風、薫る短歌54~子の誕生、夫の死
<第108話>吾郎の出征が気になる直美は、一人で産むことになったら、それも文さんといっしょだな、と考えます。平蔵は相変わらず酒を飲んでいます。直美はこどもができてしばらく来られなくなるので、と言いながら、「酒一杯、水一杯」と書いた紙をとっくりに貼り直しました。直美はなんとか出征する吾郎を引き止めようとしますが、できるわけがありません。吾郎は男女どちらでも使える名前として、明(あきら)を思いつきます。明るいがつくと何でも明るくなると、明るいボタン付け、明るい軍曹さん、明るい看護婦、明るい父、明るい母、明るい家、明るい未来と思いつく限りの明るいをあげたあとで、吾郎は明と3人でどんなときも明るく暮らしていきたい、と言いました。ついに出征することになり、ひとりで直美を残しておくのが不安な吾郎はりんの家に直美を預かってもらうように頼みました。そして、出発しました。 吾郎から明へ明らかはよきことなりと名を与ふとく生まれ来て父母を照らせよ*シマケンほどではないものの言葉に関心があるharicot rougeは三省堂の古語辞典で「明らか」を調べてみました。意味は、光が明るい、はっきりしている様子、晴れ晴れした様子、道理に明るい、賢明である、などでした。<第109話>吾郎が出征して一ヶ月、男の子明が生まれました。戦争は終わりましたが、台湾へ渡った吾郎は戻って来ません。広島の予備病院にある傷病兵が運び込まれてくると、多江は驚きます。りんは佳枝のリハビリに取り組んでいます。佳枝が外出したいというので、付き添って丸山の店まで来て、蒸し麺包を注文し、楽しそうです。或る朝、直美のもとを一人の兵士が訪問します。吾郎は台湾の戦闘中岩場から転落し、亡くなってしまっていました。届けられた遺品の制服を見ると、いつもよくとれる第2ボタンが消えていました。直美は仕事に復帰しました。広島から多江が訪ねて来ます。 直美主なき制服帰れば例のごと第二ボタンは位置にあらざり<終戦後もなぜ吾郎は台湾で闘ったのか?>終戦の知らせでほっとしたのもつかの間、吾郎の死が伝えられました。なぜ吾郎が台湾へ行かされたのか疑問を感じて、日清戦争について調べてみました。1894年、朝鮮で大規模な農民の反乱(東学党の乱)が起こります。朝鮮政府は宗主国である清に助けを求めます。清が出兵したのを見た日本も自国の利益を守るため軍を派遣し、武力衝突に発展しました。日本には朝鮮を清やロシアに対する盾にしようという安全保障上の理由と、経済的な目的とがありました。戦争には日本が勝ち、1895年4月17日清講和条約(下関条約)が結ばれ、清から日本への領土割譲(遼東半島、台湾、澎湖諸島)と賠償金の支払いなどが決まりました。ところが、4月23日、ロシア、フランス、ドイツは遼東半島還付を要求しました(三国干渉)。5月5日、日本は三国に遼東半島の放棄を伝えました。下関条約に三国干渉、試験によく出るタームです。しかし、日本は台湾に軍隊を派遣してもいないのに、要求して台湾を割譲してもらったんですね。さすがに厚かましいような気もしますが…近衛第一師団が台湾に上陸を始めたのは、日清講和条約発行後の、5月29日でした。ここで吾郎が近衛師団、という設定が効いてきます。りんの家には紺色の美しい紫陽花が咲いていました。6月ぐらいだとすると開戦早々に負傷したことになります。増援部隊が来たりして、11月18日、大本営に全島平定が報告されました。将校同等官1,519人、下士官兵卒48,316人の計49,835人が参加した戦いでした。台湾側が約14000人死亡したのに対し、日本側は戦死者164人、マラリア等による病死者4,642人でした。やはり戦病死が多かったんですね。吾郎は戦闘中の落下事故での死亡ということで、まれな死者のひとりということになりますが…https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12976806253雪下のマグマ 伯爵夫人の自叙伝 [ 近藤 朱蔵 ]楽天市場