民主主義についてのお話しの前に、まだ足りない基本情報がありました。

今回は、以前書いたファクターに続いて大切な言葉に「エレメント(element:要素)」があります。

この表現は、語源をたどっても日本の文化には馴染まない言葉のため、ちょっと考えるだけで、人によっては混乱をまねく用語のひとつではあります。

そのエレメントは、重要でありながら我々の日常では特に必要とされる場面がありません。

例えば、ルーチンワーク的(routine work:きまりきった)な思考や行動を、個人は習慣的に、集団では慣習的に、日常をパターン化する方法を推奨し、見つけ出そうとしている環境下においては、かなり意識的に気付こうとしなければエレメントを発見できません。つまりエレメントはあくまでも要素であり、パターン(pattern:形、類型)では無い。

では、そのエレメントを発見するにはどうしたらよいのでしょうか?

我々の日常生活では、エレメントではなく、セグメント(segment:全体を分割したもののまとまり)を発見しただけで、さらに掘り下げることをせず「これがエレメント(要素)ではないか!」と取り違える。(これが上記の混乱をまねくという意味です)その結果、本質の理解をあやまってしまうのです。

ルーチンワーク的な思考は、命令系統の情報を信じやすい性質をもつ為、与えられた情報の範囲内で答えを出そうとして右往左往した結果「セグメント要素説またはリリース自体が要素説」的な思考を誘発させてしまうのです。

これは世間でリリース(発表)されている情報に、ある一定のバイアス(bias:偏見や決めつけ、思い込み等)がかかっているためです。

そこで「バイアス悪玉説」を唱えるのは時期尚早で、バイアス要素自体が、「そうであってほしい」とか、「そういう考えで今までやって来ているから変えるわけにはいかない」とか、「別の方向だと都合が悪いなぁ」等の私的な思い込みが関係しているため、そのご都合主義の方々の思念が、なし崩し的に込められてリリース(release:発表※上記のsegment注釈の全体と同じ意味と捉えてください)につながっているのです。

マスコミや新聞、政府や自治体の情報に頼りっきりの場合、肩書きやニュースソースを簡単に信頼してしまい、リリース自体を神のように信じ込んでしまえば、もう根拠や証拠を発見することは困難です。

例えば、判断にバイアスがかからないようにしようと大集団でルールを決めようとすると、決定権を持つ一部の権力者集団の都合によって、ルール自体が常に彼らの都合の良い一定の答え(リリース)を導き出そうと誘発するのです。

もちろん、様々な形で発表されている統計データもバイアスがかかったリリースである可能性が高いと容易に想像にできるし、個人々の発言の中にも様々なバイアスがあります。

例えば、ある人物の「世間的に悪いと思われる面」だけを取り出してしまうと悪い人物になってしまうし、自分から「気弱な部分」だけを取り出して吹聴してまわれば弱い人物になり、上手くいけば、助けてもらいやすい人物に仕立てあげることも可能なわけです。逆に本人が「非情な人間である」と「自分が登場する前」に間接的に宣伝すれば、無口を通すだけで冷血な人物にもなれるわけです。つまり、嘘と思い込みや偏見は、元を正せば紙一重的な側面もあります。

さらに不謹慎と思われるかもしれませんが、「生き物を殺してはならない」というバイアスも、様々な側面が考えられるでしょう。(この答えは、筆者としては感傷的な解決法では難しく、知識のみが 解決出来る唯一無二の手段と思っております)

以上のことは最低限踏まえてエレメントを発見しなければなりません。ファクターもやはり「バイアスの罠」に気づけないと理解出来ません。

また、自分自身の理解にも、自分自身にバイアスの罠を仕掛けているかもしれません。

例えば、ある情報を調べようとした場合、自分の都合の良い情報以外は調べない、あるいは見なかった事にする等、思い当たるフシはないでしょうか?

また、証拠隠滅や隠ぺい、臭いものにはフタをする慣習も似た要素を持っていますね。

気づかれたかもしれませんが、台本を読もうとテレビのニュースを視聴しようと、インターネットで仕入れた情報であろうと、リリースしたものは全てバイアスが掛かっているものと理解する必要があります。

先ず、物事のなん足るかを理解するためには、聞き手である自分自身の頭の中の基本情報が、リリースされた情報か、セグメントのみか、エレメントなのかを自分自身の力で判断を下せる必要があります。

リリースのみの情報に頼りっきりの場合、バイアスが掛かっているものに洗脳されている可能性は大いにあります。セグメントも、その寄せ集め的な性質上、寄せ集め側のバイアスは当然掛かっているものと考えて良いでしょう。

