父が生きていたら、もう90歳にはなっていると思う。父と母はお見合い結婚だったと聞ききました。父は、母との結婚が二度目、再婚だったんです。父は東北出身で山形県荘内市で生まれ、山形で結婚していたようです。それを知ったのは、私が26歳の頃。父の息子、つまり腹違いの「兄」のお墓参りに一緒に行ったことがあったからです。お墓の場所も薄ら覚えでしたから、父の記憶を辿りながら二人でお寺を探して歩き回ったんです。私にとっては「兄貴」となるその方のお墓は、酒田市の寺町と言う所にありました。兄は5歳の頃に風邪を抉らせてしまい、肺炎で亡くなったようです。お墓ではお坊さんにお経を上げていただきました。その時「もう、思い残すことはない」っと涙を溜めて父は言ってましたが、その日から間もなくして父は他界しました。本当に、この世に思い残すことが無くなったのかと感じられました。
父は山形県では、ずっと魚屋に勤めていたそうです。そのせいか、言われてみれば魚をおろすのが上手だったことを覚えています。そんな父の毎日の日課はお酒を飲むことでした。日本酒が好きで(やっぱり東北出身だからなのかしらね)酒のつまみは、毎回、まぐろの刺身とベーコンでした。子供の頃、よく父から頼まれて近所の乾物屋さんまで、べーコンを買いに行かされました。その度に私は「え~~っ、またベーコン?」っと父に言った記憶があります。今でこそ、ベーコンってお値段が高いものとなっていますが、昔は毎日食べられるくらい安かったんです。逆に、お肉のベーコンの方が高級品で、お値段的にも高いと言う印象があります(今ではっ逆ですね)買い物から帰ってくると、父は台所で夕飯の支度をしてました。父の作るおかずはちょっと濃い口(しょっぱい)でしたが「お袋の味」ってよく言いますけど、私は「親父の味」が好きでした。
小学校3年生くらいまで、私は父と男風呂に入っていました。我が家には、お風呂が無かったんです。お風呂の帰り父は必ず、立ち飲み屋で日本酒を飲んで帰るのですが、幼稚園だったか、小学校1年くらいの時だったのかは忘れましたが「なんで、お家に帰ってから飲まないの?」と父に聞いたことがあります。父から返ってきた言葉は「家で飲むとばあさんが、煩いからな」と言ってました。祖母のことですが、父は養子だったものですから、かなり細かなことも口煩く言われてたようです。
母が亡くなった時に保険金が入ったのですが、家を建て直したいと父が祖母に言ったら「保険金で家なんて」っと、祖母に猛反対され「一晩で100万使たぞ」っと、言いながら朝方帰ってきたことがありました。そんな父は、勿論、ヘベレケに酔っ払ってました。本当に一晩で100万を使い切ったのかどうかは定かではありません。昭和40年代の100万って、今の時代だと幾らくらいの価値があるのだろうか?
そんな父に親孝行もせず嫁に行き、「ありがとう」のひとつも伝えることなく過ごしてしまった私。
今、父に感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と伝えたいです。
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