうどこからどう見ても絶世の美女、しかも強くて優しい世界最高のおんなっぷりを披露しつつ、恋愛のようなものは一切信じず、自分の子供を持つことなんて考えの埒外、「他人の娘」にものすごい愛情を注ぎまくって、その他人の女の子との人生を理想と考えている模様。好きな人と出会って恋に落ちて結婚して、その人の子供を授かって・・という、女の幸せとは逆ベクトルを邁進します。まあそれもこれも、最初のころに、初めて好きになったオトコからひどい仕打ちをされて、恋愛不信、男性不信になったせいだ、といえばそうなのですが、そのオトコに対しては未練とかなんとかというよりももう、ガチで復讐あるのみ。しかも完全に命のやり取り。物理的に殺す、というやつです。女っぽくないことはなはだしい。そしてまあそもそも、マレフィセント属し、女王のように君臨している妖精の国には、恋愛対象となる男が存在しないというのもすごい。美女っぽい感じの生き物も、ほぼ、マレフィセントしかいない。一応、女の妖精たちは、人間の女のような形をしているけれど、美女ではないし・・木の化け物とか、どう見ても指輪物語の悪役オークたちにしか見えないような生き物のなかで、人間としての基準で見て圧倒的に美しく優雅なマレフィセントは、浮いてるとか言うのは野暮だとしても、恋ができるような状況にいないのです。どんな美女でも相手がいなきゃ、恋はできない。モテようがない。「モテ」という概念がなければ、女はこんなにも強く自由になれる、ということなのでしょうか。マレフィセントのファッションも立ち居振る舞いもそれはそれは女王様然として素敵ですが、オトコの視線を気にしてたらこうはいかないよねー、ということですよ。それは日本だろうがアメリカだろうが一緒だと思う。日本のほうが極端だけど。でも、烏をイケメンの人間の形に変えて、ペットのように従僕のようにはべられちゃう。モテなくてもいいんです、男はペットで。っことだよね、これ・・。女の幸せはモテじゃない、という声高な主張、かっこいいけど、どこに行き着きたいんだろう。◆ディズニー・プリンセスはモテるのかしかしはた、と気づきました。そもそもディズニー・プリンセスというのは、「モテ」るキャラなのでしょうか。白雪姫、シンデレラ、そして眠れる森の美女本人は、世間から隔絶されてる虐げられたりして生きてきたので、モテる対象が周りにいたとは考えにくい。たまたまであった唯一の恋愛対象男子がたまたま王子様だった、ということですよね。一発一中というのは、おそらくいわゆる「モテ」とはちがうということで、とりあえず彼女たちは「もてない」ということで。そして比較的最近のお姫様たちで、わたくしが見たことのあるアラジンのジャスミン姫と美女と野獣のベルは・・これは・・二人とも、一言で言えば「変わり者」ですよね。ジャスミンは、お姫様なのに「プリンスと結婚するなんて絶対イヤ!」と、婚約者候補をかたっぱしから追い出し、しかも夜中の王宮から単身、お金も持たずに家出をするような無鉄砲な女の子だし、気が強くてジャファー(悪者の大臣)からは超嫌われてたなあ。ベルはベルで、街一番の変わり者。ガストンにはもててるけど、ガストンはあいてが変わってるかどうかさえあんまり気がつかない程度の知能しかないので動物とほぼ同列。他の男がよってくるそぶりは一切なし。その意味ではアリエルもだなあ・・人魚界の恋愛事情はイマイチわからないけど、確か人魚の男性って、上半身が魚で下半身が人間なんじゃなかったっけ。トリトン王をみるとそんなことはなさそうだけど、もしそうだったらこれはちょっと恋愛どころではない。・・モテてないね!だれも、もててないじゃん!!(驚愕)唯一、そういえばわたくしはちゃんと見たことないのですが、ラプンツェルは、たしか酒場のおじさんとかにモテていたような・・でもそれもいわゆる「モテ」とは違うし。