では結局エレメントやファクターは無いんじゃないかと考えがちですが、そんな事はありません。これまで紀元前のプラトンやアリストテレス等々~現在の原子やクォークに至るまで、科学、哲学、歴史等に携わって来た沢山の人々が、エレメントやファクターを見つけ出そうと様々な試みをしています。そのなるべく細分化された基本情報を可能な限り多くを知ることでエレメントやファクターを自分自身の努力によって見つけ出すのです。

それだけにエレメントもファクターも一歩間違うと危険で、ニトログリセリンレベルで慎重に扱う必要があります。

そこで今回のテーマである「エレメント」とは一体何か?

これが非常に説明が厄介で、理解自体が哲学的で、直接的な文章では難しく、こちらが間接的にヒントを伝えることによって脳に刺激を与え、それを聞いた各個人が能動的な自助努力によって「なるほど、そういうことだったのか!」と理解し、体感してもらうしか方法がありません。結局の所、バイアスを取り除かない限り、要素どころか存在の本質を見極める事は不可能です。したがって、自身で細かなバイアスを見抜く力が必要であり「自分自身の嘘偽りのない真実」を、まず自分自身のバイアスから解き放ち、さらに「世界でも極めて信憑性が高いと見られる歴史的事実」を脳に積み重ねる事が、物事の本質の理解につながると言うしかないのです。まずは、バイアスに気づけるために正確な知識をつける事が必要です。

根拠の無いみずからの言動、みずからの希望的観測の余地を許してしまうと、たちまち「バイアスの罠」にハマってしまい、「バイアスの悪魔に取り憑かれた者」は忽ちファンタジーの夢の中に…気付いた頃には、もう後戻りは出来ない…なんてね。

いやぁ今回は難しい言い回しだったたでしょうか?

難しいなあって感じの人もいれば、そんなのわかってるよ!いやそれは意味が違う!etc…みたいな意見もありますが、まぁまぁ落ち着いて…ここは一応、建て前上は人権と民主主義を重んじている国ですから。

次回こそ民主主義について書こうと思いますが、まだ付け足す要素があったらリリースしますね🖤

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★追記
これは架空の話し……
正のバイアス、負のバイアス。例えば「我が国はとても美しい国で、経済水準は高く、学問も高水準で道徳も素晴らしい物を持っているから犯罪も少なく、したがって純粋な国民であるから他国の荒っぽさには免疫がなく傷付きやすい国民性を持っている」という思い込みがあった場合を想定しますね。実際にはそんなユートピアは存在しないので、そんなことを他国で吹聴したら、他国の国民は、「我々の国を馬鹿にしているのか」というたぐいの反応が考えられます。どういうことかと言いますと、どんなに控え目で柔らかい表現をしたとしても、発言をした時点で【自分達は素晴らしい=あなたたちは素晴らしくない】という構図が出来上がります。つまり、言われた側にとっては負のバイアスが掛かって、「自分達が否定された」と考えるわけです。前者は人権問題に発展しかねないし、危険な思想と言わざるを得ません。前者に正のバイアスがあれば当然負のバイアスがあるわけです。前者の考え方は、あまり強すぎると、身内の国民同士でさえ否定的な事実・証拠・考え方が起こったとたんに村八分、袋叩きが始まり、特に証拠なんかあったらもう大変!そんな証拠は広がらないうちに焚書したり揉み消すでしょうし、実際に起きても当然知らされる事はないでしょう。そして後々非常に危険なシナリオが待っているということが今までのお話しでわかるのではないでしょうか。このような存在しないユートピアを信じていたら、誰も現実や真実を知ろうとしないし、都合の悪い真実や事実が逆に悪とされてしまうでしょう。もし、前者の考え方が国ではなく「自分として」置き換えた場合はどうでしょう?他人は全て悪魔にしか見えなくなるのではないでしょうか?一個人がそのような思想?いや、パラダイムを持っていたら、余程その人物に金や権力や大きなメリットが無い限り、相手にしないでしょう。自分は正しいと言うと同時に間違った人間の存在を確定し、マクベスの魔女の言葉を借りれば、綺麗と言えば汚ない、汚ないと言えば綺麗が存在すると言っているようなもの。誰かを悪者にしたと同時に悪者にした側が正義になるって寸法だ。バイアスやタブーは真実や現実や事実を受け入れる態勢が進まないと消滅に向かいません。何度も言いますが、あくまでも架空の話しです!!