⑥で引用した書簡の続きは以下のよう

 

 

になっている。

このつらい別れを耐えさせてくれようというのか、

聞いたことがないような偶然から、

18歳の娘が僕の腕の中に飛び込んできた。

可愛いくて興奮している人だ。

四日前にあるろくでなしのところからにげだしてきたんだ。

その男はまだ子供の頃に彼女を買って

奴隷としてこの四年間閉じ込めてきた。

またあの怪物の手に落ちることを死ぬほど恐れていて、

あの男のものになるくらいなら川に身を投げると言っている。

その話を聞いたのは一昨日のことだ。

彼女は絶対にフランスを離れたいと思っている。

彼女を連れて行こうという考えが浮かんだ。

僕のことを聞いて、彼女は会いたがった。

僕は彼女に会って、安心させ慰めた。

僕と一緒にベルリンへ行ってスポンティーニの紹介で

どこか合唱団に入ってはどうかと提案してみた。

彼女は美しく、この世でひとりぼっちであり、

悲嘆にくれながらも信じている。

僕が守り、全力で離れないようにするだろう。

もし僕を愛してくれるなら、

心を振り絞って愛の残りを示そう。

結局彼女を愛するようになると思う。

彼女に会ってきたところだ。

彼女はとても育ちが良く、ピアノも上手で、少し歌う、

よくしゃべり、自分の奇妙な境遇にも誇りを失わないでいることができている。

何と常軌を逸した話だろうか(Quel absurde roman)!  
 僕のパスポートは用意できている。

まだ残っている仕事を幾つか片付けて、

それから出発だ。

おしまいにしなければならない。

不幸なアンリエットを残して行く。

(中略)

友よ、君の神託が嘘にならないようにすると約束するよ*。

(Hector Berlioz, Correspondance génerale, Ⅱ, 1832-1842, Flammarion, 1975, pP.112-113)

*A.ボショ(ⅡP.106)はこのエピソード全体が

ベルリオーズの友人たち、特にジャナンが

仕組んだ冗談だと考えている。

おそらくハリエットが嫉妬から結婚に踏み切るように

仕向けるために。ありそうな仮説である。(書簡全集の注釈)

訳注 
A.ボショ(ⅡP.106)とは、アドルフ・ボショ

『ルイ・フィリップ時代の或るロマン派』をさす。
ガブリエル=ジュール・ジャナン(1804-1874)は有名なジャーナリスト。

何か小説めいたエピソードだなという印象だったが、

友人たちのいたずらという説があったとは。

ベルリオーズはけっこう本気になっているようだがどうなったんだろう。1837年4月11日の書簡493まで読んだところでは、逃げ去る娘について続報がない。

書簡全集Ⅱの年譜(P.56)から適宜拾うと、以下のようになっている。

1833年
8月初め      ベルリオーズはハリエットの目の前で

                          阿片による服毒自殺を試みる。
8月30日 若い娘との牧歌的な恋のスケッチ。

                          ベルリオーズは化彼女をドイツまで連れて行くことを

                           引き受けた。
10月3日 イギリス大使館礼拝堂での、

                            ベルリオーズとハリエット・スミスソンの結婚式。

                           立会人はリストその他2名。

                           新婚夫婦はグネが貸してくれた

                            300フランでヴァンセンヌへ出発。

無事結婚に至ったことが確認できる。

 

 

 

やっぱりロマン派は面白い!