今回は『幻想交響曲』とか『レリオ』とか

いわれても何のことか分からん、という人と

だいたい知ってるはずだけどなんだっけという人向けの復習回。

②の疑問の答えは次回。

高校生の頃はビートルズが好きで、

クラシック音楽のLPは3年間で10枚ほど買った程度だった。

大学生になってからは、プログレッシブ・ロックも好きだったが、

クラシック音楽を本格的に聞き始めた。

LPには解説が付いていて、

リヒャルト・シュトラウスの交響詩など

この旋律は何を表しているのか想像しながら聴いた。

 

LPの解説経由で『幻想交響曲』はあるストーリーに基づいていて、

その続編に『レリオ』という作品があるということも知っていた。

おもに配信で音楽を聴いている人は

知りたくなったら検索かな。

まあそれはさておいても、調べてみて、

またまた勘違いしていたことに気がついた。

初演の時から『幻想交響曲』のあとに

『レリオ』が演奏されたと何となく思いこんでいたが、

違った。

 

以下、村山則子『ベルリオーズ ドラマと音楽』(作品社 2024年)に

基づいてできるだけ簡略にまとめてみる。
 

 『幻想交響曲』の初演は1830年12月5日、

アブネックの指揮、パリ音楽院ホールでの演奏会で大成功だった。

ベルリオーズは演奏前に曲の内容を詳細に記したプログラムを配布した。

交響曲の伝えたいストーリーを観客に配布する、

というのも珍しいが、その文章が何通りもある。

この初演時のテクストを第一稿とすると、

第二稿は初版スコア(1845-1846年)に記載されたもの、

第3稿は1855年以降のスコアに記載されたものである。

各楽章の説明はかなり長文になるようなので割愛するとして、

第3稿に載っている全体の概観は以下の様になっている。
 

  病的な感受性と熱烈な情熱を持った一人の若い芸術家が、

恋に絶望したあまりに阿片で自殺を企てる。

しかしその麻酔量は死をもたらすには少なすぎ、

彼はとてつもない奇妙な幻覚に伴われた重苦しい夢の中に引きずりこまれる。

『幻想交響曲』の解説ではおなじみの文章なので、

読んだことあるよ、という人も多いだろう。

これに、このようなストーリーを生んだのは、

ベルリオーズのシェイクスピア女優、

ハリエット・スミスソンへの激しい情熱だった、という背景説明が付く。

それぞれの楽章を振り返っておくと
第1楽章 夢想ー情熱
第2楽章 舞踏会
第3楽章 田園の情景
第4楽章 断頭台への行進
第5楽章 サバトの夜の夢想

シューマンはプログラムで詳しく説明しなくても、

五つの主要題目だけで充分だったろう、

と書いている。それでも、フランス人は言葉がないと深く考えないから仕方ない、

と国民性の違いを持ちだして、批判を和らげている

(『音楽と音楽家』pp.73-74)。

haricot rougeはシューマンの説に賛成である。

『レリオ』が完成したのは1831年6月末頃、

ベルリオーズのイタリア留学中だった

(村山則子『ベルリオーズ ドラマと音楽』作品社2024年 168頁)。

 

初演は1832年⒓月9日パリ音楽院ホール、

アブネックの指揮で、『幻想』に続けて演奏された。
『幻想交響曲』の初演後約2年たって

『レリオ』は初演されたことになる。
 

『レリオあるいは生への回帰』は

若い芸術家レリオが目を覚まして、まだ自分が生きているということに

気づく場面から始まる。

幕の奥にオーケストラ、独唱者、合唱団が控えていて、

レリオだけが幕の手前にいるようにという指定がある。

 

ベルリオーズ自身はこの作品をメロローグと呼んでいる。

ベルリオーズが好きだった、アイルランドの詩人ムーアが

詩集の中で使った言葉で、

ムーアは「朗唱に音楽がしばしばまじったもの」だと説明している。

『レリオ』でも俳優が演じる作曲家レリオのモノローグと楽曲が交互に出てくる。

 

レリオには『漁夫の歌』、『亡霊たちの合唱』、『山賊の歌』、

『幸福の歌』、『エオリアン・ハープ』がつぎつぎに聞こえてくる。

やがて気力を取り戻したレリオは作曲しようと、

いったん退場する。

幕が上がりレリオが再登場すると、

オーケストラと合唱団は『テンペストによるファンタジー』のリハーサルを始める。

リハーサルを終えて皆が下がると、幕が下りレリオ一人が残る。

恋人を象徴するイデ・フィクスが聞こえてきて、

レリオは立ち尽くす。

「もう一度、もう一度、そして永遠に…」と呟いて退場。
 

『レリオ』はブーレーズ指揮のLPを買って何度か聞いた。

レリオ役は名優ジャン・ルイ・バローである。

最後のEncore!...... / Encore, et pour toujours!.....

というセリフがカッコよくて頭の中で何度もリピートしたものだ。

1971年9月27日、東京文化会館での

日本フィルハーモニー交響楽団等による演奏が

『レリオ』の日本初演だった。

まだこちらはビートルズファンの高校生で

『幻想交響曲』さえ知らなかった頃だ。

 

近くは2016年仙台フィルによる演奏がサントリーホールなどであった。

関西では『幻想交響曲』と『レリオ』の連続演奏

という公演はなかったと思う。

 

 

 

 

やっぱり東京に住まなきゃダメか。

 

もし今上演してもらえるなら、レリオ役は高橋一生が最高だと思う。

過剰な感受性と想像力にかられた芸術家にはぴったりだ。

 

若さの力と危うさを強調するなら、横浜流星あたりどうだろう。

妄想プロデューサーごっこは自由である。