「新生日本建設の時代」~戦後見失ってきた三つの柱の再興~ 第1節(1) 天川貴之
第1節 戦後見失ってきた三つの柱について【総論】(1) 戦後七十年の歩みを振り返ってみると、日本にとっては、大いなる国家転換の時代であったと言える。 過去、数千年の歴史を持つ日本民族にとって、この七十年とは、いかに位置づけるべき時期であるのか。その歩みは、ある点においては大いに発展し、また、ある点においては堕落してきたものであったように思う。 そこで、今後の新生日本建設を念い、戦略を考えるにあたって、今、現在に到る日本の潮流を、心を白紙の状態にして、様々に検討を加えてゆきたい。そして、確固たる認識の土台を創り、その上に、「新生」の日本を築き上げてゆく大いなる志を、私も日本国民の一人として持ちたいと願っている。 戦後七十年の中で、日本が見失ってきたものは、大局的に観て、三つあるのではないかと思う。 その一つは、「理念」であり、それは、精神的なるもの、永遠普遍的なるものである。哲学的には、「実在」と云われているものであり、あらゆる存在、あらゆる人間の営みの根底である。 そのことは、戦前の学生と、戦後七十年経った現在の学生とを比較してみれば、端的に現われている。戦前においては、ほとんどの学生は、まず哲学の門をくぐった。カントの認識論は学生の常識であった。そして、西田幾多郎や田辺元を始めとするキラ星の如く輝く哲学者に導かれるようにして、多かれ少なかれ、すべての学生は哲学者であったと言える。 戦後七十年たった現在において、学生の中に哲学をなし、実在を探究する精神が枯渇しているということは、一見どうでもよいように見えて、実は、いかに精神的に日本人が根底から貧困になったかということが、如実に現われているのである。 かつて、へーゲルは、人類の最高の文化的遺産として、宗教・芸術・哲学を挙げられているが、こうした哲学が不毛になっているということ自体が、人間が、ある意味で、人間の内なる生命たる精神や理性というものを退化させつつある現象であるとも言えるのである。 これは、戦後七十年の歩みの中で、日本人が見失ってきた最たるものと言えるであろう。これは、一見、外見には見えにくいものであるが故に、失われているということ自体に気づきにくいものである。 しかし、人間にとって、より本質的なる生命であるとも言える精神の危機については、警鐘を鳴らし、精神の復興を新時代の柱にしてゆく方向性を打ち出してゆかなくてはならないのである。 (つづく) by 天川貴之(JDR総合研究所・代表)