↑FlightGearにあるF-5Eの外観に手を加えただけのなんちゃってF-5A。大統領府を爆撃したグエン・タン・チュンの共和国空軍機はこんな感じだったのでしょうか? 展示されている機体の塗装は塗り替えで変わっているようで、塗装は不明。
グエン・タン・チュン(NguyenThanhTrung)
解放勢力側のロケット弾攻撃ならぬ、戦闘機による南ベトナムの共和国大統領府の爆撃が起きたことは、ベトナム戦争の最終局面を象徴する衝撃的なニュースだったことでしょう。
爆撃をおこなった機体は、アメリカが南ベトナムに供与したF-5戦闘機。現在は統一会堂(旧大統領府)に屋外展示されています。当ブログで最近話題にしてきたノースロップ社の高等練習機T-38 Talonの系列である戦闘機型の機体です。展示の説明はF-5E TigerIIとされているようですが、写真で見てもエアインテーク横にナビライトがなく、一方機体尾部上面に小さな空気取り入れ口が見えるのは、明らかにF-5A FreedomFighterの特徴です。
さて、なぜ共和国側の空軍機が大統領府を爆撃したのでしょう? パイロットが「ダナン陥落後に北へ寝返った」、「ベトコンのシンパだった」、「南ベトナム軍に潜入していた北ベトナム軍のパイロット」などと短く書かれた日本語のサイトの文章では、いずれもしっくりきません。結局、ベトナム語あるいは英語のWikipediaが一番妥当に思えました。
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| ↑FightGearの世界の統一会堂 |
パイロットの名前は、グエン・タン・チュン(Nguyen Thanh Trung)。
1947年10月9日、ベンチェ州チャタン生まれ。
出生名はディン・ハック・チョン
父や兄は労働党(現ベトナム共産党)の活動家の一家だったようです。
ディエンビエンフーの仏軍敗北後の兵力分離で南北分断がはじまる1954年以降、北へ集まった兄を除き、父と次兄が引き続き南部で活動に従事するため家族は残留。
1963年3月2日、チャタン地区党委員会の副書記であった父や書記代理が共和国政府部隊に殺害され、母と妹は逮捕、家を全焼させられ、3人の兄は逃走。彼もベンチェ州党委員会のすすめで名前を変え身を隠すことになります。
1965年に、地域の軍関係からでしょうか高等教育を受けるためにサイゴンに送られ、サイゴン科学大学(現自然科学大学)に入学。この時期は、解放民族戦線の活動に直接関わっていたとか。テト攻勢の結果、徴兵制の要件が変わり共和国政府が大学生を空軍に採用したいと関心を払うようになったのを利用し、南部中央軍事部(米国風の用語ですね)は空軍に潜入させることを目的に、チュンにも共和国空軍の試験を受けるように指示します。空軍の採用通知を受けた直後、1969年5月31日、彼はベトナム労働党(現ベトナム共産党)に入党。
ニャチャンでの訓練の後、2年間にわたる米国でのパイロット訓練に派遣され、コースの将校の中で2位にランクされる優秀な成績を収めました。米国にいた間も、組織とは連絡を取り合っていたようで、ベトナムに返送した個人的な通信でアメリカの航空機と戦術に関する技術情報を記録することにも成功していたようです。
帰国は多分1972年。その後、ビエンホア空軍基地に駐屯する第540空軍師団の第3空軍師団に配属。そして共和国空軍中尉の肩書でその時を迎えることになります。
直接のきっかけは、サイゴン解放作戦が始まった1975年4月に、反撃した南ベトナム軍に北ベトナムの諜報員が捕らえられ、チュンを含む数人のエージェントがサイゴン周辺で活動していることがもれてしまったこと。身元が明らかになってしまうことを恐れた組織から彼に、できれば航空機を使って、必要に応じて徒歩で亡命を行うように指示があったのです。
4月8日、サイゴン解放部隊の前進に対抗して彼の編隊が出撃することになった機会に、彼は上手くごまかして編隊から離脱、大統領府に機種を向けました注1)。
8時30分、4発の500ポンド爆弾うち最初の2発がはずれ、2回目の爆撃では2発が命中するも爆発したのは1発でした。軽微な損傷を与えただけでしたが、世界に大きな衝撃を与えました。
近くの燃料貯蔵庫を20mm機関砲で破壊した後、フォクロンのわずか1000mの滑走路に無事着陸、亡命することに成功します。この20日後、彼は捕獲したA-37の操縦を北ベトナムのパイロットに教えて急ごしらえの編隊組み、タンソンニュット空港の空爆も成功させています。そこらの話はまた機会があれば。
その後のチュンはベトナム人民空軍の大佐となるまで兵役を務めた後、ベトナム航空のパイロットとなり、最終的に副社長を務めました。なお、彼はボーイング767、777を最初に飛ばしたベトナム人でもあります。
以上。スッキリしました。父が労働党員である一家で、父を殺した共和国政府には強い怒りを持っており、空軍にはいった時はすでに労働党員だったので、「寝返った」はハズレ。「南ベトナム軍に潜入していた北ベトナム軍のパイロット」というのは無理があり、いいところ「スパイ」。「ベトコンのシンパ」や「亡命」は間違いではないが一面的なことがわかり、落着です。
注1)チュンが出撃したのはビエンホア空軍基地と思われますが、ベンチェ空軍基地とするサイトもあってよくわかりません。
参考
https://vi.wikipedia.org/wiki/Nguy%E1%BB%85n_Th%C3%A0nh_Trung

