パサージュ巡り⑥パサージュ・ヴェルドー<その存在意義とミステリー> | PARISから遠く離れていても…

PARISから遠く離れていても…

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術や、最近では哲学についてのエッセイなども。
時々はタイル絵付けの仕事の様子についても記していきます。

のっけから恐縮だが実はこのパサージュについて、残念ながら私は語るべきものをあまり持っていない。

ただ一つ言えること、ジュフロワを通り抜けた(鑑賞、あるいは味わってきた)後で更なる期待感を持って訪れるもの、あるいは単なる冷やかし半分で訪れた散策者を軽く鼻であしらい拒絶するような雰囲気をこのパサージュは持っているという。それは確かだ。

かくいう私もその一人だったと今になって思い返している。

まずはちょっと中へ入った雰囲気を見てみよう。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

いかがだろうか?

ジュフロワはもちろん、今まで御紹介してきたパノラマやヴィヴィエンヌなどと比べてあなたはどう感じるだろう。

ちなみに2008年私のパリ覚書ノートのページを開いてみると、ヴェルドーに関して記した文字は、「寂れている」「ギャラリーが多い」たったこれだけだ。

これでは語るべきものがないのも当たり前というのも納得して頂けると思うがそれでは話にならないし、言い訳になるが、この当時はやっと自分の足でパサージュを歩いたということの達成感に酔いしれていた部分が何よりも強かった。

その辺の事情や心情に興味を持たれてまだ記事を読まれていない方はコチラをぜひ!!

 

   パサージュという名の屋外でも室内でもない空間①

 

右 パサージュという名の屋外でも室内でもない空間②

 

まずはヴェルドーについての概略から。        

ヴェルドーはジュフロワと兄弟パサージュとされている。同じ開発母体で造られ構造的にも似ている点が多い。

たとえばジュフロワが兄でヴェルドーが弟といえば聞こえはいいが、つまり弟は<続き>であり、失礼な言い方をすれば付けたし、おまけ的な要素が強かったように私には感じられもした。

開設時期は1846年。ジュフロワとほぼ同時期とされているが、実際には兄のジュフロワよりも少し前で、それはジュフロワが例のクランク曲がりの複雑な地形の問題でてこずっていたために単純な造りの弟のほうが先に開通したということのようだ。

      


ヴェルドー、フォーブルモンマルトル側出入り口
  グランジュ=バトゥリエール6番地の出入り口

 

上の写真を御覧いただきたい。

 

この出入り口は当時最大の繁華街であったジュフロワの出入り口のあるグラン・ブールヴァール、つまりモンマルトル大通りから、一つ奥に入ったグランジュ=パトゥリエール通りに面している。ジュフロワとはこの通りを挟んで向かい合う形になっているわけだ。

店舗というものに立地の大事さは不可欠なものだと誰でも知ってはいる。

ましてその道のプロならば当然アレコレ考えた筈だと思われるのだが…。それとも柳の下にドジョウがいるとでも思ったのだろうか?

結局、この一つ奥という立地の差が、2つのパサージュの明暗を分けることとなった。

客の流れは、通りを隔てた向こう側の続き、弟のヴェルドーまでは届かなかった。一歩出遅れた兄は兄としての体面を保ったというわけだ。兄のジュフロワの盛況振りを横目に見ながら(羨みつつ)、弟は拗ねたように自らの殻に閉じこもってしまった。日の当たらない身体は衰えて月日の経つごとにますます衰弱を極めて…。さしずめもし人間だったらこう例えられるのかもしれない。

しかし物事はそう単純だろうか。

この写真をじっと眺めているうちに、私はなんとなくあることが気にかかり始めた。

それはFAUBOURG MONTMARTREと書かれた上に横文字で小さく記された文字の部分だ。

CONDUISANT

全体写真では小さくてわかりにくいのでその部分を拡大してみる。





 

フランス語を勉強されている方には説明するまでもないと思うが、そうでない一般の方にもわかるように久々にフランス語の辞書を調べてみる。

するとCONDUIPEという動詞の現在分詞形であることがわかる。意味としては自動詞だと「クルマを運転する」であるから、この場合は他動詞のほうの「~へ導く。(道などが)通ずる、達する」のほうだろう。

つまり全体の意味としては「(ここは)パサージュ・ヴェルドーフォーブル=モンマルトル通りへと通ずる」となる。

意味が解ってさらにあれ?という疑問が湧き、まだ紹介していない分も含めて他のパサージュの入り口写真を新たな視点でもって眺めてみた結果、一つの紛れもない事実を発見したのだった。(いつまでも回りくどいことばかり言ってないで先に進めろ!というお叱りの声が聞こえてきそうだが、この記事タイトルをぜひ思い出して頂きたい。→パサージュ・ヴェルドー<その存在意義とミステリー>)

CONDUISANT。~へ通ずるという表記をした入り口は、このヴェルドーだけという事実。これはいったいどういうことなのか?

同時にパサージュの定義を今一度思い出して頂ければと願う。

その基本は<歩行者専用の通り抜けの道>であるということ。

敢えて断る必要もないほどあまりにもわかりきったことなのに何故、ヴェルドーだけが<フォーブル=モンマルトル通りへと通ずる>とこのようにことさら大きく目立つように掲げたのか?

