`…前回の続き。(文字数制限にひっかかってしまったので分けました)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで問題になるA国の法律はどうなっているのだろうか?
まず、国民の生活に一番関係のある民法から分かりやすく説明しよう。民法は何か行動をおこす時に常につきまとう法律 言わば「人生ゲームのルール」的な法律なので、当然国民は絶対に義務教育中に基本程度はマスターしておかなければならないルールだ。
つまり、憲法は「国家権力から国民を守る」ルールで、民法は「国家権力が国民を縛(しば)る」ルールだからだ。国民は常に、国家権力が振る舞う民法の変更・改編(かいへん)・新規作成に監視の目を向けなければならない。さらに「国家権力や行政が 強制力を持って縛る民法の振る舞い」自体を縛る憲法は、国民の過半数の意見なく「国家権力が 自ら(みずから)改正する」事は当然あってはならない。
A国の民法は起源から胡散臭(うさんくさ)く興味深い
A国は100年以上も前に他国の法律を国名のみ変更して直訳。(その時の支配階級の都合の良い創作法律も当然差し込む)かなり古い言葉使いで おまけに旧文字で分かりにくく、一般人には解読出来ないからバレないので都合が良い。(これは宗教革命前のヨーロッパ社会に似ている)おまけに継ぎはぎ民法の為、法的に辻褄が合わなければ拡大解釈のオンパレード。あまりにもやり過ぎて麻痺したため、ひとつの法律に大量の枝番をつけ放題、今ではなんでもあり状態になってしまった!その為、こっちの民法にはあっちの民法で潰(つぶ)せる法律を作ってしまったので、結果的に数々の「対抗の法律」が存在する事に。こうなると どうにでも調整出来てしまう。裁判所の裁判にかかわる者はすべてA国の慣習上、周囲の空気感にたてつくと、いつの間にか村八分にされて最悪は退職。権力者は根回しで常に勝利の判定。
こうなると外交関係まで発展してしまう。
なぜなら貿易は国内法である その国の民法に外国は従わざるを得ないからだ。
A国はついに自国の御都合法を盾に他国から自国への商業進出をブロックし、さすがに国際問題になりそうになってA国民にバレそうになったら最終手段!民法ではなく憲法問題を大騒ぎにしてしまう。
そもそもA国憲法は、A国がはじめた70年程前の戦争で、結局A国が負けた時に戦勝国が作ったのだが、なぜか戦勝国にその時の戦勝国の戦いの手段が国際的に悪かったと言う「戦後の世界の空気感」を盾に(A国のお家芸です)過去を盾にして言わせないようにし、危なくなったらマスコミを利用し問題を騒ぎに出す事で撹乱。
実際、何故かその渦中のA国憲法も、相手国ではなくA国が自前で作った事になっている)
そしてその どさくさ紛れに民法変更を試みる。
その混乱の間に国民のコンセンサスも無しにコソコソ大事な民法(結局コピー民法だが民衆には憲法より重要なものです)を自前(じまえ)であるかのようにゴッソリ大量に、まるで始めから合法だったように変更。
その後、様子をうかがってバレないと確認し次第「大改革」とうたい、当たり前のように変更したと振る舞うのだ(中身は結局の所…)。
※A国憲法は本来、70年程前の戦争後に、戦勝国が それまでのファシズム政権であったA国政府と国会の行う行政・立法等(民法も含む)の国家権力から守る為に作られているのだが、その重要な説明(ファクター)を うまいこと義務教育から外しているために、憲法どころか民法すら説明をまともに受けていない為、民法が好き勝手にされているのだ。
その為「生きるためのマニュアルを知らないA国民」は問題視すら出来ないのだ。
「生きるためのマニュアル」さえ人生の始めに説明を受けていないで生活している国民の頭の中はどうなっているのか?(補足たが、A国の義務教育で 司法・立法関係は、相関図程度の説明をしているので説明責任は果たしたと政府から逃げられそうだが…)
ここまで来たらもう止まらない。A国の歴史にしても、学生には都合の良い歴史的な文献だけをチョイス!ファンタジーと思われる文献はタイトルのみ引用。中身は都合の良い部分を拡大解釈、教科書にも挿入。特に当たり前に絶対知っておかなければならない近代史に関しては都合の悪い事だらけなので最終学期に時間が無いと誤魔化して詳しく教えない。
世界の歴史に到っては、ダイジェストでつまんで教える。そして範囲が広すぎるように見せかけ大量に暗記させる事で考えを持たせないようにしてきた。
なぜなら世界的に資本主義かつ民主主義が主流で、実際はA国が全体主義で社会主義であることを、逆にして国民に学校教育から教えてしまっていた。どうやら勉強不足の国民性が、自分たちの都合の良い解釈をしているうちにそうなってしまったので計画的に行われているわけでは無さそうだ。結局この事が、A国政府に都合良く働き、外国人とA国民との接触の際にうまいこと撹乱させている。最近なんとなく気づき始めた政府は、この事実が国民にバレたら国民を自由に制御できなくなる事がわかって来た。そこでA国政府、資本主義や民主主義の理屈を曖昧にしてしまう必要が出てきたのだ。
