橋本治氏(たぶん)の名言の数十年後

日本が誇りを持って世界に発信する文化、

「カワイイ」。

この言葉を聞くたびに、わたくしは、20年位前に読んだ、たぶん橋本治氏の名言を思い出します。
曰く、

「女の子というものは、世界の全てを『かわいい』『かわいくない』の二つに分別して生きているものだ」(うろ覚え)

時代の空気を反映するかのように、うまいこと言っているようでそこはかとなくダサいというか、なんというか、今となっては恥ずかしい感じですが、当時はなるほど~と、感心していたものです。
でも当時はまだれっきとした「女の子」だったわたくしは、いや、そんなことはないんじゃないかな、とも思っていたけど。

しかし実際「カワイイ」という言葉の使い方は多種多様で、にもかかわらず、誰がどんな相手に対して発言したとしても

「かわいい=善」
「かわいくない=悪」

であるというのはたいしたものだなあ、と思います。

女の子が好みでないものに対して「やだー、それカワイくないもん」というのも、上司が部下にたいして「可愛くないな、君は」というのも、意味合いは大分違いますが、どちらも十分使用に堪えるし、どちらも「よくない」ことを意味しているのは確か。

可愛い、というのは文字通り「愛すべき」「愛することができる」という意味なのだろうから、つまり! 

カワイイ=愛せる
カワイクナイ=愛せない

という二元論は、老若男女共通というわけですね! なんだかすごい!

でも可愛いとKAWAIIは、たぶん違う件

というわけでいまや世界共通語になんなんとしている「カワイイ」ですが、しかし、上記、上司が部下に言うところの「可愛くないな君は」的用法はそれに含まれない、ということも含め、日本からの「KAWAII文化発信」というのは非常に恣意的な言葉の使い方だよねー。

というか、ここでいうところの「KAWAII」というのは、日本のサブカルチャー、ポップカルチャーを表現する言葉っぽくて、わたくしはちょっと不満です。
だって日本人が「かわいい」って表現することは、べつにサブカルやポップカルチャーについてのことだけじゃないもん。

「かわいい」という言葉の持つ魔力的な万能力を薄めて、強引に、「海外受けする日本のサブカルを表す言葉」に狭めようという試みには反対します!

そもそも日本の文化をそっち方面(漫画、アニメ、コスプレ、きゃりーぱみゅぱみゅなど)に寄せていこうとする運動にも反対!
他国の文化を理解するというのは本当に難しく、外国文化情報というのはそもそも限られたものしか入ってきません。
つまり、そっち方面だけを打ち出していけば、不可避的に、日本の文化=サブカルになってしまう。
それって長い目で見たときにどうなんだろう!
かといってゲイシャ、フジヤマ、ハラキリってのもなんか違うと思うけど!

と、話が逸れましたが、ともあれ、狭義の意味での「KAWAII」ですが。
アレってほんとに、日本国民の納得とともに進んでいることなのでしょうか。


日本的サブカルの強烈な方向転換

もう10年以上前のことですが、ローマに留学していた頃、キティちゃんは確実に、ローマにもいました。
しかも、下町の、ウィンドウも照明もなく棚の上に無愛想に文房具が並んでいるような個人経営の雑貨屋さんとかに。
目抜き通りのお洒落なブティックとかには逆にあんまりなくて、裏道とかの寂れたところにひっそりと。
それはもう、日本では目にしないようなテカテカのビニール製のバッグに印刷されていたり、文房具についていたり、こういっちゃなんだけど「場末感満載」な感じで売られていたのを覚えています。

当時はまだ、世界的キティちゃんブームの前だったと思うのですが、そんな場末で売られていたキティちゃんが、いまや日本を代表するキャラクターとして世界に進出しているかと思うと涙を禁じえません。
先日は、キティてゃんが「猫じゃない」というサンリオの公式発表に世界が震撼していたくらいだし。

思えばキティちゃんこそ、「KAWAII」界からの刺客にして最初の成功者といえるのではないでしょうか。

そもそも、日本の「サブカル」って、当時は、アニメが有名でしたが、これがまたわたくしの世代でも「懐かしい」と思うようなやつ(マジンガー、キャシャーン、ガンダム)で、KAWAIIとは方向性が違ったなあ。
あるいは、いわゆる「大人のアニメ(エロあり)」が「日本のアニメ」として流通してしまった結果、イタリア人のマンマたちから「日本のアニメってとても下品だけど、あなた達は子供の頃からああいうのを見ているの? うちの子には見せたくないわ」と糾弾されることもしょっちゅうでした。
アニメというのはそもそも子供が見るもの、という認識が先に立っているからこその誤解ですね。
異文化交流は、本当に難しい。