そしてアナ。比較的モテてるアナ(ハンスもクリストフもオラフもいる)ですが、しかし、うち一人は完全に「結婚詐欺師」だったわけで、これも恋愛対象者から恋というかたちでは、ひとりにしかモテてないということになる。エルサに至っては・・あんた女王なんだから結婚しなきゃまずいんじゃないの?と、こちらが心配になるくらいです。ということでまさかの結論ですが、ディズニーというのは昔から、「複数の男性に好意を寄せられる状態」=「モテ」を、徹底して排除していたということですね!!自分で書いてて驚いた!◆でもやっぱり「出会っちゃう」お姫さまたちと、いうわけで、ディズニー・フィロソフィーおよびディズニー・プリンセス・フィロソフィーとしては、「モテ」は完全否定の方向です。プリンセスになりたいお嬢さんたちは今すぐに「モテ髪」「モテネイル」「モテしぐさ」などを放棄しましょう。モテていいことなんて、実際、大してないんだし。という、結論になってしまいそうですが。それでも一応いままでのヒロインたちは、みんな「その人」と出会って、結婚して、云々、というハッピーエンドを迎えていたんですよね。なので、世界にひとり相手でもいいから、好かれなければならない、愛されなければならない、というのは共通したテーマでした。その条件として・容姿の美しさ・性格の優しさ・無邪気さ・歌声の美しさ・足はできるだけ小さいほうがいいっぽい・頭の良さは問わないというのがあったような気がします。とりあえず女はきれいで優しくて声がきれいで世間知らずがいい、ってことか。それは、「モテ」る条件とかなり重なるような気がする。美しくて優しくて無邪気、なんて、ほとんど「相手のことなんて何一つ理解していない」状態に等しいと思いますが、その状況で結婚してしまうのが昔のお姫様たち。その後「変人」プリンセス、に関しては、「その人と出会えてよかったね!!」感がハンパない。ジャスミンもベルも、アラジンや野獣と出会わなかったら、生涯独身だったんじゃないかと思うんだけど・・しかし独身でも楽しそうだな、この人たちは。でも彼女たちは「その人」に出会い、恋に落ち、結婚するわけですよね。誰かに見出され、その人と結婚する。それで不幸だったり/呪いがかけられていたりする女の子達は、晴れて幸せになるわけです。そうなんだよね、シンデレラ・コンプレックスあるいはプリンセス・コンプレックスの核心は、「モテなくていい、でもたった一人の誰かが私を見つけてくれる」なんだった。◆モテなくていい、というロールモデルしかししかし21世紀を向かえ、女性のあり方というのも大きく変わりました、ということなのでしょう。・強い女性はモテない。という、誰もが知ってる不文律と、・強い女性がかっこいい。という、新しい世界の始まりが混在し、「理想の女性像」はかなりの混乱を見せています。女というのは複雑で、「強い女性」に憧れつつも、「でも女らしくないし、モテないよね」というところで妙な優越感を抱いていたりして、カオスです。女同士の集まるコミュニティで、「モテる」ということは依然として高い攻撃力を持つスペックであり、どんなに「賢さ」「美しさ」「強さ」「収入」などなどのスペックを磨いても、それと相反する独立スペックである「モテ」を満たさないと、格付け争いに勝てない、というのも往々にしてある話です。自分を磨けば磨くほどモテからは遠ざかるオンナの悲劇というのは、枚挙に暇がありません。そこに「他者の目」を意識すれば、どんなに磨いたところで・対オトコとしては「磨けば磨くほど敬遠される」・対オンナとしては「磨きもしていないダサくてトロい女に【モテ度】で負ける」という、オウンゴール的な結末が結構な確率で待っているからです。