とにかく今となっては「資本主義的民主主義」の存在がバレてはまずいというA国の事情があります。
実際にはいろいろとありますが、
民主主義には大きく
「資本主義的民主主義」と「社会主義的民主主義」と「共産主義的民主主義」が存在し、資本主義的民主主義は、リバティ(フリーダムではなく)とコンセンサスが基本であり、これは国民の意思が重視されてしまう為A国には都合が悪い。A国政府は、自分たち政府側が一方的にルールを作り、まるで同意が取れているような既成事実をでっち上げ、仕上げに同調圧力をかける事で、国民を制御しながらの運営を基本にしている為に社会主義・共産主義の基本である「決められた範囲の中での自由」が素晴らしいと言わざるを得ない。
まずリバティをフリーダムと混同させ、その上に「自由は勝手気まま」で悪い事とし、自由=恐怖と認識させ、自己責任を強調し、宗教(特に宗教的道徳)を厄介物扱いして切り離し、道徳をルール化する。
仕上げは民主主義を曖昧にして、実際は多様性のある民主主義が、まるで一つであるかのように見せかけておき、民主主義そのものが「国民とのコンセンサス」より「多数決が基本である」かのように見せかけてしまえと。
そうなればこっちのもので、国会のパワーゲームで決めてしまえばかなりの確率で通ってしまう。という事は、国会議員さえ身内有力者で固めて、社会的弱者が立候補出来ない程の参加費を科せば、簡単に弱者を議員にならせないことも出来る。街頭演説もデモも全て許可制にして警察や役人の監視のもとでやらせればやる気をなくす。別にいちいち国民に了解なんかとらなくても国会議員の多数決が通ればいいわけで、国会中継で大きなルールやスキャンダルだけ問題視したと見せかけて、細かいルールをいくら中継されていようとも、さらっとどんどんさりげなく通してしまえば、気づいた時はもう後の祭り。見えない鎖で社会的弱者は身動きが取れなくされ事実上は奴隷化してしまっているというわけだ。
税金もパワーゲームのぶん取り合戦。
金が足りなきゃ消費税でみんなから一律とれば公平でしょ(社会主義と言われそうになったから少し目的税っぽく見せかける)
更に足りなきゃ赤字国債出させた後、ほどぼりが冷めたら発行元に買い取らせる。
金を国民に給付したと見せかけてその金を銀行経由で借金させて市場に出させない。その給付も実際は口利きピンはね中抜きのオンパレードで、結局末端にはスズメの涙ていど。現金の量は増やさないので、国内的にはインフレになっていない気にさせる。
しかもA国は独自の通貨を持っていてA国通貨に変換しなければA国債を他国は買えないのだ。そのため、他国がレートをにらんでいる間にA国債を国内銀行に対してマイナス金利や公定歩合のたぐいで脅して買わせ、A国中央銀行が最終的に買い取る仕組みだ。その為他国の干渉を受けずに無尽蔵に借金が出来る仕組みだ(え?だめでしょ!反則です)。
A国政府は、マスメディアを制御する目的で都合の悪い記事を書く新聞社や記者を排除。そのためテレビ番組や新聞各社、代理店まで巻き込み忖度を強要する。表向きには全く反対に見えるが各社ほとんど同じ情報。事件事象が起きても見ている国民は何か目新しい情報がないかと番組・各紙をサーフィンしているが、その先なにも得られない。
もうなんでもやりたい放題だ。
こんなこともあるさ。まず史上希に見る大きな人災(一部にの地域の天災ではなく政治や経済の失策等何も物理的な被害が無かった場合)が起きたと想定しよう。
まず、通常の民間の損害保険や火災保険では、よほど何かの特約がない限り 補償の範囲ではない。そこでA国政府は、税金を全ての人々に均等に大量現金給付として分配するがのごとく社会主義をチラつかせるプロパガンダをして油断させ、本音はA国内でしか流通しないお金の為、大量現金給付(同時期に)は危険極まりない。現実的に同時期に全員にそんなことをしたら、少額なら市場に吸収されてあまり変わらないが、国民全員に平均給料並みに渡してしまったら、当然A国民全員が同時期に同じ金額を持つことになる。したがって渡した分が大きければ大きいほど通貨の価値が下がりはじめ、そのぶん物価が上がり、国民は苦しいのでもっと出せ!と市場圧力がかかり、無尽蔵に発行し始める。そうなれば最悪ジンバブエの悲劇が待ち構えている。したがってそんな危険はおかせない。紙幣を大量に発行するなどとA国政府の上層部は考えているはずはないのだ。もしそうなら、とっくに自分達の財産を別の国の通貨、もしくは金(きん)にかえてタックスヘイブンなどにプールしているハズなのだ。つまり紙幣の大量発行は、それだけ危険なのだ。