(最終回)マレに残る中世の面影を訪ねて。Au revoir! | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

☆お願い☆

これから記事を御覧いただける方へ

パソコン環境が可能な方は、どうかこの記事はぜひそちらで御覧になって下さいよろしく!

私の意図するクライマックスとなる箇所がスマホだと正しく作動しない場合が予想されますので。

( アメーバ様の技術と私の知識では今のところこれが限界かと思われますゆえ… )

 

 

 

クローバー

 

リセ・シャルルマーニュ校のフィリップ・オーギュストの城壁を後にしてー。

ここで次の行き先へ向かう前に少し考えてみたい。

城壁とは何なのか

前回の記事でも少し触れたが

 

<城壁について>

城壁とは何か、それは最後の砦

中世のパリの街にとっては他民族の侵入を防ぎ守るための要塞

現在のパリは昔の名残りがわずかに残るのみで

城壁というものは存在しない

その代わりに人々が手にしたのは自由…

 

この城壁は今の時代なら<壁>と置き換えられるだろう。

そこで現在話題になっているのが、アメリカ大統領トランプ氏の<壁問題>である。

大統領候補の時期に、メキシコとの国境に壁を建設することを公約に挙げていたのを聞き

まさか?もしそれを本当に実行するなら正気の沙汰ではないと思っていたけれど、

なんと今国民に対して壁の必要性をテレビ演説で訴えているのだ!!

「移民問題は心の危機、魂の危機」だとほざいている。

連邦政府機関の一部は建設予算をめぐる与野党の対立で閉鎖状態が続いているという始末。

ああ、なんと嘆かわしきこと!!

 

アメリカという国は自由の国ではなかったのか?

 

たとえ壁で国境を覆ったとしてそれで真の解決策になるとでもいうのだろうか。

本当の壁は人間が心の奥に自らを防御する最後の砦として築くものに他ならない。

それなのに本物の壁で対抗しようとするならかえって相手を刺激し

状況はますます悪化するのは目に見えているというのに…。

 

 

クローバー

 

 にわかガイドのアラン氏に導かれ路地から路地をスイスイと泳ぐように抜けて行くと、小さく質素な感じの扉の前に出た。

 「ここを潜っていくと近道なんだ」

 「どこへ行くの?」

 「すぐにわかるよ」

 門を潜り抜けると細い通路が小径が続いていた。天井の覆いはなかったがまるでパサージュの中を歩いているような感じに思えた。

 今、調べてみるとやはりそこは<パサージュ サン・ポール>という名前で、通称<サン・ポールの抜け道>といわれるものだとわかった。

 通路の行き先はこじんまりとした教会の建物の裏側ドアへと通じていた。

 「よく知ってるのね、こんな抜け道」

 「パリジャンだもの」

 その教会の名前は<サン・ポール サン・ルイ教会>という名前だった。

 名の知れたガイドブックでもその名前は載っていないし、自分一人だったらきっとわざわざ尋ねる機会もなかったろう。

 

 

   サン・ポール サン・ルイ教会 (99rue Saint Antoine 75004)

メトロのサン・ポール駅のすぐそばにある。

 

1641年、ルイ13世の財政支援を受け建てられたパリ唯一のバロック式教会

また最初のイエズス教会とも言われる。

フランス革命後の1796年に聖ポールと聖ルイという2人の聖人に捧げられ

サン・ポール サン・ルイ教会となった。

 

 

 

中の通路の脇にはジャンヌ・ダルクの彫像があった。

(ジャンヌ・の彫像についてはいずれ機会を改めて触れようと思う)

 

 

 

 とりあえず近くの椅子に腰掛け内部を鑑賞する。

小さいながらも厳かな雰囲気に溢れ親しみを感じさせる教会だった。

 

 

ー天井を見上げるー

 

その時聴こえてきたのはパイプオルガンの響きだったー。

不意を突かれたせいだろうか。

空間全体の沈黙に染み渡るような力強くも繊細な旋律に圧倒された。

目を閉じてしばしその世界に浸る。

 

ジーンと胸が熱くなった涙

 

この瞬間に立ち会えたことに心から感謝しますと天に向かって呟いたお願い

 

その時に流れてきた曲が→コチラ

 

 

そんな私にアラン氏がそっと差し出したのはハガキ大の紙片だった。

 

これがちょうど実物大くらいの大きさ

 

 それは今夜この教会で開催予定のコンサート案内チラシだった。

 クラッシックファンの方でなくとも御存知であろうヴィバルディの四季を始めとする楽曲に、モーツアルト、バッハ、シューベルト…などの音楽家の名前が連ねられていた。

 先程から時折繰り返される音色はおそらくコンサートのためのリハーサルをしているものと思われる。

 パリでは日曜の朝のミサにパイプオルガンの演奏を聴くことの出来る教会が多数あり、それ以外にもこうしたコンサートが定期的に教会で行われることは知っていたが…。

 「さっき入口の所に置いてあったのをもらってきた。今夜8時半からココでやるんだね!」

 アラン氏の声は高揚気味だった。

 「××子、君がもし興味あれば、今夜ココに聴きにくれば、また会えるかもしれないね」

 私はウィもノンも言わずにおいた。

 

