ケーラ夫人はルイ18世のお気に入りでした。

王が亡くなる前日、

ケーラ夫人は宮廷司祭をうまく丸め込んで、

王と対面することができました。

その日の朝、あるビジネスマンが

モルチエ元帥のもとを訪れました。

モルチエ元帥が売りに出していた、

ブルボン街の豪壮な邸宅を購入したいというのです。

提示した金額は80万フラン。

 

モルチエ元帥は誰が購入しようとしているのか尋ねました。
「それが大事なことですか?」
「とても大事ですよ。

支払うことができるかどうか知っておかないと」
「支払い能力は充分あります。

その日のうちに支払いますから。

でもその名前は秘密です」
 

元帥はすぐに同意しました。

ケーラ夫人が王のもとを訪れた直後、

80万フランは現金で支払われました。

命令書の署名にあった「ルイ」という文字は

ほとんど読めませんでした。

が、善意の人ドゥードヴィル公爵は、

巨額の支払いをためらうことはありませんでした。

王はまだ息をしていて、

厳密に言って、

80万ドルを使う権利があったのです。
 

しかしながら、

ケーラ夫人はこうして手に入れたことを、

特にその日付を、

ずっと少し恥ずかしいと思っていました。

一度もその豪邸に住むことなく、

数年後、モルトマール公爵に売却しました。

1824年9月16日、

フランス王ルイ18世は亡くなり、

弟のアルトワ伯が

シャルル10世として即位します。

王様になると名前が変わる、

この辺が歴史のややこしいところですね。
 

200年ほど前のやんごとなきあたりにも

後妻業まがいの所業におよんだ女がいたんですね。


なお、マルモン元帥の証言によると

ケーラ夫人が王と会ったのは13日、

金額は70万フラン、

と異なった点もありますが、

大筋は同じなので

、ボワーニュ伯爵夫人が伝える話は

およそ事実だと考えられるようです。

<おまけ>
ルイ18世の葬儀が終わり、

シャルル10世は

 

 

 

葬儀を采配したブレゼ氏に、

感謝の言葉を述べました。


「ああ、お上」とブレゼ氏は慎み深く答えました。
「お上は寛大であらせられます。

うまくいかなかったことが多々ありました。

この次はもっと上手にやります」
「ごくろうだな、ブレゼ」

と王は微笑みながら答えました。
「でも私は急いじゃおらんよ」

(Mémoires de la comtesse de Boigne Ⅱ
Mercure de France, 2008, pp.128-129, p.133)