もともと現金の量は決まっているしそう簡単には変えられない。どこの国のリーダーに、自分の財産を紙切れにしたがっている奴がいるだろうか?今までは一部の人間に区画整理や優遇やピンはね中抜きなどで大金を渡しても経済には大して影響はなかった。だか今回は違う。したがってA国政府は、現実的には現金を市場に回さず、国民にとってはタダで沢山もらったように見せかける作戦。つまり、出した分を借金と貯蓄を促すことによって相殺する方法をとった。実はA国は、長年様々な手を尽くして期間や種類の国債を発行しすぎてもうパンク寸前、なんとか持ちこたえてきたが、最近は他国を見習って国民総キャッシュレス化を宣伝して金の流れを制御しようとするなど、長年のらりくらりと借金のやりくりはお手の物だった。データ上は金を渡しても、現金を引き締め、「実際には現金を引き出させない」作戦だ。まず「国には借金が多く、支払う資金が無さそうだ」と噂を流して、結局一部の国民で、中央銀行が国債を買わせている銀行に対して借金を持っていそうな人間に渡るように調整して発表。そして家賃程度の金額を、現金ではなく「振り込み」をする形で家賃公共料金等はデータ上の移動に留めさせた。これは他人を信用しないA国民性の賜物で、貯金ばかりしている為に この「振り込み作戦」はうまくいった。そしてインフレになりそうになったら「老後に資金が必要」といった噂を流せば銀行に貯金をプールさせ使わせない事も出来るし、ついでに国債も稼げる。直接「個人向け国債」ってのもありかな。その後、当初の理屈とは全く反対の「多く税金を払った者が恩恵を受ける」ような同調圧力の噂を国民に流し、大幅に減税をする。そして住宅や高級マンション等の購入の際に大量の減税を促し、銀行の査定を緩くさせ、安定収入のありそうな国民に資産を買わせて銀行へ借金をさせる。その借金を銀行は債権化して商品化。それを資産家に売りさばき、これで銀行は、巷(ちまた)のハイエナ不動産関係に労力を使わせて、ファンドにちょちょっと見繕って資産家にチラツかせて買わせれば、自らは足を運ばずとも国債買い取り資金の出来上がりだ。まあ当然 政府さんには 資産家先生の税の優遇は忘れずにってね。一方A国政府は、国債資金を公共事業関係、政府系金融機関、その他政府に関係のある企業・団体に資金の大半がインフレ抑制が前提の使用法で消化される。
一見だれも得していないように見えるが、実際はこの問題、他人の財布をあてにした「お年玉の論理」「仕送りの論理」なのだ。
これには歴史的に慣習的な経緯がある。
A国政府は、政府が150年近く前に成立。ちょうどマルクス主義がまだ世界に知られ始めたころで、プロイセンもビスマルク体制。A国政府は、国民の意思も関係なしに旧政府から政権を奪取し、A国を民意であるかのように建国。
聞きかじりか又聞きか?エセ資本主義を国民の意思とは関係なしに強制的に仕掛けた為に、一応歴史上は帝国主義と言う事になっていますが、そこまで諸外国ほどの帝国主義政策は行っておらず、ほぼ社会主義、ファシズム的な国家となりました。(A国は、民衆が革命を起こした訳でもないので あとは「独裁政治」以外に選択肢がありませんでしたが独裁政治の選択はとりませんでした。なぜなら、前政権では末端だけでなく上層部まで お互いを監視しあう社会性になってしまったので、一人が何かを独断で決める事が難しくなっており、根回しと空気感と権力者同士の都合で なし崩しに決定する為にこうなりました)
当初おこなったビックリ政策は、なんの国民のコンセンサスもなしに、まるで近代国家が成立しているかのような見せかけのハリボテ国家を作り上げた。その目玉政策がこれだ。
旧政府は「囚人のジレンマ」的国家と言おうか、いま前政権を「封建制度」と言い張るのは国際的に厳しいが、国内的には 今でもそういう事になっており、お家芸と言おうか、当時も今と同じく国民をお互いに見張らせていた。通貨においては、紙幣は無く通貨のみ、レートなど存在していなかった為、諸外国とは国内で流通する金銀を使った硬貨や奴隷などの人身売買等で小さく貿易をしていた。海封策をしていると謳っているが怪しい。ついにその政府は自爆的につぶれたが、新政府はこれまで従って来た中で別の勢力が現れ、そちらの士族が結局権力をとる。
その昔から、都合が悪くなると突然権力があるかのように名ばかり利用して適当に祭り上げた王がいるのだが、その王族やその親族や一部の旧政府時代の有力者が、まだ大して反乱も小さいうちに これ以上前勢力や新興勢力に反乱をさせないように彼等をうまいこと取り込み、反乱分子を撹乱する必要があった。
そこで、誰が入れ知恵をしたのか、何か目的があって誰がA国に近づいたのか?普通の世界史ではこのまま転覆したはずのA国家が、この怪しげな政策で息を吹き返した。
これが現在の金銭的悪習の始まりである!