 

 

素晴らしい音色を聴かせてくれたパイプオルガンびっくりマーク

 

                     ※Photo:Yves Massonより画像拝借

※この教会では日曜の午前11時のミサでこのオルガン演奏を聴くことができる

 

 

 その後に私たちが向かったのはヴォージュ広場であった。

 一番最後になってしまったが、アラン氏が最初に私を案内したがった場所である。

 

                  ヴォージュ広場        ※画像は拝借

 

17世紀の王侯貴族たちの華やかなりし歴史がこの建物や広場に今も息づいている。

現在は1階のアーケードには多数のギャラリーやレストランなどが入っているが、

広々とした庭園は人々の憩いの場所となっているようだ。

 

 アラン氏お勧めのススメの「ヴィクトル・ユゴーの家」は、

現在ユゴー記念館(maison de victor hugo)としてこの広場の一角にある(ようだ)。

 

ユゴー記念館 (6 place des Vosges 75004)

                                       ※ 画像はPARIS-IS|-beautiful  CITY GUIDEのサイトより拝借

2013年1/1日よりParisMuséeに属する14の美術館のうちの1つとなる。

(※企画展以外は入場料は無料というのが嬉しい)

 

ヴィクトル・ユゴーは1832~1848までの16年間

この2階に住み、主要な作品を幾つか書いた。

 

 

ところで残念ながら私は中へは入らなかったのである。

だから写真画像もないというわけで。

 

実をいえばユゴーという小説家にはそれほど興味がなかったし、

ヴォージュ広場に来るのも初めてではなかった。

それにずっと歩き回って疲れてもいた。

 

seiこのマレに残る中世の面影を訪ねる旅のシリーズ①~⑥と

そして最終回を迎える今回も合わせて、すべて半日余りの出来事にすぎないことに

気付いておられる読者はどれぐらいいるのだろうか。

 

 

 

 私たちはヴォージュ広場の裏側の小さな庭園から入り、赤レンガの美しい建物(ユゴー記念館のある)のアーケードの入口を抜け、昔は王の広場と呼ばれた大きな広場へと向かう。

 この日は土曜日の昼間ということもあり、広場は団体客も多く賑わいをみせていた。

 中程まで歩いて行くととても目立つ像の後ろ姿が見えた。

 回り込んで確かめるとルイ13世の騎馬像であることがわかった。

 アラン氏に頼んで記念の写真を撮ってもらうことにした。

 

それがこの1枚である

下差し

ルイ13世騎馬像の前で

 

1639年に宰相リシュリューにより建造されたが、

フランス革命により破壊され1825年に再建されたもの

 

 

 

そして

↓

アラン氏(仮名)の写真も記念に撮らせてもらった

 

 

 その後はお茶でもどうかと言われたけど、アラン氏が夕方から絵の授業があるからと言っていたことを良い口実に断った。

 最初のうちは気になっていた、彼がどこから現れたのかということ(仮に安いホテルに滞在している旅行者であったとしても)や、本当のパリジャンであるかどうかなんていうことも、もうその時にはどうでもよいと思うようになっていた。→(その辺の話は前記事⑥のほうに書いてあるので、読まれていない方はぜひ!

 でも基本的に旅での出会いは一期一会のものと決めているし、情に引きずられれば結果として良い方向に道が開ける可能性は低いということを私は知っている…。それよりも良き思い出として真空パックのように自分の中に保存しておくほうがいい。

 アラン氏は私の返事を聞くと、さすがフランス人?はともかくもパリジャンを自称するに相応しい態度で応じてくれた。

 「オーケー。じゃあ僕は君の(またパリに来た時に)パリのボーイフレンドということにしておこう!」

 流石~。スマートじゃないの!

 

 クローバー

 

 

 ホテルへ戻ってからその夜に私は思い返していた。

 サン・ポール サン・ルイ教会でのことをー。

 「今夜ココに聴きにくれば、また会えるかもしれないね!」と言っていたアラン氏。

 やはり、コンサートに出掛け、今頃1人でパイプオルガンの音色に

耳を傾けているだろうかと想像してみる。

 

 

  Au revoir!さようなら。(またね)

なんと素晴らしきフランス語の挨拶の言葉。そして別れの言葉……………

 

 

 

 

 

 

 

ペコリ中世の面影を訪ねる私の旅に今まで長々とお付き合い下さりありがとうございました。

全篇を通じてまたこの記事へ対する感想でも構いませんので、お聞かせ頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

よろしくお願いします

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