風、薫る短歌34~去る者あり
第14週「ウソと誠」<第66話>植木職人の山本が入院し、土居が担当になります。清は直美が小さく切ったぼた餅を食べられるようになりました。ツヤがやめさせられてから、りんはいっそうがんばって働いています。土居から、看護婦は天職かと聞かれて、りんは好きな仕事で楽しいし、天職にしたいと思っていると答えました。シマケンに直美はりんが頑張りすぎている事情を話しました。二日連続で当直をしたりんに直美はシマケンから託された紙飛行機を渡します。そこへ土居が来て、やめると宣言します。一ノ瀬先生がいい看護婦なら、私はなれないからと。 りん天職とふ重き言葉は知らねども日々の看護に歓びを知る<天職>「天職」を辞書でひくと、「天から授かった職業、またはその人の天性に最も合った職業」(「デジタル大辞泉」)。和英辞典ではmission, vocation, callingなどが出てきます。「リーダーズ英和辞典」のcallingには「神のお召し、召命」に並んで「天職」という訳語が出てくるので「天職」のイメージに一番近いかもしれません。まあ「天」は必ずしもキリスト教の神様っていうわけじゃありませんが。第24話で出てきたナイチンゲールの名言にはcallingが使われていました。We know no one calling in the world,in which what we can dodepends so much upon what we are.捨松の訳は「世の中で看護という仕事ほど自分が何をなせるかが、自分がどのような人間であるかに左右される仕事はほかにない。」となっていました。(英文についてくわしくは「風、薫る短歌13」を見て下さい)https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12964780256「天職」という訳語は使われていませんが、さすがに看護という職業の難しさを根本から捉えた言葉になっています。 <第67話>土居から看護とは何かと問われて、りんは目の前にいる弱い人に手を差し伸べることだと答えました。土居はツヤを助けられなかったことを批判します。直美は、まだ日本では看護の形が決まっていないのだから、考えながら進んで行くという方向を提示します。しかし、土居は未来の見えないものに時間を使えないといって、看護婦への道を棄てました。その結果、りんは取り締まり役を降ろされ、直美が外科と内科の取り締まり役を兼任することとなりました。虎太郎が病院に来てりんと話します。土居の件については、虎太郎は会社を辞めるものもいるけれど、努力すれば報われると、本人の努力次第という考えでした。直美の作ったおにぎりは大きすぎます。入院患者の山本は下の者を育てる方がよっぽど難しいといいます。山本は徳川家の庭師をしていた家柄でした。直美は勤め帰りに病気のトヨを訪れます。 直美から土居へ不確かな道を行くほど暇じゃないそういう君はどの道行くの?<りん的なものへのアンチテーゼ>土居は女性であっても自立して生きることができる職業として看護婦を選んだはずでした。りんは奉仕か仕事かという看護問題において奉仕に傾きがちでした。土居はそういったりん的な働き方を認めようとしません。最初に直美についていればこれほどこじらせずにすんだかもしれません。このまま一人前の看護婦になれば、ほぼ希望はかなうはずです。土居は性急に答えをだそうとしすぎのように思います。看護とは何か、問われているのは私自身だ、とバーンズ先生だって書いていたではありませんか。土居はどんな道へ進もうとしているんでしょう。土居役は見たことのない女優さんですが、かなり気の入った、迫力のある演技です。https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=129704921940