それは、前政権(今から約400年前に成立)下では、国内通貨というよりは特定の穀物を徴収し、それを「受け取る権利のある者」に身分に応じて差別的に分配していた。
生活の手段は、まず食事に関しては、新政権に代わるまでの1000年前後の間、肉食を禁じられていた為、特定の穀物のみ流通に使われ、一般庶民の食事は、ビタミン系は山菜や野草が主で、タンパク質は豆類と魚介類でとっていた。
農家は、主に収穫した「特定の穀物」は地主に献上し、生活の手段は 別に収穫した農産物などで自給自足。漁師は物々交換で成り立っていたと思われる。その他の不労所得者やホワイトカラーは「受け取る権利」又はその「現物(特定の穀物)」を相場にして金銭のかわりに流通させることで価値の交換が成り立っており、そのあいだに商人が入り、商人に使われる者もいた。実際、当時の通貨自体は国内でも どこまで必要とされ流通していたかどうか怪しいところがあったが、そんなことで諸外国と付き合っていけるわけもない為、政権交代後の新政府はこれまでとは違った 諸外国にも通用するような通貨・紙幣が必要だった。
たが、新紙幣などいきなり作ったところで諸外国では当時は金兌換(きんだかん)制であり、そんなものは紙切れ同然、一応貨幣で使っていた金は純度が非常に低く、同じく貨幣で使っていた銀や産出する少ない銀(ぎん)などでは国の資金など賄えるはずもなく、何か秘策が必要だった。そこで、価値かあるかの如く見せかけるため「特定の穀物を受け取る権利」のかわりに、怪しげな架空の国債を大量に発行して手切れ金を給付。権利を受け取る量の多い者は相当な額にのぼった。怖い話だが、急場凌ぎで資産家が存在する既成事実を造り上げたのである。
だが、まだ肝心の金(きん)が存在しないのだが…。
そして、その中で 多くの架空財産を集めた事になっている資産家に、銀行の権利を安易に与え、なんと自前で紙幣の製造権まで与えていた。カネだけではどうにもならないので諸外国向けに産業の発達している既成事実を無理矢理作る必要があった。現実は、産業自体が国民からの声で成り立っているのではない為、政府が後ろから脅して銀行が半ば強制的に「金(かね)があるから何かしろ!」とまあ命令されたような形。銀行主導で産業が始まったから、実行する側は 知識もないのに何かしなけれはならないのでインセンティブもあるはずはなく、やりたくもないのにやるわけだから諸外国から要人・技術者引っ張って来て、おだてて産業を興してもらったり、機械を作らず輸入し、バラしてコピー。挙げ句になんと!自分たちで考えて創造した技術ではないのに「改良したり、精巧にコピー出来るのが技術者」と まるで改良出来れば原理原則までわかってしまっているような口振りだ。
もともと下手(したて)に出ておいて、手順を覚えたら いつの間にか 他人に聞きかじりを御教授してくる国民性。本来とは違う意味で自画自賛が始まり、こうして国民同士 お互いに洗脳し合うのだった。もうこうなったら努力など無意味だ。とにかく諸外国に自慢・アピール出来そうな技術を持った外国人、またはそのつながりを持つ外国人に出所の不明なカネをつかませたり儲け話を持ちかけ うまいこと技術をもって来させる。あとは、技術を丸暗記してコピーしてちょっと変更して合法的に法改正するだけ。身内で技術的に深い理解をしようもんならバレて反発されるし、そんな学習好きな人物は危険分子だ、育たないうちに排除するしかない。そんなこんなで結局当時は有り金を人任せにする銀行だらけになったが、当然こんなバカな状態は長くは続かず、財閥系と一部の地方銀行が残った。
