ミサイルの迎撃に失敗することはありません。迎撃ミサイルの発射を中止しましたから
某国がある日我が国に対して卑劣なミサイル攻撃をおこなってきました。
この時のために、血税を注ぎ込んで用意してきた迎撃ミサイルの出番です。
…
(国民)敵のミサイルが降り注いでくるのですが、迎撃に失敗したのですか?
(防衛当局)迎撃に失敗はしておりません。迎撃ミサイルのブースターにうまく点火できなかったので、発射を中止しました。
つまり迎撃はしておりませんから、迎撃に失敗することはありえませんのでご安心を!
H3ロケットの打ち上げにかかわった科学者や技術者など関係者が失敗とみとめたがらず、ホリエモンのような事業者の立場の人がこれを擁護したがる気持ちはわからないわけではありません。一度失敗と口にすれば責任を問われることになるでしょうから。
科学者なら失敗を認めるべき
確かに、飛行機の離陸を例にすれば、エンジンの出力が上がらず、滑走路の端まできてしまい、止む無く機首おこしをして失速、墜落して機体を損壊する事故を起こしたならば離陸に失敗といえるでしょうが、出力が上がらないので早目に離陸を中止した場合は、離陸に失敗したとまではいわないかもしれません。ましてや、料理でコンロの火がつかなかったことまで、点火に失敗したとはいわないでしょう。
科学研究の場合は違います。ひらめきが起こらない限り、失敗を何度も繰り返しながら地道に実験を続けるしかありません。時には実験装置を台無しにする大失敗も起こるでしょう。運よく実験装置が無事なら、実験が続けられると喜びもします。失敗が多いほどそこから学び成功への道が開かれる可能性も広がります。だから科学者は失敗を恐れず、小さな失敗にはくよくよするなと自分を励まします。ここらの科学者の思考が今回の記者会見で垣間見えた気がします。しかし、失敗は失敗と認めます。失敗を認めないことは捏造となり、科学者失格ですから。アカデミズムの扉の内側ではまだしも、一般社会でそれを貫くのはかなり困難なことでしょう。なにせ「それは一般に失敗という」世界ですから。
しかし、失敗でなく中止だとするいいわけのおかしさは、シツエーションを少し変えただけでまるわかりになります。上述のアイロニーのとおり。
フェールセーフが働いて補助ロケットに着火信号を送信しなかったことで爆発炎上などの重大事態にまで至ることがなかったのは幸いでした。フェールセーフの誤動作とかでないとはっきりしているのかは知りませんが。
一部にフェールセーフが正しく働いたことが証明されて、今回は中止とはいえ成功だとする向きがあります。ところで、今回の打ち上げはフェールセーフ機構がうまく働くかどうかを試すのが目的だったのでしょうか。衛星の打ち上げが目的ではないのですか。防災への期待高い先進光学衛星「だいち3号」、情報収集・偵察を目的とする軍事衛星でもある衛星の打ち上げが、今回できなかったのです。
JAXAは研究開発機構であり、打ち上げ実験のついでにせっかくだから衛星を積んでやっただけとでもいうのでしょうか。どうであれ、当初予定から延期されていたH3ロケットの打ち上げが、イプシロン6号機の打ち上げ失敗に続き今回中止となったことは、失敗がいやなら失態ですよね。失態と言われるより、潔く失敗を認めた方が格好がつくだろうに。
日本の技術は大丈夫?
こんなきついことまで書く気はなかったのですが、JAXAの記者会見で質問した共同通信記者へ批判が相次ぐと聞き、だまっていられなくなりました。
打ち上げ関係者の悔しさはTV映像からも伝わってきます。マスメディアの役割は行政の広報とか記者会見の様子を伝えるだけではないはず。ジャーナリズムとして、国民の知る権利にこたえるという重要な役割があるのではないでしょうか。
ジャパン・アズ・No.1の夢からいまだに覚めきれずにいる者としては、この間のJAXAの失態は日本の技術力の低さの表れでないのか、あるいは予算が限られていて北朝鮮のようにはロケット開発がすすめられないのだろうかとか、名だたる大企業がしばしばデータ捏造の不正を行っているそうした影響はないのか、などと心配になります。先ごろJAXA自体の不正が明らかになったこともあって不信もぬぐい切れません。
科学者に失敗は失敗と言えるように、環境づくりをするのも、国民とマスメディアに課せられた責務ではないでしょうか。
出禁にせよなどと、報道の自由、ひいては国民の知る権利を脅かすような批判に委縮することなく、ジャーナリズムの本領発揮を期待します。

