「瞳はダイヤモンド」なんて歌がありましたが、
瞳はナポレオンというお話です。
1828年か、もしかすると1827年のこと
、
誰かが2歳の女の子を連れて来ました。
紺碧のキラキラした眼をしていましたが、
最初ひと目見たときには
別段変わったところはありませんでした。
しかし、もっと注意してよく見ると
瞳は小さな筋でできていて、
青地に白い文字が浮かんでいました。
瞳孔の周りに、硬貨なら鋳造年を入れる場所に、
Napoléon Empereur(皇帝ナポレオン)
という文字が読み取れました。
Napoléonという語は両眼とも
同じ程度にはっきりしていました。
Empereurという語の最初の方は
片方の眼ではにじんでいて、
最後の方はもう一方の眼でにじんでいました。
女の子はとても可愛く、視力はよさそうでした。
母親はロレーヌ地方の農婦ですが、
自然がこのように奇妙な戯れかたをした
理由をごく素朴に語ってくれました。
彼女には大好きな兄(または弟)がいたのですが、
徴兵クジに当たってしまいました。
兄は出発するときに真新しい20スー硬貨を妹に与えて、
自分のことを思って大事にしてくれ、と言いました。
その後しばらくして、
兄の連隊が村から3里のところを
通るはずだと聞きつけて、
妹はわずかなりと兄の姿を見ようと駆けつけました。
帰り道、疲れ果て喉が渇いて、
一杯ビールでを飲もうと
途中の居酒屋で一休みしました。
いざ勘定となると、持ってきたお金を、
兄に全部やってしまって、
残っているのは、いつも肌身離さず身につけている
大事な20スーだけでした。
つけにしてもらおうとしましたが、
居酒屋の主人は容赦のない男でした。
あわれ妹は呻きながらお宝を手放して、
悲嘆にくれて家に帰りました。
涙が涸れることはありませんでした。
女の夫が次の日曜、硬貨を返してもらおうと出かけたところ、
首尾よく返してもらいました。
夫から硬貨を渡されたときの喜びはあまりに激しく、
そのとき胸に抱いていた女の子は身震いし、
彼女は自分が気絶するのを感じました。
私はこの人の言った言葉をそのまま使っています。
女の子の眼には20スー硬貨の刻印が
そのまま浮かんでいます。
私はこんなことがどうして起きたのか、
生理学の論文を書こうというわけではありません。
ただ、私はこの眼で見たのだし、
どんなインチキもできはしないと、
言いたいだけです。
隣町の医者が金儲けのため子どもを
見世物にしようと考えて、母親もついて行きました。
政府はどんな形の公開にも反対しました。
一切の公表が禁じられて、パリ滞在を切り上げました。
もう噂を聞かなくなりました。
このような出来事も帝政時代に起きていたなら、
名高い語り手が百人いても足らない
くらいの語り草になったでしょうに。
haricot rouge:実に不思議な話です。
写真がないのが残念。
似たような話がどこかにあるでしょうか。