所が運良く?もしくは取引先の国がA国に投資した分を回収出来ない事に ついに感づいたのか?うまく乗せてA国に戦争を起こさせて 取引先国が兵器を供与し勝利。A国は戦勝国として金(きん)を調達。当時の怪しげな借金は うまいこと返済完了。何故か別の戦争でもロスチャイルド系の商会に莫大な資金を借りるが、どうやったのか証拠が薄いが これもうまいこと返済している。その後は財閥系が貿易の大手商社となったが、その手法は国際的に違法な独占の為、財閥自体が強国の力で強制的に解体されたのだが、ほとぼりがさめると民法をいつの間にか変更して戻してしまった。今では国際的にも独占は禁止のはずなので さすがに国民も気づく可能性もあるから外見上は隠して見えないが、A国の構造は相変わらずだ。したがって、国の成り立ちから言っても当初から常に他人の財布ばかり当てにしている為、A国政府内閣・閣僚・役人・政府に関わる団体などが、災害や公共事業など、常に何かしらネタを探し、使用目的を作り、仕方ないような理由をつけてはプロジェクトを立ち上げる。そして最初に大きな予算を立て、そこに群がる口利き、ピンハネ、中抜きが横行(抜かれた怪しいお金は、市場にあまり流れない)。足りなければ補正予算(多分折込済み)。収入より多い赤字国債は当たり前。批判が来れば「仕方がなかった」と泣き落とし。元々ロジックとして失敗しているA国の半強制的年金の運用は、不勉強のくせに調子に乗り、美味しい情報に踊らされて投資に失敗しておきながら年金が足りないと金額を上げて誤魔化す。たが、結局大してバレず 意外に国民は無反応で受け入れる。もう止まらない。A国政府は放蕩息子の如く目も覆うばかりの結構な金遣いだ。その反面 A国の国民は、その金遣いを逆に応援するが如く どんどんあまやかす人の良さ。国民は自分たちが追い詰められていることに気づいていないのか?事態は逼迫し、A国政府の膨大な借金の為にそこらじゅうで税金税金税金。結局末端の労働者には、日雇いも含め、最低賃金を少し上回る程度の給料。さらに常勤は最低の給料取得者は特に、福利厚生と称して収入の4分の1は払わされるが 期待されるボーナスの保証は無い。ところがA国政府は、まだ税金が取れそうだと、パート・アルバイト等の税金の免除を受けている非正規雇用からも福利厚生をとるために新たな策を見つける。それは、労働組合等の戦利功労に見せかけて、最低時給を強制的に引き上げる事で福利厚生の網にのせてしまえば一石二鳥!収入が増えたと見せかけてついでに税金(ほぼ強制的かつ良心の呵責を取引にした年金・医療・介護保険などは税金と何が違うのか?)をせしめようと言う寸法だ。さらに消費税(売上税?)が常に10分の1前後かかっているが、物の値段には既に道路税・ガソリン税が流通の間で輸送の度にかかっており、さらに輸入コストの関税が、国の産業を守ると称して法外にかかっている。国民は気付いていないが物価の実質はかなりインフレぎみだ。
その為、何か災害が起きる時の補助金の場合、現金給付も制限が厳しくなり、悪習の極みだ。
そもそもA国の場合、国民の所得の把握が曖昧と言う問題がある。しかもそれを明確にする事が現実的に不可能な問題が山積している。なぜなら、そもそもA政府の在り方に問題があるのだ。
実はこの政府。運営している政治家自体 奇妙なのだ。まず選挙だが、出馬するために 政府に最初に払う預り金と、慣習的に選挙も商売になってしまっている為、ユスリタカリの縛りが多すぎて実質 使わなければならない選挙資金が高額過ぎるのも問題だ。マスコミなどで一時的に話題に上がるような経済界に都合の悪い政策を出す新出の人物(A国のマスコミに登場するような人物は貧困層などあり得ない)などは、その筋の空気感が即買収。つまり「その筋の空気感」が、周囲を買収や取引で村八分扱いして、結局迎合しなければ選挙活動は出来ない為、富裕層以外は政治家に存在しない。
もうお気づきの読者もいるかと思うが、個人個人の収支をあまり明確にするとA国を運営する「その筋の人々」が絶対に困るのだ。
とにかく曖昧にしなければまずい。技術大国を謳いながら、実質 裏では不動産で成り立っている贋(にせ)社会の為に、不労所得者ばかりで、他国のような「不労所得は悪」的な風潮は、A国においては即 抹殺される運命にあるのだ。
この国はこれでいいのか?
