シテ島界隈。12世紀パリの舞台へ | PARISから遠く離れていても…

PARISから遠く離れていても…

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術や、最近では哲学についてのエッセイなども。
時々はタイル絵付けの仕事の様子についても記していきます。

ーは じ め にー

 

東京では待ち遠しかった🌸の開花を迎え

周辺で満開の便りも聞かれるようになった現在。

わが心の故郷パリでは夏のオリンピックを控え

街の中心付近は軒並み工事中だったり

どうやら観光には向かない時期のようだ。

聞いた話だがパリジャンたちはオリンピックの時期

パリから逃避する人達も多いとか。

人が溢れかえり日常生活に支障が出るからという理由で。

 

私のような旅行者でもそれは同じである。

できれば普段着のパリを眺めたいー。

コロナ禍も少し落ち着いたこともあり

「行くなら今しかない!」という個人的な理由も

その背景にあったのは確かだとしても。

 

この日はシテ島を訪れることにした。

まずはノートルダムの再建具合を確かめに。

 

 

パリで泊ったのはモンマルトルの麓と言われる地区

 

 

今回の旅のポリシーとして決めていたこと

それはメトロでなく積極的にバスを利用すること。

(そのための下調べは大変だったが💦)

利用したのは85番のバスでホテルから徒歩数分の停留所

Rochechouart-Clignancourt(路線図の黄色)から

乗車し終点Chateletで下車した。

停留所の数こそ多いが車窓の景色も眺められおススメだ。

(乗車時間は約30分弱ぐらい)

何よりスリなどの心配がない。

 

 

Chatelet(シャトレ)からセーヌの河岸迄は目と鼻の先。

突き当ったら河岸を左方向へと歩き

アルコル橋を対岸へ渡るとシテ島に到着。

そのまま真っ直ぐに数百メートル歩いていけば

横断歩道の向こうにノートルダムが見えてきた。

 

 

雲行きは御覧の通りの怪しさだった。

 

 

 

背後に工事中のクレーンと焼け落ちた部分が少し見え

 

 

 

「Bonjour」

心の中で小さく呟き挨拶もそこそこに立ち去った。

後ろに回って眺める勇気がなかった。

 

下矢印

 

私が知っている在りし日のノートルダム(2018.6/20)

 

あれから10ヶ月後、まさかあのような姿になるとは。

 

 

未来は誰にもわからない

たとえどう形が変化しようとも

人々がそれを忘れない限り

そこに宿った魂は永遠に生き続ける

 

 

 

サンルイ島とを繋ぐサンルイ橋にて

 

いつ来てもストリートミュージシャンたちの姿が絶えない。

 

 

赤薔薇

 

 

シテ島を訪ねた理由は

ノートルダムとの対面だけではなかった。

この地図に示した場所に訪れるためだ。

 

 

黄色で記した通りに赤い丸印を付けた場所

下矢印

 

 

QUEL AUX FLEURS(花の河岸通り)

 

 

 

 

 

目指す建物の番地の前に立つ。

 

 

プレートを確かめる。

 

 

Maison d’ Abélard et Héloïse

―アベラールとエロイーズの家―

(1118年に2人が過ごし1849年に改築された)

 

 

もう改めて説明する必要はないかもしれないが

アベラールとエロイーズと言えば

12世紀の中世フランスにおいて

悲劇的な愛の運命に導かれた

師弟の間に交わされた恋愛書簡が有名だ。

 

私のブログでも過去にシリーズで取り上げ

未だに密かに訪れてくれる人も多い。

 

 

 

 

 

 

本を読んで記事を書きしばらくして

ある日偶然の出会いでこの場所を知ってから

ぜひ訪ねてみたいと思うようになった。
今回の旅の大きな目的の一つでもある。

 

 

                                                                                     下矢印

                                                                        右側の鋳物を拡大(見つめ合う二人)                                                                  

 

2人の結婚は秘密にされるべきものであり

「2人はほんの時折人目を避けて会うだけであった」

と、アベラールにより書かれている。

叔父の留守の間に忍んで会うしかなかったので

1年間で数えるほどだったかもしれない。

 

 

 

<2人の家>を背にしてセーヌ対岸の景色を眺める。

奥に見えるのはルイ・フィリップ橋

手前はサン・ルイ島の北西端 (下流) 部分で

Place Louis Aragon(ルイ・アラゴン広場)

 

2人の部屋から見えた景色はどんなだったろう。

きっと全く違うものだったに違いない。

あの時代のパリはルイ・フィリップ橋そのものが

影も形も存在はしなかったのだから。

 

 

1人物思いに耽っていると

ちょうど2人連れの女性が通りかかったので

これ幸いなりと写真を撮ってもらった。

おそらく私の人生で思い出の1枚になると思う。

 

 

河岸を歩き続けて気になる塔のようなものが目に入った。

まるでロケットの発射台みたいな形をしている。

実は以前から気になっていたのだけど

写真をアップにして驚いた。

 

 

まさか上のほうがこんな彫像になっているなんて!!

何?これ!!

グーグルレンズで調べてあっという間に判明。

トゥールネル橋の袂に建てられた

パリの守護聖人サント・ジュヌヴィエーヴの像だった。

(ついでにセーヌの増水時にはこの橋で水位を測る)

 

 

 

その後はサン・ルイ島へは渡らずに

シテ島のもと来た道を河岸沿いに引き返すと

ポン・ヌフ橋が見えてきた。

ちょうど船が橋桁を潜り抜ける

一瞬のシャッターチャンス到来。

 

 

上差しさて、この後はポン・ヌフを渡って向かう場所は?

 

(続 く)

 

赤薔薇

 

読書会も一段落したので

今後はパリオリンピックが始まる前迄に

私の普段着パリ滞在編だけは記しておきたい。

もちろん出来る限りということだが……。

「未来は誰にもわからないから」

 

 

ではよろしくお願い申し上げます。

お願い

下矢印

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