Emmaを読んでいると、小説リテラシーとでも

いうものの必要性を痛感します。

どうすれば200年前に書かれた小説を理解し、

楽しむことができるのか。

結局本を読みながら頭をひねり、

翻訳という解答編を見るというエクササイズを

積み重ねるしかないのでしょう。

今回も、Emma  を読んでいて、

読み取れなかった、私にとっての難所を紹介します。

無敵のエマが唯一ライヴァル心を燃やすのは、

ジェイン・フェアファックスです。

美人で頭がよく才芸にひいでた21歳は、

しかし孤児なのでした。

ベイツ家の末娘ジェイン(お母さんも同じ名前です)は

フェアファックス中尉と結婚しますが、

中尉は戦死、母ジェインは

病気ですぐその後を追って亡くなりました。

しかしジェインが9歳の時、中尉の友人だった、

キャンベル大佐が引き取って

立派な教育を受けさせました。

大佐はジェインを住み込みの家庭教師として

自立させようと考えます

(中野康司訳『エマ 上』ちくま文庫, 249~251ページ)。
 

16年間エマの家庭教師を務めたアン・テイラーは

結婚して、ウェストン夫人となりました。

ウェストン氏は再婚で、息子がひとりいました。

息子フランクは伯父であるチャーチル氏の養子になったので、

今ではフランク・チャーチル23歳です。

エマはフランクなら自分の結婚相手として

ちょうどよいと考えています。

質問
次の英文でウェストン夫人が

その場を去って行くのはなぜでしょうか

(エマ、ウェストン夫人、フランクの

三人は散歩中です。

エマはウェイマスでフランクは

ジェイン・フェアファックスとよく会っていたのかと質問します。

引用箇所はフランクの返事からです。)

   '(…)I met her frequently at Weymouth.

 I had known the Campbells a little in town; 

and at Weymouth we were very much 

in the same set. 

Col. Campbell is a very agreeable man, 

and Mrs. Campbell a friendly, warm-heated woman. 

I like them all.'
 

   'You know Miss Fairfax's situation in life, 

I conclude; what she is destined to be.'
 

  'Yes ―(rather hesitantly)―I believe I do.'
 

  'You get upon delicate subjects, Emma,' 

said Mrs. Weston smiling,

 'remember that I am here.

―Mr. Frank Churchill hardly know what to say 

when you speak of Miss Fairfax's situation in life.

 I will move a little farther off.'
 

   'I certainly do forget to think of her,' said Emma, 

'as having ever been any thing but

 my friend and my dearest friend.' 

 (Jane Austen, Emma, Oxford, World Classics, 1971, p.180)  

「ジェインとはウェイマスでよく会いました。

ロンドンでキャンベル一家とおつきあいがあって、

ウェイマスでも、同じメンバーでよく会いました。

キャンベル大佐はすごくいい人で、

夫人もとても親切でやさしい人です。

ほくはキャンベル夫妻が大好きです」
 

「それじゃあなたは、ミス・フェアファクスの

境遇もご存じなのね。

いずれは家庭教師になるということも」
 

「ええ―(すこしためらいながら)―知っています」
 

「デリケートなお話ね、エマ」

ウェストン夫人がほほえみながら言った。

「私がここにいることを忘れないでね。

あなたがミス・フェアファクスの境遇の話など

始めたからフランク・チャーチルさんは

どう答えていいか困っているわ。

私は向こうへ行っています」
 

「ウェストン夫人は私の大切な友人よ」

夫人が向こうへ行くとエマは言った。

「それを忘れたことはないわ」

(中野康司訳『エマ 上』ちくま文庫, 310~311ページ)

 

 

 

 

 

答え

フェアファクス嬢が社会的地位の低い

家庭教師になる予定だという話題は、

かつて家庭教師をしていたウェストン夫人には

聞かせたくない話だった。

そのためフランクが答えにくそうにしていたので、

二人が気兼ねなく会話を続けられるように夫人はその場を離れた。

あらためて人物紹介の文章を打ち込んでいると、

どうして分からなかったのか不思議なくらいです。

アン・ブロンテの「アグネス・グレイ」という

小説を読んだことがあったので、

家庭教師がどんな苦労をしいられているかも

よく知っていたはずでした。

 

分かりやすさ最優先の中野康司訳では

「いずれは家庭教師になるということも」

となっていますが、原文は

I conclude; what she is destined to be

となっていてgoverness(家庭教師)という単語が

使われていないのもミソです。

堅苦しく訳せば

「結論を言うと、彼女が何に運命づけられているのかということ」

エマ自身は深い意味を

こめてはいなかったかもしれませんが、

ここはdestineという単語の重みを味わうべきところでしょう。
 

また、「ウェストン夫人は私の大切な友人よ。

それを忘れたことはないわ」というエマのセリフ(形を整えました)は

'I certainly do forget to think of her 

as having ever been any thing but 

my friend and my dearest friend.' です。

(直訳「たしかに私は彼女のことをこれまで

私の友人、一番大切な友人以外の何かだったと

考えたりなどしない」)

do forgetで動詞を強調するdoが使われていたり、

herがイタリックになっていたり、

my friend and my dearest friendでは

漸層法が使われていたりと、

様々な強調の手法が使われています。

タイパの悪い英文での読書ですが、

分かりやすい中野訳ではこれは伝わりません。

ここにこそ英文で英文学を読む意味があると言えるでしょう。
 

<おまけ>
このやりとりの後、フランク・チャーチルは
'Did you ever hear the young lady 

we were speaking of, play?'
とエマに尋ねます。さっきの 

governess同様はっきりと書かれていないのですが、

この女性(フェアファクス嬢)は何を

playするのかピンときたでしょうか。

 

少しあとでsit down to the instrument

(楽器に向かって腰を下ろす)という

表現が出てくるのがヒントです。
 

最高に分かりやすい中野康司訳は

「ミス・フェアファクスのピアノの

演奏を聴いたことがありますか?」となっています。

お嬢さん方が習う楽器といえば、

今の日本でもピアノがたぶん一番

ポピュラーなのでこれは見当がついた、

という人も多いかもしれません。

しかしharicot rougeは読んでいて

playで切れてしまっていることに

引っかかってしまいました。

当時の会話ではこれが自然だったんでしょうか。

でも、どうしてplay the pianoと言ってくれないのかなあ。

調子が狂うよ。

 

 

このあたりの感覚はピンときません。