金持ちのやりたい放題だぞ!
そりゃたまに政府筋が偽善的になる事もありますよ。
「ですが!」ですよ。
A国民の所得把握が、富裕層の不労所得者の強力な圧力の為に曖昧にされ、貧困層を助けよう「蜘蛛の糸」を差し出そうとすると、どうやっても「なぜか」自分達が可愛くなってしまって特定出来ないんです。
何か災害が起きて給付金を出そうと思っても、全国民を対象にして富裕層の辞退を期待するような政策しかできず、だからと言って「収支を完全にして納税を明らかにする」事は到底出来ない。だから、まあ諸外国に政策を合わせようと頑張っても、国民に番号をふる程度がせいぜい。だがその程度でも、しようものなら直ぐに個人情報保護と騒ぎたてる(実際には個人情報なんて、わかって困るのは ほとんどお金関係なので、困るのは富裕層なのだ。したがって貧困層は収支を明らかにしてもらった方が良いはず)だからこの手の事はマスコミを使ってすぐに火消しされる。
フゥ…もういくらでも調整されてしまう。
何か災害が起きれば即、政治家・官僚・役人たちに関係した中間業者が間(あいだ)で手間賃をむさぼり、結局給付金は然るべき貧困層へは、お小遣い程度に落ち着くか、逆に多く給付したように見えた場合。言ってしまえば、「隠れ不動産不労所得者」が、ある意味ひまつぶしで事業や政治を行っているために、借地代・家賃・土地転がし等、不動産関係の支払いを税金(給付)で補てんをし、結局支払いや借金返済の滞納を恐れて自分たちが焦げ付かないように「給付側に回収される」給付調整が行われているのだ。その為、実態は現金が市場に出回らず、振込の為に給付された側は、借金等の支払いに関しては帳簿上スライドされ、キャッシュレスなら更にインフレが起こりにくい。実際、国民の財産を勝手に借金まみれにしておいて よくもまあコマゴマと好き勝手放題巻き上げ放題、挙げ句の果てに「使い道はこっちに任せろ。こっちは借金だらけなんだから文句はなしだ!」なんて どんなロジックで成り立っているのか?まさか「まぁ結局は借金も資産のうちですよ」とでも言うつもりか?ところが国民は暴動が起こるどころか 例によって政府の方針に反してないかお互いに仲良く監視し合いながら従順に従っているようなんですね~♪
大体がこのA国存在、お金の在り方、成り立ちからして元々お金と言うか紙幣自体が紙切れに見えてしまうのは気のせいでしょうか?
(もし政府・自治体の成り立ちや在り方を知っていたら暴動が起きますよ)
なんと!これは多くの社会主義が失敗してしまった元凶である「分配側の論理が私欲に負けてしまう」原因だ。
このような税金ありきの社会は、ひと度大きな災害、社会不安が起きると、税金でまかなわれている、または関連事業、その下請け事業者以外は軒並みつぶれてしまう運命にある。結局過ぎてみれば そのようなウラのある企業ぐらいしか残らないし、そうでない企業が存在するとすれば、その優良企業の事業に対して、国からの補助金をあてにしたぶら下がり企業、すなわち「国からの仕送りを受けたゾンビ企業」が、不当な競争を仕掛け、優良企業は手痛い大きな打撃が襲うだろう。A国は諸外国にもこの手を使って各国に不当なダンピングを仕掛けているが、税金注入の証拠自体「A国捏造当たり前社会」の為に、調査しても決定的な証拠を見つけられず、たとえ相手国企業が訴訟を起こしてもA国は下手(したて)に出ながらふてぶてしくも「仕方なしに受け入れた」的な対応をして、相手国企業に不信をかっている。この問題は、諸外国に過去に移住したA国系人も関係していて、彼等はA国人をカモにしている。噂話やもうけ話等はもちろんのこと、訴訟や諸問題に各国のロビイストの買収や要人、政府系団体などあらゆる事にA国の税金を使わせている(彼等はネタを見つける(又は捏造する?)だけで稼げるのでかなり金持ちだ)。A国側も別に国際関係を学習するつもりはなく、彼等に依存していればうまくやれると利用している。結局A国政府どころか国民全体の意識としても、諸外国とコンセンサスをとって仲良く付き合うつもりは無いらしい。つまりA国は、国民も含め総体的に「国際関係はコンプライアンスを″表面上″守ってさえいれば″何をしても″よく、国内的にも 危なくなったら法改正、拡大解釈でなんとでもなる」と思い込んでいるようだ。
※ちなみに硬貨は、原材料価格とみなして除外しています。
