皆さまーっデレデレ

 

こちら東京、梅雨に入り、

どこか肌寒き、しとしと雨雨

 

 

…と思いきや、

 

 

時に

梅雨の晴れ間の

30℃に近い陽気たいよう。

 

時に

季節外れの台風ぐるぐるもあいまって、


 

…っと、

 

それらを不規則に繰り返す

落ち着かぬ日々にござります…。

 

 

お天気が落ち着かんと

我々、

人の心も何やらどこか、

落ち着きませぬですが、

 

でも、

そんな時期があるからこそ、

 

 

その光はヴェリィストロングLisa Lion

 

がしかし、

日々、

 

当たり前のごとく、

燦々ときらめく

太陽と出会うこと出来るその季節、を

どこかありがたく

感じられるように、

 

神様が

うまーく、

 

創ってくださったのやも

 

しれませんね…スポンジボブキラキラ

 

 

 

 

絵や作品に言の葉を添えます
 

楽しい絵画鑑賞のお話、させて頂きます 


「繪の葉」

 


ヴィオ・優美でございます・・。

 

 

 

さて、

一昨日になってしまいましたが、

 

 

「画家の人生をたどりながら

〜ルノワール〜」クリック!

 

 

「画家の人生をたどりながら

〜カラヴァッジョ〜」クリック!

 

 

 

「公益財団法人東京市町村自治調査会」

を母体とする

多摩交流センターにおいて、

多摩地域(30市町村)における

新しい生涯学習(楽習)の場として

平成7年に発足した、

 

 

TAMA市民塾クリック!

 

 

において、

 

私が市民講師として登壇いたします、

 

4月より月1回、

6ヶ月かけて開催予定、

全6回の第3回目、

 

 

『絵画と語る

〜画家の人生をたどりながら〜

アルフォンス・ミュシャ🇨🇿』

 

 

 

 『黄道十二宮』1896年

 

 

…を、

終えてまいりましたですーっ…パパヒヨ ヒェーキラキラ

 

 

台風の突入にともない、

落ち着かぬ天候の中、

 

多くの方が

足を運んでくださいました…亜友未きらきらきらきら

 

 

毎回毎回、

1ミクロンも変わらず

同じことを感じますのですが、

 

 

我が熱弁を楽しみに、

開始時刻のずっと前から

お越し下さる皆さまにはもう、

感謝の気持ちしか抱くこと出来ず、

 

 

私に向けてくださる

多くの皆さんの視線、

 

…への”緊張”よりも、

 

はるかに、

 

 

 

画家やその生地にまつわる

よもやま話、

 

作品制作にかけた想い、

また家族への愛、

 

そして描かれた画面に込められた

様々なモティーフ、

思索、

散りばめられた色たち、

 

などについて、

私なりの解釈や感じ方も含めて

お伝えすることで、

 

 

皆さんの頬が

ふわっと

緩まれたり、

 

深く頷かれたり、

 

と、

 

そのご様子を見ることのできる

 

”喜び”

 

の方を、

はるかに大きく感じることを、

 

心から幸せに思っております…ママヒヨ ポッびっくりびっくり

 

 

 

 

ミュシャについては

もう皆さん、

ご存知のことと存じますが…にこにこ

 

 

世紀末のパリで、

貼り出せば即、

盗まれるほどの大人気っ、

 

 

稀代の大女優、

サラ・ベルナールと

専属契約を結んで制作した

舞台公演の、

 

 

『ジスモンダ』 1897年

 

 

幼児食の、

 

 

煙草の巻紙の、

 

  『JOB』 1896年

 

 

鉄道会社の、

 

 『モナコ・モンテカルロ』 1897年

 

 

シャンパンの、

 

ゴーフレットやクッキーの、

 

漂白剤の…etc etc…

 

 

ポスターたち、

 

 

また、

 

 

艶やかで妖しく

光放つ宝飾品、

そのものや、

 

 

 『蛇のブレスレットと指輪』1899年 

 

 

パリの一等地に店舗を構える

宝飾品店の内装のデザイン、

 

 

…などなど、

こなせる仕事は

枚挙にいとまない、

とどまるところ知らぬ、

大・大・大人気を誇った

 

デザイナー、

 

でもありました。

 

 

生まれた当時は

オーストリア・ハンガリー二重帝国

統治下であった、

東欧・チェコの

モラヴィア地方の小さな街、

イヴァンチツェに生まれた画家は、

 

若き頃に

舞台装置を制作する工房に勤めるも、

その工房が、火災で

大口顧客を失ったため失職、

 

ですがその後、

幸運なことに彼に庇護者が付き、

その援助で美術アカデミーに通うも、

その庇護が数年後に打ち切られ、

 

(その理由にはいくつかの

解釈があるようですが、庇護者が

 

「このまま甘えさせちゃー、

彼のためにアカンのではっ眼 目キリッ

 

…っと、いわゆる”親心”を

出したのではなかろーか、

…という説が有力な模様です…。)