 

反対側の出入り口も見てみよう。

 

 

こちらも同じようにCONDUISANTという文字を使用しているではないか。

加えて反対側はグランジュ=バトゥリエール6番地の出口であり、本来ならGRANGE BATERIERE(グランジュ バトゥリエール)となるはずのところをAUX GRANDOS BOULEVARDS(グラン ブールヴァール)となっているのはどうしてなのか?
 

それは目的は一歩奥へ引っ込んだこのヴェルドーの出口ではなく、続く兄弟パサージュ・ジュフロワを通り抜けた場所であるところの大通り、グラン=ブールヴァールだからだ。

一言付け加えておこう。

AUX GRANDOS BOULEVARDS(グラン ブールヴァールとは、右岸の大通りの通称であり、この場合は当時いちばんの繁華街のことを指しているといってもよいと思う。


 

さあ、段々と確信に近づいて来たようだ。

(ここから先は私の勝手な想像によるものであり、そのつもりで聞いて頂ければと思う。)
 ――ヴェルドーだけがCONDUISANT(通ずる)という文字を掲げた理由、
それはもちろんそのことを強調したかったからなのだ。

先に、店舗というものに立地の大事さは不可欠なものだと誰でも知ってはいる。ましてその道のプロならば当然アレコレ考えたと思われるのだが…。と私は言葉を濁したが、開発者たちは当然ヴェルドーが商業的にジュフロワと太刀打ちできないことはわかっていたはずで、ヴェルドーには最初から別の役割を考えていた。パサージュ本来の目的である<通り抜け>という役割を。(他の多くのパサージュは通り抜けよりもお客が立ち止まる商業目的を優先したから、あのCONDUISANTの文字を入れなかったということになる。)


 

――だから堂々とヴェルドーにあの文字を掲げさしたのだ。

これは当然同じ開発母体だから出来ることで、哀しいかなヴェルドーはジュフロワとの抱き合わせの存在であったことがこれで明確なものとなってしまった。「兄弟パサージュ」という触れ込みで宣伝に一役買わされて、華々しいスポットライトを浴びるのはいつも兄ばかり。これではまるで芸能界の裏話みたいではないか。

ヴェルドーにひとたび足を踏み入れると感じる、どこか諦観したような雰囲気はここからきているのかもしれないと思わずにはいられない。


 

しかし最初から期待されずに自分の役割に淡々と甘んじてきたおかげで、長い間にはその道の専門家らしい様相を帯びてきた。寂れ方のプロである。

今の時代ではかえってそれが魅力的に映るパサージュらしい寂れ感。

いつの時代も世の中にはマニアというのがいるもので、単なる冷やかし半分で訪れた散策者を軽く鼻であしらい拒絶するような雰囲気と最初に述べた通り、<素人はお断り>の貼り紙こそないものの、ここに入るテナントも専門的で骨董的なにおいのする業種が集まっている。別名、ここは近くにある競売場ドゥルオーの別館とも呼ばれていて、古書店、古カメラ、古絵葉書やポスターの店。フランス漫画専門店、刺繍専門店、額縁専門店などが店舗を連ねている。

しかし全体として眺めた場合、開いているのか閉まっているのか定休日なのか一瞥しただけでは判然とせず、間の伸びきったような空間に寂れた雰囲気はもうこのパサージュの体臭そのもののように深く染み込んでしまっている。

 だが、そういうヴェルドーこそが今の時代、あえて19世紀のノスタルジーを求める私達の最もパサージュらしいパサージュと呼べるかもしれないのだ。


寂れた姿を晒し通り抜け専門として存在する意義

 

 

最後に内部の店の様子などについては語るべきものをあまり持たない私ではあるが、せっかくの機会なので気になった店を少しだけ挙げておこう。

 


 
 アンティックドールの店なのかギャラリーなのか覚えていないが、ここの前を通りかかった時、心が一瞬スポットライトを浴びた気がした。

 

 乙女チックなタイプからマリア様のような感じ、そればかりか少しエロティックなタイプまで何でもござれの天使のオンパレード!それともただの天使の衣装を纏っているだけなのか。リカちゃん人形とは一味違うやはりフランスならではの大人のセクシーさ溢れる人形たち。

 ギャラリーだったら当然一期一会の出会いになるし、店だとしてもたぶん今はもう存在しないだろう。

 

 


 

 

 

額縁専門店。この写真は非常に苦労して撮った覚えがあり、このときの様子は今でもはっきりと覚えている。

 

あまりに素敵だったので写真を撮ろうとしたのだが、店のマダムが中からコチラの様子を訝しげに窺っていたのでなかなか撮れなかった。諦める振りをしつつしばらくマダムの様子を観察しながら、一瞬姿が奥へ引っ込んだ瞬間を狙って写真に納めた。フランスの額装。アンカードルモンという名を後で知った。

私のシンプルなブルーのタイル画の枠にいれたらどんなだろうかと考えてみたり…。

 

 

 

ベル   ベル  ベル

お手数ですが、コチラの記事を先に読まれたらぜひ新しい記事の

パサージュ橋物館②パサージュ・ヴェルドー2018

の記事へお戻り頂き続きをお読み頂ければ幸いです。

 

 


 

 

 

 

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