ついにA国はパンドラの箱を開けてしまった!世界史や経済システムの成り立ちをしっかり勉強していたら絶対起こり得ない論理、道徳無視の社会システムをマスメディアを利用してA国民の洗脳を、なし崩しに完了してしまったのである。
この無知を、国民全体が お互いに馴れ合い、なし崩しに空気感を作り、知識の無さから 国民同士でお互いを恐れ、病気でも無いのに擬似的パラノイアに陥り、外国を非難前提に付き合っているのにも気付かず、努力と時間を他国から金で買いあさり、根回しで外濠を埋めて他国に縛りを作り文句を言わせない。まぁ他国にとっては誠に迷惑千万極まりないのである。
この話しが出たので更に言っておきたい。
ODA(政府開発援助)と言って、途上国に橋や学校など建造物を作る等の支援を先進国が行っているのだが、A国は かなり盛んにODAの支援を行っている。
これを、マスコミを通じて 現地の人の感謝の言葉を映したり、横断幕を現地の人が掲げている映像や、建造物に直接分かりやすく感謝の文が書かれている映像が報道されたりしてA国民は誇らしく思っている。
だが、実際はA国民には表向きには報道されないのだが、A国政府は無償とは違い、「借款」といって「タダであげるのは良くない」と、貸付の方針をとっている。何だか聞こえはいいが、実際は その建造物をA国政府は「技術の乏しい途上国」を利用し「当然ソチラではつくれませんよね」と言わんばかりに A国の商社を通じて「A国側の建設会社」に建てさせ、「労働者のほうは途上国側から雇っているから雇用を創出している」と見せかけて、実際は借款で貸したはずの金を 技術供与に見せ掛けてA国内会社を派遣して即座にODA(貸付金)を回収しておき、その後「借款(しゃっかん)」だけに 後でちゃっかり既に回収したODAをさらに「途上国に返させる」と言うビジネスを、A国内会社とA国政府ぐるみで行っている。
大抵のA国民は知らないが、これを「新植民地主義」と他国から揶揄されてきた。
技術はA国の会社の特許だから後々はメンテナンスと称して修繕等のアフターケアでさらに儲けられる寸法だ。何も知らない途上国民は、後で自分たちが払わされるのも知らずに感謝をA国マスコミに しかも「A国語」で言わされ、それを見たA国民は鼻高々だ。これを最近は新興国に上手い商売だと気付かれて真似されている。これに途上国の法律にまで技術援助なんかしていたら…もう やりたい放題ですね…。
さらにA国は、決定的かつA国民が逃れることの出来ない武器を持っている。これが、多くの社会主義国は失敗したがA国のみ成功してしまった理由なのだ!
それは何か。
実際は、そのA国ぐらいしか通用しない 昔から使われている言語なのだが、国民には「世界でもっとも美しい言語」と洗脳して使わせている。(そんなに良いならもっと広く使われてもよさそうだ)
ところがA国は、他言語を業務連絡程度の語学力しか使えないようにしてしまい、他国と心の意志疎通をさせないようにしているのだ。
そもそも自分の意見すら怪しいA国民。自分の意見を他国民に他言語で主張出来るか?問題ではあります。
その国民性も助け、せっかくの他国の情報もインターネットからの情報のファクターを上手く理解・活用出来ず、もっとも資本主義的民主主義国の方々は他国の自由を尊重しますので、当然なにも暴動すら起こらない他国の自由に対して何か言って来る筈もありません。
ついでに意志疎通がうまくいかないことをカモに、商売に利用しているA国系人も沢山いると思われる。
業務連絡程度の会話技術とは?
その方法は極めて単純かつ効果的で、文法と単語を、使用パターンや発音を含めて暗記させる方法をとっている。実際は、A国人の「音節の認識自体を完全に取り違えている」のが原因なのだが、それをまともに理解しようとしたら、A国語での会話の常識を、根本から考え直す事になってしまうのだ。何はともあれ、確かに他国の相手としては機械的な発音・機械的な文法・機械的なパターン文体ではありますが、とにかく聞かれている事は確かなので 当然答えはします。その為にA国民は、まるで会話が出来ているように錯覚してしまう。もしそこまで本当に流暢に他国語が話せるのなら、これだけインターネットも発達している世の中だ。外国人と会話が弾んで、もっと諸外国の情報がタイムリーに、そして正確に入って来ても良さそうなのだが…。ナゼこうなってしまったのか?
