3、女性性の復活・神の花嫁 | Violet monkey 紫門のブログ

Violet monkey 紫門のブログ

十字架の国  1998 不思議の国、ZIPANG

 

女性はそこから宇宙を見始めます。銀河系の中とか、黄金の光の中に包まれるとか、こういう世界の中に入っていってしまうのです。まさに神と合一した姿です。

 

 

女性は愛されたい生命体であり、女性はセックスという喜びを得て、美しくなる存在であるという確信を得たわけです。セックスは卑猥なものではなく、神の領域に至る神聖な行為そのものなのです。

 

アダム徳永. 女神に覚醒するための秘法 レムリアからの教え (pp.39-40). Kindle 版. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふしぎな音楽がわきおこった。大鼓と竹笛の音である。

楽人が三人、畳の上に坐っているなかに、若い少女がひとり見える。

 

 少女がずっと立ち上がった。素足に雪白の装束をつけたこの少女は、処女の巫女なのである。よくみると、白衣の裾から緋の絹袴がちらちら光っている。巫女は、部屋のまんなかにおいてある、小さな机の前にすすみ出る。机の上には、小さな鈴のついた、なにか木の枝のような形をした奇妙な道具が、ひとふり置いてある。巫女は、この奇妙な道具を両手にとりあげると、神楽舞をはじめた。

 

これは、わたしがかつて見たこともない踊りであった。巫女の一挙一動は、さながら詩である、それは舞いてがすこぶる優雅だからである。が、その舞いの所作は、われわれ西洋人がいうダンスということばなどでは、いかにしても言いあらわすことのできないものだ。むしろ、これはひとつの円のなかを、軽く足早に歩くといった所作である。そして、そういう所作を舞い歩きながら、例の手にささげもった奇妙な道具を、一定の時をおいて打ち振るのである。すると、それについている小さな鈴が、いっせいにちりちりと鳴る。

 

巫女の顔は、美しい面のように、筋ひとつ動かさない、まるで夢見る観音の顔のように、しずかで、美しいのである。その白い素足は大理石にきざんだ水精{ニンフ}の足のように、じつに線がきれいだ。雪白の衣裳と、白いししむらと、おちついたその顔と、この三つのものがあいまって、日本の乙女というよりは、むしろ、生きている彫像のように見える。そうして、巫女が舞っているあいだ、怪しい笛の音がすすり泣き、かきくどき、大鼓が呪文のような低いつぶやきを唱えるのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八雲は、西洋人ではじめて本殿に上がることを詐された者である。それだけに抑えがたい喜びをもって描いている。八雲の観察は、子供の頃からただ漫然と巫女舞を見ていたわたしたちにとって衝撃であり、驚きである。まったく平凡で取るに足りないと思われていたものが、八雲の目を通すと、途端に生々と生彩を放ってくる。わたしたちが見落としてしまっていたものを、一つ一つ丁寧な手つきで拾い上げて示してくれる。

 

 拝殿では、絶え間なくお神楽があげられ、参詣者が引きもきらず賽銭をあげている。

 たいていの参詣者は小銭を投げるが、なかには、ごく貧しいもので、ひとつかみの米を箱のなかへ投げ入れるものもある。寮銭を投げてから、みな敷居の前でかしわ手を打ち、頭を下げて、拝殿の奥にある一段高い神殿に向かって、うやうやしく目礼をしている。参詣者はみな、そこのところにちょっとしばらく立ち止まって、かしわ手を四つ打つだけなのだが、なにしろ、入れかわり立ちかわり来るもの帰るものが多いから、かしわ手の音がまるで滝の音のようだ。

       (平井呈一訳、『小泉八雲全集』)

 

********************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の巫女舞である

 

これは静かなるミサなのだ

 

明治23年、揺らめく蝋燭の炎の中

 

八雲は見た

 

魂を鷲掴みにされたに違いない

 

 

ひとつの円のなかを、軽く足早に歩くといった所作

 

 

神の姿は見えねども

 

これはイザナギ、イザナミの愛の行為

 

求愛行動

 

求愛の舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなにやし えをとめを

 

あなにやし えをとこを

 

・・・みとのまぐわいせむ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

汚れなき乙女、美しき巫女は神の花嫁なのではないのか?

 

あつき血汐をやわ肌に秘めて舞う

 

夜の神殿で

 

巫女は静かに舞をやめ

 

横たわる

 

闇の中、神とまぐわう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫門は聖母マリアが

神殿娼婦だったのではないかと考えています

 

誰の子かわからない子・・・イエス

 

大工のヨセフはマリアと同じ信仰で

ヨセフは本気でマリアを愛していて

神の子を孕ったと信じて疑わないマリアを身請けした

 

神殿娼婦と書いたけど

神殿なんか無い

イエスの説いた教えと同じものを信仰する集団を想像する

 

乞食、病人、売春婦・・・

まさしくイエスがエルサレムで率いた人々

 

教団は互いに助け合い

食べ物を分かち合った

実質、金を稼げるのは若い女だけ・・・

売春と宗教勧誘・・・

 

そして全ての人に神が宿っていると言う信仰を

確かめるためにあらゆる男を受け入れる修行

慈悲深き観音様のように接し続け

聖母に覚醒する

 

家族を、仲間を食わせるための買春・・・

 

 

あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が
この女に、まず石を投げなさい

 

 

「姦通の女」ヨハネによる福音書第8章3〜11節

 

 

売春婦と呼ばれるマグダラのマリア

 

イエスの愛したマリアは

神にその身を捧げた女

神の花嫁

 

 

 

 

 

日本では歩き巫女

 

 

 

 

 

 

化粧

 

 

 

 

 

ノートルダム(聖堂)大聖堂(ノートルダムせいどう・だいせいどう)は、聖母マリアに捧げられ、名付けられた教会堂である。

ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指している[1]

 

 

 

ホワイトナイトと呼ばれたテンプル騎士団の

最後の総長・・・ジャック・ド・モレーは

この聖堂の裏の河原で処刑された