『幻想交響曲』が描いたストーリーをもう一度振り返ると
病的な感受性と熱烈な情熱を持った一人の若い芸術家が、
恋に絶望したあまりに阿片で自殺を企てる。
しかしその麻酔量は死をもたらすには少なすぎ、
彼はとてつもない奇妙な幻覚に伴われた
重苦しい夢の中に引きずりこまれる。
これとよく似た事件が1833年8月30日、
アンベール・フェラン*宛て書簡の中に描かれている
(Hector Berlioz Correspondance génerale, Ⅱ, 1832-1842, Flammarion, 1975, pp.111-112)。
「僕はアンリエット(ハリエット・スミスソン)との
別れについて君へどう書き送ったか覚えていないが、
まだ別れてはいない。
彼女がそれを望まなかったんだ。
あれから、騒ぎはいっそう激しくなった。
結婚が始まるところで、アンリエットの最悪な姉さんが
戸籍謄本を破ってしまった。
彼女の側には絶望感があり、
自分を愛してくれていないという非難の声をあげた。
そこで僕は気力も失せて目の前で毒を飲んでみせた。
アンリエットは恐ろしい叫びをあげた!
…崇高な絶望!…僕の方はすさまじい笑い声!
…すばらしい愛の誓いを見てまた生きたいと思う
…吐剤…吐根!
阿片は二粒しか残っていなかった。
僕は3日間ぐあいが悪かったが、一命を取り留めた。
(中略)
アンリエットは何も持っていないが、
僕は彼女を愛している。
彼女は運命を僕に託す勇気がない…
何ヶ月か待ちたいという…何ヶ月も!
地獄の責め苦だ!
もう待ちたくない、苦しみすぎたんだ。
昨日アンリエットに書いてやった。
もし次の土曜、市役所へ行くために
迎えに来て欲しくないというなら、
僕は次の木曜にベルリンへ向けて出発すると。
アンリエットは僕の決心を信ぜず、
今日返事をすると伝えてきた。
また長口舌、会いに来て欲しいという懇願、
病気だという言い訳等ということになるだろう。
でも僕は頑張るつもりだ。
僕は弱くて彼女の足下で長い間瀕死の状態だったが、
まだ立ち上がり、彼女の元から逃げ去って、
僕を愛し、理解してくれる人たちのため生きることができるんだ。
アンリエットのためにすべてやり尽くした。
もう何もできない。
僕はすべてを犠牲にしたのに、
彼女は何一つ僕のためにやってみようとしない。
あまりの弱さであり分別くささだ。
だから僕は出発する。」
恋人の目の前で阿片を飲むなんて、
あまりにも芝居がかった場面なので本当なのか、と疑いたくなる。―
「すばらしい愛の誓いを見て」という表現からは
名女優ハリエット・スミスソンの舞台を
見ている感覚が生じたようにも読める―
一方で、ベルリオーズならそれくらいやりかねないとも思う。
ベルリオーズに比べるとリストはずっと常識人だなあ。
そしてこの後になぜかある美少女についての
エピソードが語られる。
小説めいたエピソードだ。
それはまた次回。