…………………………
このひとつの仮説(寓話?)がもしどこかの国で当たっていたら非常に厄介な事になります。なにも成り立っていないし、よくここまでやってこれたなと。あくまでも仮設ですので あまり本気にしないでくださいね!
まあA国の要人は開き直って「聞きかじりでないものなど今の進歩した世の中では存在しない」なんて言いそうですが…
「なぜ自分を信用出来ないのか」の答えが垣間見えましたか?
ごめんなさい。これはかなり反発の多い内容なのですが、演技を行う上では「社会に対する理解・見解」がないと難しい。もしも他人の顔色を伺って考えを変えている社会性の中にいらっしゃる方がいた場合は とても台本を読み取る力は養えないので、このような方のために寓話を交えて敢えて書かせていただきました。ですが、これを理解していただける方に1人でも知って共感してコンセンサスをとりたいと切に願って書きました。とにかく我が国は資本主義的民主主義の国の筈なので、このような意見もあるとご了承いただきたい。
なお、大変申し訳ございませんが、この記事に関するコメントは受け付けませんのであしからず。
============
◆多数決について。
※民主主義に関しては、学校教育と違う面があるので、気になる方はしっかり世界の歴史・政治の歴史を、ネットではなく、文献で調べて下さい。日本の文献は曖昧なので、たくさん読まなけばなりません。
「多数決」は確かに民主主義ではありますが、社会主義や共産主義の中の民主主義の方が、当然のごとく多数決が基本で決められていきます。つまりこちら側の人々の方が「多数決」を前提にしたがり、話し合いが大してこじれてもいないのに「ここは民主的に多数決で行きましょう」と言い出しやすいのです。
ただ、多数決が前提で物事が決められている場合、黙ったまま何の発言もなしに最後まで参加して、そのまま多数決に参加が出来てしまう為、話し合いする前に根回しが横行しやすく、無発言可能なだけに、「考える必要すら無い」と考える者も現れ、金や権力に簡単に巻かれてしまうことも考えられます。多数決前提は、権力者の意見が通りやすく、主催者にとって都合が良いとも言えますね。
資本主義の中の民主主義とは、人間の自由は、好き勝手にすれば必ずトラブルが起きる。したがって、まず相手の自由を知る必要があるのだ。つまり他人の自由を許さないのは自由ではないのです。双方の自由を理解しあう必要があり、したがって お互いのコンセンサスが基本にないと自由には出来ない。自由を勝ち取る為に話し合う必要があるのです。つまり会議でもコンセンサスが取れればそれで締結終了。(後々のトラブルを避ける為に文書に残し 署名が必要)つまり意見を言わなかった(あるいは言えなかった)のに 話し合いが決まってしまってから騒いでも相手にされません。だから、日頃から学習して、どんなことも良く聞いて自分の意見がないと話しになりません。自由は甘くありません!努力が足りず、学習が必要な人ほど自分の意見が言えないので、弁護士や事前の根回し、買収など大金が必要。努力と時間をカネで買う以外の選択肢がなくなってしまいます(これは資本主義的民主主義の穴をついた汚いやり方と みなされかねないが、こちらの民主主義は自由を尊重するのでなにも言って来ません。ですが、そういう人はそのうち相手にしなくなるでしょう)。ですからこちらの社会は「社会的弱者」(努力ではどうにもならない人々。もしくは「持たざる人々」)の保護がいつでも話題に上がります。では、多数決はどこでするか?それは、逆に騒ぎになり収拾がつかず こじれて難しければ「多数決を行うためのコンセンサス」をとり、多数決を行う。つまり、最終的に「多数決もあり得る」のがこちらの民主主義です。黙っていたり様子ばかり見ていると知らないうちに決まってしまう為、自由に意見交換が出来る人同士である事が前提ですね。
============
………
金(かね)で
「答え(人が発見し、つくった事物)」
「既存の技術」
「人の行動」(いいかえれば人・物・技術)
が買えても、
「能動的な基礎知識への探求」
「基礎知識から来る能動的な創造」
「能動的な人の心」
は買えない。
つまり、既(すで)にあるものは必ず識(し)る必要があるが、つまる所、使い古された結果に過ぎないのだ。
認識状態は定義しにくいが、
単純に「知っていればいい」だけだと
安易に暗記に走るものでは無い。
理解による認識が増える事で、
多角的な見解をもたらし
個人の自由意思の構成要素を強化する。
その個人々が共有して社会全体を構成する。
その全体が、
先立つ社会全体の能動的思考
すべての構成要素を強化する。
人(ホモ・サピエンス・サピエンス)は、能動的な知識と創造を共有してこそ真価を発揮する生物でありたいものだ。
………