それに昔のアニメって、上記のタイトルも含め、とても悲しくて切ないものが多いんですよね。全編に漂う悲劇的な空気。
最近、ガンダムを見直しているのですが、閉塞感、絶望感、救われない感がハンパない。
まあ、そういう系統はエヴァンゲリオン(その後はよく知らないけど)などに確実に継承されていっているとは思いますが・・
わたくしは昔から苦手なのですが、手塚治虫大先生からして、身をよじりたくなるような悲劇と絶望が世界を覆いまくっているじゃないですか!

それが一転どうしたことでしょう「KAWAII」界の能天気さと来たら。
KAWAIIというのはもうハッピーで丸っこくってピンクでふわぽよで、ちょっと毒があって、ポップでキュンキュン!
という方向に収束しつつあります。
悲劇とか絶望なんてとんでもない!
ほのかな毒や狂気は感じさせてもあくまでスパイス程度。
むしろ刹那的な喜と楽を追い求めるエピキュリアン的な要素まで入っている気がする。
日本のサブカル界は、いつの間にこんな180度の転換をしていたのでしょうか。


でも日本の本質って「ネクラ」だよね?

色んな世代論があるのはわかります。
わたくしなどはもうど真ん中に「ロスト・ジェネレーション」であって、ちょっと先輩たちは「バブルの申し子」だし、ちょっと後ろは「女子高生旋風の主役」だったりします。
そして現在は「ゆとり世代問題」が顕在化し、草食化、ブランド離れなどが社会問題となっているわけですが。

でもどんな世代、どんな時代においても日本という国は基本的に、「ネクラ」な国である、と、わたくしは思います。
言葉の選び方には自分でもちょっと納得がいきませんが、すくなくても「明るい国」ではありません。
それは、世間が浮かれ騒いでいたバブルの時代だってそう(よく知らないけど)。
というか、もう平安時代とかの時点で末法思想(世界というのはだんだんと滅びに向かっていて、しかももうすぐマジでひどいことになる、という終末論的考え方)が大流行していたりするし、
「猿楽」というもともと楽しそうな演劇が、洗練されると幽玄の世界の方向を極めた「能」になっちゃたり(わたくしはお能は好きです)、やっぱり最後は「ワビサビだよね」と、なんというか、暗いものが好き、悲哀のあるほうに流れちゃう、という国民性が絶対あると思うの!

これは、気候の問題だったり、文化的に「石」ではなく「木と紙」だから永遠が信じにくいとか、光の関係で色があまり鮮やかに見えない、などなど、色々なことが絡んでいるとは思うのですが、もうDNA的に、一言で言うとネクラな国、それが日本。

と、いうことを考えると、ハッピーふわぽよ(ちょっと毒あり)なKAWAIIって、どうなのかなあ、と思ったりします。
日本を代表するコンテンツとしてそんなに大々的に輸出してしまっていいのかしら。

いやまあ・・間違ったイメージなんて、それぞれの国にそれぞれあって、別にそれはそれでいいのかもしれないけれど。
ハラキリ・フジヤマ・ゲイシャという、どこかウェットで物悲しさと表裏一体の世界観から、ポップカルチャー(キャピ)という展開ができるのだとしたら、日本という国の懐の深さはすごいな、と。

各国をからかうためによく使われるのが、「タイタニックが沈むとき」の話し。
乗客たちを何とか海に飛び込ませようとして船長が使った言葉が、乗客の国籍によって違う、というジョークですが、

アメリカ人にいった言葉
「飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ!」

イタリア人にいった言葉
「さっき、すごい美女が飛び込んでいきましたよ!」

フランス人にいった言葉
「絶対に飛び込まないでください」

イギリス人にいった言葉
「紳士たるもの、飛び込まなくてどうします」

と来て、オチ的に

日本人にいった言葉
「みんな飛び込みましたからあなたも飛び込んでください」

となるわけです。

そう思われているのは不本意だけれど・・でもやっぱり日本人の本質をあらわしているかな、という気もする。

このイメージが今後、変わっていくことがあるのか。
注目して見守りたいと思います!