気ままな読書日記/ゴッホの手紙(10/6) | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

これから読書日記をつけていくことにする。

あくまでも自分のための覚え書きとして

また日記とはいうものの“気ままな”と断っているように

思いついたときに書き留めるという形にしたい。

 

★現在読んでいる本

 ゴッホの手紙/小林秀雄著(新潮文庫)

  特にゴッホが大好きだというわけではないが、以前からその<死>についてはいろいろ取り沙汰され気になっていた。海外のテレビ映画で他殺説を取り扱ったものを前に観たこともあるが、やはり自ら命を絶ったというのが真相だろう。それはよいとしてやはり気になるのはそこへ行きつくまでの過程である。それにはゴッホが四歳違いの弟テオとの間に交わした膨大な書簡集(900通)があるようなのでそれを読めばよいのだろうが、この本は小林がそれらを紹介しながらゴッホの心の襞の奥まで分け入っていくので、それを手掛かりに考えてみたいと思っている。

 目次に眼を通す。

 まずタイトルの<ゴッホの手紙>以下、後は小林がゴッホについて触れた文章の<ゴッホの墓><ゴッホの病気><私の空想美術館><ゴッホの絵><ゴッホ書簡全集><近代芸術の先駆者・序>となっている。このうち<ゴッホの手紙>にあたる部分が約200頁で全体の約80%以上を占めている。

 さて、ページ数にして200数十頁、すぐに読了できると思ったのが甘い考えであった。現在読み始めて三、四日でやっと140頁程度で思うようにはかどらない原因は、やはり日記という名の告白文学(小林によれば)だからなのだろう。

 ゴッホの語る一言一言が始終胃に何かがつかえているように重苦しく、どんより曇った冬空しか見えない独房の一室に自分が閉じ込められてしまっているように思えるのだ。これではとてもみすず書房の『ファン・ゴッホ書簡全集全6巻』など読めるものではない。途中でぱらぱらと他のページを捲ってみたら、<ゴッホの病気>の文の中に小林の次の一文を見つけた。

 パリから南仏のアルルに定住した一八八八年の二月から、一八九〇年七月、オーヴェル・シュル・オワーズで自殺するまで、三年に満たぬ期間であるが、この間に、彼が精神病院から自由だったのは合計して一年ほどしかない。(小林)

 これはゴッホファンの方なら周知の事実だろうし、また<ゴッホの絵>の文より見つけた次の一文も同様に知られていることだろう。

今日、普通、私達がゴッホの絵として賞賛している多数の作品は、最後の二年半ほどの間に、異常な速度で描かれたものである。(小林)

 だが今回それ以上に驚いたのは、彼が精神病院から自由であったわずかのその期間に、40点余りの自画像を描いているということ。例の<耳切事件>の直後に書いたと言われる有名な自画像は、自ら死を選ぶ前年に描かれたものであり、いったいどんな思いで彼がそれを描いたのかもちろん私達には推測するしかできない。いや、きっと当のゴッホ自身さえ、かくかくしかじかと説明できるようなものでなかったに違いない。

 

 

 

 

※他にも同時に読み進めている本もあるのだが、今回はこのゴッホの本だけにしておく。

 また余談になるが、前出のゴッホ最終の地であるオーヴェル・シュル・オワーズには、このブログを書く以前の昔に訪れている。そのうち昔の写真を引っ張り出して改めて記事として掲載するつもりでいる。 

 

 

 

赤薔薇

 

 

 

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by vingt-sann

 

 

 

 

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