そして、誰もが憧れる「強く美しい女」が、例えば結婚して、そこからはあまり自分を出さず、夫を立てて内助の功に励んだりすると、それはそれは美談として褒め称えられる。要するに、この世にオトコがいて、その視線を意識する以上、対オトコだろうが対オンナだろうが、「強く美しい女(けどモテない)」は、身近なところからの評価は高くないわけです。まあ、遠くに強く美しい女がいるぶんには、みんな「素敵~」とか言ったりするんだろうけど、近くにいたらそうもいかない、ってことかな。だからなかなか本気で強く美しい女になりたい、という人は出てこない。ダレトクよ、ということになるから。あ、強く、というのは物理的に強いというよりも人間として強い、賢い、という意味ですが。そしてだから、ここでアンジェリーナ・ジョリー扮するマレフィセントが、ディズニー映画のヒロインを演じたというのは、象徴的なことなのかもしれないなー、と、改めて思います。マレフィセントは・外見は美しいけども怖い・無邪気では全然ない・優しいかもしれないけど大体怖い・歌わない・足は小さいとは思えないし、翼は最大級にデカイ・頭もいいし魔法も世界最強という、お姫様の条件を満たさないオンナです。誰がどう見ても「強く美しい女」。そして・・彼女が強く美しい女のままでいられる理由は、周りにオトコがいない。ついでに言えば、周りにオンナもいない。(いるのは人外ばかりなり)と、いうことなんだろうと思うんですよねー。他人の目を意識しないですむ環境にいるからこそできる、孤高の美しさ。もしも、妖精の国に美女がたくさんいて、強いのやら手弱女やら色々いたら、当然のごとく、「あの」マレフィセントは存在し得ないわけです。絶対、魔力はそんなに強くないけどオトコ受けする妖精とかに足を引っ張られて、内紛だわ。お話の中のマレフィセントは、めちゃくちゃかっこいいし、美しい。あんなふうに生きられたらいいなあ、と、多くの女性は思うことでしょう。でもそれは、モテばかりか恋やら、人間関係やらさえもない場所で、孤高の花としてしか咲けない運命なのね・・。巡り巡って、結局、強くて美しい女は大変だ、という結論に戻ってくるお話なのだなあ・・。つまり、マレフィセントは、アラジンに出会えなかったジャスミン、野獣と恋に落ちなかったベル、という感じもする。誰かの妻、という安住の地を探すことなく、そして、周囲の女達との格付け争いや嫉妬の影響を受けることなく、自分の人生を(ペット的オトコはいるかもしれないけど)生ききるという女のロールモデル。もしかしたら、エルサの行く末なのかも。現実的には、これを体現したのはエリザベス一世ってことになるんでしょうね。国家と結婚し、ヴァージン・クイーンを守り通した孤高の女王。だからこそ偉大なイギリスの母。だけど・・本当のオンナの幸せが何か、っていうのは、ほんとうにほんとうに、難しい。しかしまあ・・アンジー自身も、もちろんマレフィセントに相当の自己投影はしていると思うけれど、あれは、彼女の理想の自分でもあるんだろうなあ。本当の人生というのは、どんなにアンジーがお金持ちだろうがセレブだろうがこの世のしがらみから逃れて生きていけるわけではないだろうし、実際は彼女も結婚していて、しかもいろいろあるやに聞き及ぶし。烏くんがやたらとイケメンかつ女子の妄想をくすぐるような性格設定になっているのは、アンジーの妄想を具現化したからなんだろうな、と、余計なことまで考えてしまいました。ハア、こんなに長くなるなんて思ってなかった。そしてコルティジャーナでは、眠れる森の美女がテーマのネックレスを発売中!お姫様の氷菓子、ちょっと夏っぽいですが(笑)、美味しそうな魅力は秋にも是非。和菓子を組み合わせたかのような色合いと質感が、プリンセス気分を盛り上げてくれます。お求めは絶世の美女アクセサリー専門店コルティジャーナにて!
Buon Compleanno!!