 

 

”こら食べてけんわーーっ笑い泣き

 

…っと、

書籍の挿絵を描く仕事に就き、

誠実に、懸命にこなし、

 

 

そんな中で、

 

まるで漫画かドラマのような

エピソードをともなった

サラ・ベルナールとの出会い

があり、

 

前述のごとくの大成功を収め、

 

 

その流れで、

1900年に開催された

 

『パリ万博』

 

の、ボスニア・ヘルツェゴビナ館の

装飾を任せられることになり…。

 

その制作のためのバルカン半島への

取材旅行で、

 

 

自身のルーツである

 

 

「スラヴ民族」

 

 

という人々、

 

(この”スラヴ民族”に関しては、

いわゆる

人種、や宗教、歴史、などという、

私たち、日本人が何となしに

思い浮かべるような”くくり”、

ではなく、

 

”言語”

 

をベースにしたもの、になるのですが…

その話は、

 

ロングロンガーロンゲストろくろくび

 

…になってしまいますので、

ここでは割愛いたしますねっ…ゲ

 

 

…彼らの

長く、苦難の連続でもあった、

輝かしくも深い歴史を、

 

そして、

 

当時はまだ、故郷が

チェコスロヴァキア共和国、としての

独立も叶っていなかったこともあり、

その明るい未来への

希望や夢、を

 

壮大な叙事詩、として

同胞たちに、いえ、

全世界の人々に残す、

 

ということを

後半生の自身の使命と決め、

 

パリでの大成功の地位に

きっぱりと別れを告げ、

祖国へ戻ります。

 

 

そして自身の名も

フランス語読みの

 

『ミュシャ』

 

からチェコ語読みの

 

『ムハ』

 

へと変え、

 

20年近い年月をかけ、

 

時には日に16時間、

キャンバスに向かい、

 

最愛の家族との面会も

 

 

”予約が必要だったうっ・・・

 

 

と言われたほどに、

 

『スラヴ叙事詩』

 

という、主に

8 m × 6 m 

という大画面の20枚連作、という、

気の遠くなるような

 

大作の制作に

 

打ち込んだのでした。

 

 

 『現故郷のスラヴ民族』1912年

 

 

 

 『スラヴ式典礼の導入』1912年

 

 

 

ですがその完成は残念ながら、

チェコ・スロヴァキア共和国の

独立後になってしまったこと、

 

画風や表現法などにも

時代の流れとの齟齬が生じたこと、

などもあり、

 

その苦労ののちの晩年は

すでに第一次大戦に突入、

彼はゲシュタポに逮捕され、

ひどい尋問を受けたことで

前年に患っていた肺炎を悪化させ、

 

79歳の誕生日を10日後に控えた日に、

 

溢れんばかりの

想いを大画面に思い切りぶつけ切り、

チェコ市に寄贈した

 

『スラヴ叙事詩』

 

が、正当な評価をされる前に、

 

この世を去ったのでした。

 

 

 

 

ここでたどった彼の人生は

駆け足、そのもので、

詳細には触れられませんでしたが、

 

 

たとえば

 

舞台装置の工房で働いたことや、

物語の挿絵を描くこと、で、

 

 

”1シーン”

 

において、

いくつもの情報を、

 

多くの人々の心に、

目に、

強く訴えかけ、

惹きつけてならぬ表現をする術を

身につけたことのように、

 

 

その人生のかなめ、かなめで、

 

得た経験や学んだこと、

を着実に生かし、

実績を積み、

 

そしてまた、

奇跡のように結ばれた、

人と人との巡り合わせ、

 

”縁”

 

が、

 

まるで大河の流れのように、

 

パリ時代の彼が描いた

女性のように流麗に美しく

繋がっていることがわかると、

 

 

 

大陸を駆け巡った

壮大な歴史にも、

 

ひとりの画家がたどった

人生にも、

 

 

何ら変わることのない、

 

普遍的で、

 

行き着くところに行き着く、

 

という

 

『流れ』

 

を感じてしまって、

 

 

 

やはり(またもやーっ笑い泣きビックリビックリビックリ

 

 

画家の人生を

たどりながら、

 

強く鮮やかで大胆で、

 

でも

儚く柔らかで細やかでもある

 

”絵画”

 

を見て、

感じることのこの上ない幸せ、を

 

多くの皆さんと共有できたことが

 

嬉しくて仕方なくなったのでした…ママヒヨ ポッキラキラキラキラ

 

 

 

来月は、

 

おひげくるりんっおやじっち

 

スペインが誇る、

 

 

奇天烈な…

 

いえいえ、

 

その実は

どこまでも繊細な

偉大なる画家、

 

 

サルヴァドール・ダリ、

 

 

の人生をたどりますですーっにこにこびっくり

 

 

 

本日もご訪問、

 

本当に、

 

ありがとうございました…猫村1キラキラキラキラ

 

 

 

(画像、すべてお借りしております)