こんにちは。
カッキーです。
誇ることがあるとするなら、
“感じる”を明け渡さずにいられること。
ボーーっとしていたら、
そんな思いが湧きました。
これだけ多くのヒト、モノ、コト、情報がある毎日にいると、
感じるを明け渡すことは
無意識に呼吸していることくらい
自然にやってしまう。
でも、
それを放置することの代償は
とても大きいと思っていて。
生きるための
目の前にある手がかりに
気づけないままになってしまうのでは。
感じることをしていても、
その手がかりをキャッチできていない
こともあるけどね(笑)。
感じることは、
出来事と同時にできることもあれば
何となくの体感ののち、心まで登ってくる時間差のこともある。
そのどちらの場合においても、
いわゆる“対話”っていうのは出来るんだけど、
それを整理して言葉としてキャッチするには
さらに時間を要することがある。
ここまでをひっくるめて、
感じること。
本当に手間暇かかるし、
頭をかかえてしまうこともあるし、
だけど
「そういうことなのね」と
分かりあえた時がやっぱり嬉しいから。
それが、
昨日書いたこの↓感覚につながるのです。
では、また
。
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